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べき論について

08/25/2007 にアップした文章です。

 

実は、この歴史は存外古く、Hume(無理やりカタカナにすると「ヒューム」)が最初のプロポーザルを残しています。日本の大学に通ったときには、哲学は取らなかったのですが、アメリカでゼロから始め直したときには、心理学をやろうと思い始めたとき、日本の女子高校生時代に好きだったものから、かなり逸脱したカリキュラムを組みだしたので、哲学も入っており、かなりためになりました。その中では、当然のごとく大御所たちが出てきており、アメリカ人がアジア人の名前を出すこともあり、けっこうびっくりしつつ、驚異は宗教学などでも続くのでした。

哲学>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6
思想家一覧>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%9D%E6%83%B3%E5%AE%B6%E4%B8%80%E8%A6%A7
日本の哲学者>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6%E8%80%85
私は大学の教養課程でしたが、この7割くらいは網羅しています>
http://en.wikipedia.org/wiki/Philosophy どのくらい詳細までやったか?は疑問ですが、基本的な特徴や流れはやりましたね。

べき論についてのHumeの論はコレ>http://en.wikipedia.org/wiki/Is-ought_problem
英語なので要約してみると;倫理的なシステムについて、「神の存在」を既定したり、人間についての観察を見てのち、気づくことは、「べき-べきではない論」に当たることである。「すべきである(すべきではない)」は「である」という言い切りを伴われなければ、と言っていて、しかし、それでも問題点があると指摘。世界の成り立ちそのものが証明されていないので、世界がこうあるべきということは言えないという理由から。これが、「Humeのギロチン」と言われている問いで、のちに発展していったのが、Naturalistic Fallacy(=自然の推論の誤り)。

Naturalistic Fallacyの最も使われる例は、性善説や性悪説を唱えることは自由だけれども、実際にはわからないので、「べき-べきではない」というのは、誰も言えないことなのだということにも繋がり、わからないことをベースにし、それらを論拠にはできない全般的なことを指しているわけです。

私の大好きなThomas Jeffersonも人によっては、「哲学者」としての冠(肩書き)をつける人もいて、John LockeやFrancis Bacon, Sir Isaac Newtonなどといっしょに British Empiricism(イギリス経験主義)のカテゴリーに入ります。私は経験主義全般について、肯定するところも多いのですが、のちに来る
pragmatism(実用主義) phenomenology(現象学)existentialism(実存主義)analytic philosophy(分析哲学) utilitarianism(功利主義) Marxism(マルクス主義;史的唯物論。資本主義は機能しきれず、社会主義に移行するしかないとしたもの)
などなどに影響され、これらの後追いが来ることができたのは、積み重ねの前の先駆者たちのおかげです。当然、Jeffersonらの前には、ソクラテスやアリストテレスらの偉人がいました。私は現代に生まれたのでそれらの恩恵も受けており、ありがたいことです。

なので、100歩譲って「もしも○○がXXだとしたら・・・」と仮説を立てて、論議を進めていくことはできたとしても、もともとそれは不完全な論議だと覚悟した上でやらねばならぬ、という宿命を背負っているわけですよね。

子育てなどは本当に結果論でしかなく、そもそも「理想の人間」「倖せな人の営み」がわかっていないのですから、正しい子育てなどはあり得ないわけです。が、失敗例から学ぶことはできるし、成功例からも学ぶことはできる。そこで、喧々諤々といろいろなことが行われているわけです。が、そもそもの出発点としての「的外れかもしれない」という覚悟は、それほどないように思えます。政治などにしても同じことです。トレンドや傾向に左右されるものは、そもそも信憑性、事実とは違い真実に突き当たる道のりに軌っているかどうかすら、怪しいものなのですが・・・。

さらなる落とし穴は、少数派と呼ばれる失敗例や成功例という事実の中でのレアモノであり、歴史や経済や心理学等、社会科学に対峙するにおいて、少数の参考例や資料を「かなり初期段階で切り捨ててしまう」という傾向が、今までありました。これは、「べき-べきではない論」に大きく影響されているもので、自然の摂理のうちの目に見えないものや起こり難い状況や状態についての仮想は、なかなかしたくない・しづらい・面倒くさい・煩雑すぎてやりきれない、などの理由から来ています。が、「ささやかだけれども重要な違い」は、このレアモノの中には、多数例たちよりも埋もれており、「常識とは実(げ)におそろしや」ということになるのです。

私も若い頃は、「勉強なんて要らない」と思っていたやつでしたが、実際、30歳過ぎて大学に戻ってから、ずっと何かしら学んでいます。24歳から集中英語コースに行き、そのあと飛行機学校に行き、ブランクを置いて、29歳から1年アダルトスクール三昧をし、30歳からいろいろな学校に好きで通っていますが、しかも、教えることも生業にしている昨今ですが、積極的に学ぶという態度は、私が自分の中でイチバン気に入っていることのうちのひとつです←こういう表現も英語を話すからするんだろうな、と、今見入ってしまった(爆)。「勉強」と称するから違和感があり、「学習・発達」とすれば不自然さは拭えるのでしょう。ところが、それを否定する人々は多く、大人になったらもう学習は必要としないとすら思いこむ人たちはかなり多い。

極端な経験至上主義でなく、経験主義を活用していくのは、本当にいいことだと思っていますhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E9%A8%93%E8%AB%96 。ただし、経験主義に伴う「実証主義」については、いろいろ上記に書いたような「まずこれありき。これは正しい」とするのは、根本的に揺らいでいます。他の可能性にまったく目を向けていないことが、態度としてあからさまだからです(なので、研究論文の主流は「反証主義」となっています)。

ヒトが経験することには限りがあり、その小さい枠の中でしか物事が考えられないというのはあはれです。白紙状態で生まれてきて、まだ何も印字されていない状態から、何を積み重ねてヒトが生きていくか?というプロセスで、経験主義を唱えて、どんどん経験していくことは大切ですが、過ぎたる経験主義は、直感や感性や信仰など、自分の経験したものだけで物事を捉えていきがちになり、排他的な考えに陥ることも事実です。その弱点をしっかり踏まえれば、個人こじんが持つ、ユニークでプライベートで特別な経験を、大切にすることができるので、私はJeffersonが好きです。彼だからこそ、Declaration of Independenceが書けたのだと思うのです(私がイチバン好きな文章です)。そこには、「べき-べきではない論」は存在してはならぬし、学習途上にあるひとりひとりを、責めとがめることはないはずです。

ただし、システム(機構)や団体については、個々人が独裁的な言動により決定していない限り、改良点については声を挙げたほうがいいです。私は、個人を嫌いになることはなく、個人の言動が嫌いと留めておき、彼(ら)が改良する余地がないと判断したところで、引き潮のようにざざざーっと引いていくことにしています。彼らが存続し、倖せに暮らしていくことができますようにと祈る気持ちは消えません。私との交流が必要ないと思えただけの話です。たくさんの人間が集まり、機能を最大化させていくシステムや団体については、改良点が山ほどあるはずなので、言いたい人は言えばいいです。ただし、個人攻撃になるようなことがないようにしたほうがいいです。独裁者であれば引退を提案すればよいだけの話ですもん。カストロのようにすごい独裁者もいますし、あながち悪いことばかりではないのかもしれないですしね・・・。

あ、長くなりました。昨日は調べ物だけであっさりと閉じてしまったせいで罪悪感があるのか、今日は真摯に自分の考えを書こうと努めたようです(爆)。ハイパーリンクも多かったので、引き算すると、結局いつもの長さになるんでしょうが・・・。

日本で一般にもてはやされる哲学は、体系的なものではなく、切り取り型が多いので、一度体系的なことをざらっと見てみたほうがいいよな、というススメでもありました。その一長一短を比較してみて、自分に取り入れられることは取り入れて、弱点もどう使えばいいものになるのか?を自分の中で消化していくのは、かなり楽しい作業です。哲学は、ヒトがヒトとして生きていくためには、役に立つ知識満載なのです。心理学では必修だったので、私はそれほど偉そうなことは言えないんですが←強制力がかからなかったらどうしていたか?は、ちと疑問(爆)。

 

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