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きまりの悪い心地

06/29/2007 にアップした文章です。

 

校長センセにコメント欄にて、「ロマンチックなことが言えないのは照れくさいから」と書いていただき、改めて辞書を括ったところ、「決まり悪いこと」という意味があるということを知り、さらに深く考えてみようと思ったのですが、まずはそれを語るに当たって、「差」について考えていただきたく、たいへんにわかりづらいエッセイになった『差の美学』を書きました。いや、まったく赤面ですが、数字のセンスというのは、他人に教わるものではなく、小さい頃からの積み重ねなので、いかんともしがたいものなのです。ましてや、こうして文字で説明するのは、至難の業だ・・・。

照れる:(1)きまり悪そうにする。恥ずかしそうにする。(2)間の悪い思いをする。
きまり:(1)物事のおさまり。結末。決着。(2)きめられた事柄。定め。規定。(3)いつものこと。おさだまり。また、いつものこととしてきまっていること。定例。(4)江戸時代、明和・安永(1764-1781)頃の流行語。物事が思いどおりに運んだ意を表す語。(5)遊里で、客と遊女が恋仲になること。また、その間柄。
きまりわるい:(1)他に対して面目が立たない。恥ずかしい。(2)きちんと整っていない。しまりがつかない。
心地:(1)物や事に接した時の心の状態。気分。気持ち。(2)考え。分別。心。(3)(体の状態によって起こる)気分。また、病気。

どうやら、「きまり」というのが曲者なようです。社会動物のひとつの種として進化してきたヒトは、やはりルール・きまり・約定などに支配されているようで、理想的な形があるようです。そのバラエティ(多様化した種類、幅を持たせたり、数を増やしたり、場面などにより変えるなどの亜種)があるものの、やはり何か指針があるようだ・・・。ふーむ。

(1)の意味は、「物事のおさまり。結末。決着」なので、調和やつりあいの問題だということにもなり、これには、自然科学のゴールデンルールは組み込めるのか?+や-ではないゼロということがありえるのか?建設現場で通訳をした日々を思い起こすと、「おさまり」という単語はよく使われており、ぴったりくっついているだとか、寸法通りだったりすること。もしかすると、社会科学の人間関係にも、このおさまりは使えるのかもしれない。ただし、ある個人Aのおさまりとある個人Bのおさまりが違うことが出てくるので、自然科学はやっぱり無理なのか?

世界は混沌としており、分類は大切だということを昨日書きました。ところが、その分類は、分類するヒトの賢さや経験によって、根本から間違っていることも多いということも書きました。では、その基準や「きまり」が本当に正しいのかどうか?はどうやって、誰が、どんな理由で決めたのか?これなのですよ・・・。

だから、校長センセは、その著書の中で、「考える力で決まる」とおっしゃっており、私も多数決の愚かさや、文化的な全体主義の是非についていろいろ書いてきているわけです。私の母などは、「だって昔からそうじゃん」だとか、「そんなのあったりまえでしょ!」とよく開き直るのですが、しかもそれは私が6・7歳くらいから続いており、母も私もまったく学習していないのか何なのか、ずっと変わりなく続いている日常なのですが(笑)、とりあえず、私は何についても、「なんで?」「なぜなの?」「どうしてよ?」「だからどうなのよ?」と常に考える癖を持ってきたようで、そのせいで、かなりいろいろな場面でハンパ者になったり、仲間はずれになったり、変わり者になったりしてきました。校長センセは、「好奇心」と大きく書いてらっしゃいましたが、私の「きまりの悪さ」は、このなぜがわからないところから来ると言っても過言ではありません。何か落ち着かないという理由だけでは、やはり感情だけに過ぎないのですよ。Obsessive Compulsive Disorderの傾向が多少なりともある人にはかなり「わかるぅ」ということになるのだろうと思うのですが、もちろん私にも相当にその傾向はあるのですが、自分でも感情だけだということを知っているので、余計にそのバランスを取ろうとして、論理を求めるのかもしれません。

実際、私がかなり強く信じているのは、「私のほうが実はごくごく普通人で、脳を使いながら生きてきている」という自負なのです。「なぜ?」がわからないところで、むやみやたらに物事を進めていくことのほうが、私にはずっと不安で恐怖であるということ。なので、病理的なOCDにはなっておらず、精神病の類とされるものの症状が見られるような箇所は、Cognitive/Behavioral Therapy(認知・行動修正療法)で、私の場合はかなり成功率高く、克服できるようです。

照れる=決まりが悪いの多くは、スピーチを大勢の前でするのが苦手だとか、ロマンチックなことが言えないだとか、対人関係に帰すことは、偶然ではないのですね。他人の顔色を見ていたり、他人の反応や感情を予測するからこそ起きることなのです。もちろん、それがゼロでは困ります。社会動物としては欠落が大きいことになりますから。けれども、よい塩梅というのは必ずどこかに「幅」として存在しており、心理学ではそれを超えることを「閾=Threshold」と表現します。

ところが!社会動物といえども、ヒトがヒトである中心には、はじめに己ありで、Selfに支配されていると考えられています。どちらが先に来るというのは、卵が先か鶏が先か論議になってしまうのですが(コレは卵が先です。遺伝子形成の突然変異論理によるもので、その突然変異率は、成体ではなく、脳や身体全体の形成中である卵時代に多く見られるからです)、私もまた、己が先だという説を強く採っています。なので、対象人物が限られない場面においては、やはり自己が先に来て然りだと考えており、「恥ずかしい」等の他人の顔色を伺う事柄に関しては、「じゃ、あなたはどうなの?どうしたいの?」と聞いてみることにしているわけです。

「世間の常識・きまり・おさまり」などと、「自分の常識・きまり・おさまり」の差を考えてもらいたかったのが、差の美学ですし、「他人の常識・きまり・おさまり」と「自分の常識・きまり・おさまり」の差を考えてももらいたく、その場面やタイミングや内容の質などをじっくり軸の数も踏まえて考えていただきたかったのが、差の美学だったわけです←ところがうまく書けなかったんだよっ!(爆)

そこで、私自身もしっかり「世間の常識・きまり・おさまり」を学び直すために、任天堂のDS導入を考えています。相当夢中になることは必至なので、ついでに漢字検定やその他のソフトも買い揃えてしまうかもしれません。母の脳トレも買うことになると思います・・・。いつでも、「他人の常識・きまり・おさまり」を考えているつもりでいるのですが、いかんせん、手抜きをしてしまう不健康な脳状態のときもあり、行き届いているかどうかは疑問。ただ、私はこの完全無欠ではない自分についてはよく知っているので、これを常に忘れないことだけは心がけています。それこそ、コレを忘れてしまったら「きまりが悪い心地」極まりないものだろうと思えるのです。

英語の生徒さんたちの自信のなさも、きっとこんな事柄から来ているのかな、と、今日はこれについて考えたことは有意義だったと思いつつ・・・。

ところで、我が家は本日掃除機を買い、ネコの消耗品を私が初めて日本で買いに出かけたのです。普段、私は買い物をしないので、ちょっとした記念日になりました(笑)。アルミでできた放射版はさっそく使えてもらってよかった・・・。やっぱりネコのごはんも魚が豊富な国は違うなぁ、と、売り場でひたすら英語で話していた怪しいやつは私です(笑)。おまけにネコや犬も売っていたので、いちいち英語で話しかけていたのですが、彼らも心地よかったみたいだよ?(笑)そして、そこでも「きまり悪い」などとは思わないで、原付バイクにブツを載せられるだけ乗っけて、バイク置き場とマンションの3階を4往復しちゃいましたよ(笑)。元気に夏を乗り切れる予感がしてきました。わーい!

 

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