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すっかり忘れていた誕生日!

2008/10/16 にアップした文章です。

 

昨日、校長センセからメールが届いて、初めて気づいてしまいました。ここのところ、金曜日からずっと大わらわで、さらに、無料体験レッスンやら、Mixi設定やらで、その前も忙しかったのです。気づくと、水曜日、昨日になっており、朝の5時半に起きて、いつも通り早朝英語レッスンを企業でやらせていただいたあと、一箇所見学しておいたほうがいいところがあり、帰ってみると午後早い時間だったのですが、何も食べていないことに気づき、近所でごはんを食べたらやたらと眠くなり、家に戻って爆睡。起きたら世の中は真っ暗で、もう午後8時でした(笑)。毎日5時間くらいが続いていたので、本当にまずかった。が、心のほうは撚(よ)れていなかったんですけども。

 

今朝はメールが数通、おめでとう!と届いており、西さんからはSkypeのチャットでのメッセージが残っていました。そうか・・・誕生日だよ。母は、娘がこんな歳になっても、「今日はお赤飯ね」と相変わらず明るい。西さんの誕生日は私と2週間違うのですが、私は四捨五入して50歳なのですが、彼は50歳ちょっきりになります。この感慨というのは、私と彼では大いに違うらしい。私は、20歳・30歳・40歳の区切りには、それなりの「ちょっきりドラマ」を体験してきたはずなのですが、年齢を重ねることに関しては、ネガティブな気持ちを全般的に持たないやつです。今日もさわやかな秋の朝で、暗い気持ちは微塵もないですね。負け惜しみだとか、能天気で明るすぎるということではなく、です。

 

20歳になったときには、「やっと憲法で成人になれた」という感慨は大きかったです。それ以前に酒もタバコも開始しており(バクチはやるゆとりがなかったんですけども・・・。貧乏暇なしでバイトに勤しんでおり)、その「世間的な建前」にすら嘘をつく必要がなくなったことには、たいへんな開放感を得ました。よく働いていましたから、遊ぶゆとりなどはそれほどなかったのですが、それもこれも年齢が人々に与える「常識・印象」と、真の意味である「成人の存在していく意義」を、その当時はかなりごっちゃにしていましたね。が、それでも若いからまだよかったのです。若いからこそゆえ、人々からは赦され、その先の可能性に期待をかけていただき、たくさんの人々から掛けていただける情けに、ほんのわずかしか気づけず、「目前にあるやること」をただただこなしていき、その中で、かなり効率悪く学びを進めていたのでした。

 

渡米したのが24歳半だったので、この情けを掛けていただいてきたことや、成人として存在していく意義や、目前ではなく、その先にあることに対して、かなり真剣に考えられるようにはなったのですが・・・。それもこれも、「年齢に左右されて暮らしていく割合が低いアメリカ」という大きな器へと場所替えしたことで、得られた功罪は本当に大きかったと今となっては思うのです。人々が与える「ラベル」である年齢は、男女差や貧富や人種や国籍やその他と同じように、アメリカに行ったことで「当たり前の常識・理想」が相当なばらつきがあることや、そのばらつきを持ち続けていいことを知るにつれ、私は年齢を重ねることに対して、まったく抵抗がなくなりました。

 

が、そもそも、以前のエッセイに書いた通り、私は子どもの頃から「早いところ30歳過ぎた女性になりたかった」という訳のわからない希望があったのです。演歌を何度も何度も聴き入る30代の主婦やら、傷ついて翳のある女性や、バリバリ仕事をしている女性やら、みな30代がイチバン美しい!と、なぜか決めてかかっていた小学生・中学生時代があり、それは30歳に自分が到達するまで続いたのでした(笑)。

 

そして、30歳ちょっきりになったときには、本当に本当にうれしく、この10年は相当楽しくなるだろうと、なぜか意味不明の根拠のない希望に充ちており、それが人生の中で最も困難も降りかかる時期だとは思っておらず・・・。貧乏から脱け出すために必至に働いてきただけの10代や20代前半とは違い、その貧乏からさらに安定したフツーの経済状態を維持するために学んできた20代後半とは違い、30代はまだまだたくさんのチョイスがあり、困難の数は増えたし、その深さというのにも、選択肢によってばらつきがあったことに、その後に気づくのですが・・・。嗚呼、人というのは愚かだよなぁ・・・。

 

そして、40歳ちょっきりになったときには、その困難を形ばかりではなく、いくばくかは本当の意味でも乗り越えてきていたがゆえに、「いやぁ、30代よりも40代のほうがきっとずっと楽しいに違いない」とすら思うようになったのですよね・・・。楽天的なやつというのは、そうして年齢に関しても、自分勝手に「よい年齢」をスライドしていくに違いなく(爆)。

 

そして、今日、45歳ちょっきりの誕生日の朝、普段は見もしない鏡を見てみたのですが、まぁ、45歳には見えないし(これもただの平均値にしか過ぎず、どうしてこんなことを考えるのか、と自嘲してしまうんですけども・・・笑)、自分の誕生日すら忘れるほど、かなりがんばっている自分のけなげさにも、かなり満足しています。この服装やら、この言葉遣いやら、この態度やら、きっと考え方が反映されているにせよ、”Age is just a number.”という感動した言葉を、体現しなくては、という義務感もあるのかもしれないですね。

 

たぶん、私のこれまでの健康に関するチョイスや習慣を考えると、もうとっくに人生のTurning Pointは過ぎたのです。日本人女性の平均寿命は86歳くらいなのでしょうが、私は自分では75歳くらいではないかと思っています。その近くに行けば、また査定は変わるのでしょうが、喫煙をやめていないですしね。コレ、大きな要因です。が、私はアメリカに長く住んでも、ただの一度もホームシックにかかったことはなく(これはみんなに相当驚かれるんですけども・・・)、Midlife Crisis(人生の折り返し地点でちょっと鬱になったり、逆にいつもよりも精力的に何かしようとする、迷いの時期)もなかったし・・・。

 

むしろ、今がMidlifeで、90歳まで生きてしまったらどうしよう・・・と思いますよ(笑)。この医学の発達から見ていくと、それは不可能な領域などではまったくなく、私の母はおそらく、これくらいまでは軽く生きて、ひょっとすると100歳超えもまったく可能だ・・・(汗)。

 

誕生日の朝につらつら考えることが、最後に「長生きしてしまったらどうしよう・・・」という悲観ではいけませんや(笑)。そのためにも、今、かなり忙しくコマコマと動いていることを実現しなくてはならぬと決意は新たになりますし、やっぱりアメリカに戻って大学院に可能なまで通い続けたいと思っています。それにはお金がかかるのですが、暴利をむさぼりつつ、ヒトとしての当たり前を無視することなく、なるべく偽善者でいる瞬間を減らし、天国への階段が見えている状態をいつも保つのが好ましい。陽さんは、Mixiの紹介文で、私のことを世に埋もれている、という意味の中国の故事を使ってくださいました。埋もれたままでいいんですが、お金だけは確保したい、というのはやはりどこか非国民で身勝手な思想のせいなのかしら・・・と思いつつ、それでも年老いていくことを毎日楽しみにできているこの状態を、何年経っても保っていきたいと思っています。

 

10年前までは、オンラインでも非公開だった年齢なのですが、半公人のようになってしまい(教えるサイトなどを公開しているので)、どうしようもないかな、と少し諦観。が、日本に2年前に戻って来てから年齢を聞かれた回数というのは、アメリカに18年半住んでいて聞かれた回数を3倍くらい上回っているということは、お伝えして〆ましょう(笑)。

 

 

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