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お金に求めるしあわせ(3)

まだまだ考えています。AOLの掲示板で「貢ぐ」ということに関しての私のテイクを書いたことがあります。私は貢ぐことに反対派です。耳が痛い人もいれば、勝手に反対してれば?という人もいるのは承知ですが、私はお金のパワーを利用して心を買うような行為を自分としては潔しとしません。他人が貢いでいても、本人が腹をくくって決めたことならばまぁ、よしとします。でもきっと一言は言うんだろうなぁ>近い人ならば。と言うのも、私が誰かに「無償の愛」を注ぐことに関して打算が隙間を縫って入り込むのを恐れているからでしょう。

無償の愛などはおそらく人間のあいだには存在し得ないのかもしれません。けれども、それを追い求めようとしてもいいではないですか。何百万回のトライのなかのひとつに、もしかすると無償の愛が光るかもしれない、と夢を見てもいいでしょう?

無償:1.報酬のないこと。2.代価を払わないですむこと。ただ。無料。

貢ぐ:1.金品を献上する。みつぎものを贈る。2.力を添えて助ける。助成する。合力する。3.人に衣食の資などを与えて助ける。金品などを贈る。

竹内靖雄の書いた 『「日本人らしさ」とは何か~日本人の行動文法<ソシオグラマー>を読み解く』で、彼が解いたところによると、人間は「利益」を考えて動くものであるという推論を大前提として話を発展させていっています。たとえ外見から「無償の愛」に見える行為でも、それは物理的利益とは質の違う感情的利益に基づくものだとされています。

簡単に言うと、「貢ぐ」という行為も金品を与えることによる効果をどこかで期待しているか、あるいはあげることそのものが自分の気持ちのいいことであるからしているに過ぎないという解釈になります。私はおそらくこれを信じているのでしょう。なので、謂れのない金品をあげることはできないと思うわけです。

帰国の際にたくさんのおみやげを各所に買いました。その金額も選んだ品々も私の住んでいる場所の香りがするもの、と高価なものはひとつもありませんでした。高価かな?と疑われるものであれば、その人のために買ったわけではなく、私が身につけていたものを酔っ払った勢いでプレゼントしただけに過ぎません。インスタントコーヒー各種のほうがずっと高かったと思うぞ…。さらに化粧品やポーチやTシャツや英語のペーパーバックよりも飲みしろのほうが数倍も高いと思ふ…。だから謂れのある等価交換だったと思うのです。さらに誰に何をさしあげたのかもうほぼ忘れてしまいました(爆)。私はそういうやつです。もらったものはここで暖めています♪

私はフェアでない関係は嫌いです。Give&Takeがいちばんです。それが等価に当たるかどうかはその当人同士が決めればいいですが、モノやお金が行き来する場合には一方通行では鬱憤が貯まり、物質的利益にしろ感情的利益にしろ、相手から何かが返ってこないと心が澱むことになります。受け取った側にも圧迫感が生まれることでしょう。生まれない人のほうがちと問題があると思います。セックスやお話をするのにお金を払っているのと同義になり、シーソーゲームでいつもどちらかが多く奉仕するという絵柄は私にはどうも心を不健全にすることに思えます。少なくとも私はそうなので、物事をわざわざ複雑にしないために金品であれ奉仕の行為であれ、貢ぐという行為全般はしないことにしています。

家庭のなかでの家事全般もそうです。「本当は外に仕事に出たかったのに、家を誰かが切り盛りしなければならなかったから」と何年か経ったあとにため息をつくのはまっぴらごめんです。「食わせてもらっていた」などと思いたくはありません。30歳は一度しかなく時間は戻ってくれないものです。家事というのは(さらに子育てを含めたらさらに)外で仕事をするよりもずっとずっとたいへんなことです。まぁ、向き不向きもあるのでしょうが、かなり多くの能力が求められます。なので私は西さんにも分担してもらっていました。私なんかがひとりでできることじゃぁありません。今は留学生のOくんに働いてもらっています。その代わり家賃を減じました。でないとフェアじゃないですからね。だから留学生に対しても無意味にやたらに金品を与えるという傲慢な行為はしないのです。あとから「してあげたのにさぁ」と言うやつに成り下がりたくないからです。その危険は私には大いにありますから。ないと胸を張って言っている人でもやっぱりそういう考えが心に浮かぶことは否めないでしょう。人生は短いようでも長いのです。今言わなくても数年後には思うかもしれないし、愚痴るかもしれません。

私は留学生たちにははっきりと、「過分に何かしてもらったと自分が思うのなら、将来、金の延べ棒で返してね♪」と言ってあります。でも最近、金の延べ棒は重くていかんなぁと思っているところです>で、小切手か別荘か世界周遊豪華客船二人分ブティック金券つき(ドレス作らないと踊れないじゃん?)という案もあるのでした(爆)。等価だと思えるお返しはその人の判断次第なので任せてあります。でもカケラも戻ってこなくてもいいと思うのでただの笑い話です。

貢いでもらっておいて平気の平左って人はたまにいます。特に恋愛関係であると惚れたほうが弱いようです。どちらにしてもだからと言って貢ぐのは私には理解しかねることです。もちろん苦悩はそれなりにわかりますが、私は貢ぐことを選択しません。自分の足で立って歩き続けることができる人がひとりでも増えること、その大切さを身にしみてわかっているからです。お金で売ったり買われたりする人間同士の関係は、私は踏み込みたくないところです。わざわざコトを複雑にしなくても私には複雑で解決できないことが山積みです。なので、プレゼントするモノに想いをこめる、というのも私は買ったり作ったりして手渡した瞬間に終わります。あとはその人のモノとなったのだから私の手を離れたわけです。棄てるなり焼くなり勝手にしてくれてまったくかまわないと思っています。

はぁ、どちらにしても貢ぐという現象は、モノに価値をつけまくるから起こるのではないか?その価値が偏っているから続けてしまうのではないか?と私は今、思っています。お金にそんなパワーがなければ、貢ぐモノもせいぜいにんじんや大根や鉛筆で済んでいるものを…。

お金の持つパワーというのは資本主義において際限があるのかなぁ、と宇宙を考えるときのように途方に暮れてしまいます。もしも、の話をするのは愚かしいのですが、私の家がもしも裕福で幼いときからテニスやスイミングに入れてくれていたら、などと考えるとやはりそこそこには開花したかもしれません。勉強をこんな年齢まで続けていると、よくできる子であっても家が貧しいために断念せねばならぬという事態も何例も見ています。飛びぬけて天才的にできない限りは奨学金はもらえないわけです。あとひと押しすれば秀才になれる、努力を重ねれば天才に見える秀才になれる、という子たちが、涙を飲んで就職を探す後ろ姿というのを見ました。私もひとつ間違えればああだったのだ、と思うと他人事ではありません。クレジットカードや金融会社などから借金をする人たちと同じで、その差は薄紙一枚ほどの差しかないわけです。

だからこそ、そのお金の使い方というのをしっかりしないといけないと思います。快楽に充てる部分があってもいいです。でも際限のないあり地獄に沈んで行くという自覚が持てる程度の知識を持たねばなりません。「あら、キャッシングって銀行カードを使うのと同じくらい簡単じゃない?便利だわ♪」だけではだめです。そのあとに、「これは24時間の銀行引き出しができるまでの非常手段」だの「次の給料日には必ず元金ごと返す」という意気込みがなければなりません。お金が持つパワーがもたらす快楽を気持ちいいと思うのならば、その快楽から醒めたときのことも考えられて、地道さと派手さのいいところ取りができるようになってもらいたいと思うのです。

私の古い友人で、貯金をすべてはたいて男に貢いだ女の子がいました(昔の話なので、私たちは女の子でありました・笑。15年以上前の話です)。家賃の更新もできずにぼろぼろの安いアパートに引っ越すことになりました。質屋さんに預けたわずかながらの宝石も流れてしまいました。そしてその男とは結局別れたのです。ファンタの空き瓶に一輪だけ挿してあったマーガレットに似た花を木造のアパートと共に思い出します。

昔ならばこれでよかったのですが、今はローン会社やクレジットカードがあります。たいへんなことになる可能性もゼロではありません。貢ぐことで愛は手に入るのでしょうか?お金で追い求められるしあわせはそこにあるのでしょうか?

考えつめて、西さんとまたいっしょに住める日が来るまで極貧で倹約して暮らそう♪と思うのでした。

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