大平
相変わらず、猫たちがいた暮らしへの感謝は続いています。認知症の進んでいるであろう母にも優しくなれている日常はもっと意識化できるようになりました。自分の食べ物よりも彼女を先に、不自由がないように自分でできることは自分でやってもらって自信を失わぬように、してしまった失敗は可視化できるように説明を、と、ゆとりを以っていけるような気がしています。
そうなんですよ!猫がいなくなっただけで、時間が少し余る(笑)。要求される分だけ撫でて抱きしめて付き添う必要もなくなり、空虚ではあるのに、時間を持て余すわけです。
仕事がない時期や定年退職したあとなどに、「やはり忙しいうちが華だな・・・」と思ってしまうアレといっしょですね・・・。猫で埋められていた時間がなつかしすぎます。まだ1週間ちょいしか経っていないのに、爪痕がでっかすぎます。 (・・;)
つくづく思うのは、生命があるだけで充分であるということ。そのあと、生きていくためだけの最低限だけ揃える日々の暮らしの上で、自分にしか残せないものがあればぜひとも♪という態度で生きていくのが、ひどく上等なことに思えています。贅沢な私の悩みは、健康すぎることで、生きているだけで充分なのではありますが、働けなくなってからの生きていくための最低限が確保できるかどうか、という勝負中です(笑)。前倒しで貯めておかないと、働けなくなってからまずいですからね・・・。健康がいつまで続くという保証はないわけですし、コロッと死ねるという保証もまったくのところありませんから・・・。
英語では、Please, Thank youを連発して暮らしていましたが、日本語でもたぶんかなり多く言っているのだろうと思います。とはいえ、もっと言いたいことがたくさんあって、空の青さを観ても涙して、猫たちに感謝し、土の踏みしめの心地よさに涙して感謝し、お水がごくごく飲めることにも涙して感謝し、人々が笑顔を見せてくれることにも泣きそうになって感謝し、と、感謝する気持ちが大きくて潰れそうです。
どうしても借りを作りたくない私は、これらの感謝に値する人間になりたいと切望してしまい、想い身体をどうにかしなくては、と焦っているところです。ゆえに、Blog記事を書いているんですが、できれば本を片手に寝っ転がって泣いていたいくらいです(笑)。
ビールとささやかな肴は口にしているのですが、お弁当も作って土曜日などはお米も食べているのですが、ジーンズのウェストはどんどんゆるくなり、現在腕が2本入るようになってしまいました。もっと痩せてもいいんだけど(かなり重いので)、健康的に筋肉をつけて痩せないとな、と頭ではしっかりわかっていつつ、気持ちがどうしてもグルグルと停滞しています。こうしてBlog記事を書けることはとってもうれしく、日々の料理や片付けや掃除、皿洗いや物干しなどやらねば生きていけないことのみで、うんざりすることのないよう、きっと虹の橋でみんな大笑いしながら応援してくれているのでしょう・・・。
あー、こういう書き方も、死後の世界がないとふだん言っているのに、まじめにいかんなぁ。脱呆け!今週からがんばろう!
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