勝ちたいという気持ちが強いのであれば、そのベクトルについて考えてみたほうがいいはずです。
ケンカをする相手が問題なのか、自分の中での美徳問題なのか。
相手に勝ちたいと思いながらケンカをしているのであれば、やっぱり表面的なケンカなんだろうなと思います。まずここでの大問題は、自分が正しいことをどうしても表明したいという気持ちです。あなたにとってAは正しいかもしれないけれども、誰か他の人にとっては正しくないかもしれないことは、この世には掃いて捨てるほどあることは認められるでしょうか?
その例が政治で、右派・左派とその真ん中に点在する考え方は政治思想だけではなく、経済や子育て、教育、街の美観やマスコミなどなど、多岐にわたるので、ものすごーい組み合わせの数になります。小学生の頃やった場合の数のスケール感ではとても理解しがたいやつです。
ヒトはどうしても自分のことをイチバンとして考えます。それは自分の姿が客観的に見えないせいで、世の中に属していることすらたまに忘れます(笑)。そうした意味では、相手問題のケンカが多く、どうしても自分の方が正しいと結論づけたいだけのことは多いです。上記のような事細かに分類されるさまざまな物事が、自分の思い通りに運ぶことは、心地よく面倒くさくなく、自分が努力する必要がないからですね。
もうひとつの美徳問題があります。上記のように、ヒトは他者を自分に与してもらいたい、という傾向があるので、表面的に折れてしまえばいいじゃないか!という説もご尤もな場合というのも多いかもしれないですが、どうしても折れられない、自分の存在意義を抹消されるような命題的なケンカというのも、ごく稀にあります。
そうなると、自分の美観・価値観・世界観に沿った世界・相手・物事に囲まれていくのがラクなのですが、社会生活をしていると、それはなかなか実現しそうにありません。人々はみな繋がっています。だとしたら、距離を置くのが最も安直な方向なのですが、実際には仕事を変えるわけにも、転校するわけにも行かず、そこで視界に入るだけで気になる、声を掛けられたらどうしよう・・・、などと、ケンカの機会が増えてしまうのですね。
そこでのケンカの極意は、「勝てないケンカは決して買わない」なのですが、相手から吹っ掛けられたときに、どうしてもリアクションをしてしまうこともあります・・・。(・・;) 自分がいかに正しいかどうか、というのすら問題ではなくなるほど、感情的で主観的に凝り固まることは誰でもあると思うんですよね。
子育てでもタイムアウト後、きちんとタイムイン:話し合うというのがセットになっているのですが、大人になると価値観が固まっているケースも多く、なかなかケンカにならない話し合いというのも実現は難しいです。となると・・・、やはり常日頃から自分のIdentity:存在証明についてしっかり把握し、それに沿った環境を整え、その中にラクで楽しい人々や出来事や物事を詰め込み、遠くの距離感の遠い人々とは、「ケンカはしない」が極意になります。
ここで、価値観テストなどをしておくと、かなり防げるケンカもありそげです。
さぁ、何に折れてはいけないかわかってきましたか?自我を前面に出したほうがいい相手と平和でさらに刺激的な環境の中、ラクに楽しく暮らしていきましょう!
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