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サバイバルのバロメーター

 [1999年09月08日]に書いた文章です

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生まれる親が選べないように、その親が自分を育てようとしている土地も選べません。でもそれは大きな環境で、たくさんのこまごました人間をユニークにおもしろくしたり、反対に歪ませたりいじけさせたりする要素を持っています。

小さい私には難しかった語彙「運命」はいつか逆らうための対象になりました。それをどうやって測ればいいか。それは小さい町の小さい人間だった私が、「どこに行っても通用する人間かどうか」でした。

場所はいろいろ変わったけれども、小さい頃からの口癖は「もしも北海道の寒いキタキツネしかいないところに住んでいても」だの(←この頃はムツゴロウをよく見ていた☆)、「ベルサイユ宮殿に住んでいても」だの(←これはベルバラの影響☆)、「熱いダラスに住んでいても」だの(←これは図書館通いしていたときにケネディ大統領についての本のタイトルから。だから暑いじゃなくて熱いなのですね☆)、「北極でホッキョククマと氷の下から魚を獲ってでも」だの(←これは多摩動物園に行って白熊がどうしてあそこに住んでいるのか不自然に思ったときのこと)、「カトマンズでポーター少女になろうとも」だの(←これは合気道で知り合った美術大学の講師でもあった2段のお兄さんがネパールの話を延々としてくれて、コインをくれたから☆)と、まぁ、土地はいろいろ変わっていったのですが、自分がどこかよその場所に移動していることを考えてみるのはとってもおもしろいことでした。

そのあと偉人伝読破をしたあとは、OO時代のどこどこ、なんていうバラエティも加わっていったのですね。

もちろん渡米するまでは、その調布市深大寺という場所を出たことはなかったのです。家はずっとそこで、遊びに出かけたり、仕事に出かけたり、学校に出かけたりしたものの、基盤はいつもそこで出発点も到着点もいつもそこだったような感覚でした。だからいつも想像力だけで考えていて、小さいスケールの「旅」や「移動」や「冒険」ができたときは、本当にうれしくてうれしくて、「どこに行っても通用する人間かどうか」を少しずつ、ものすごく瑣末なスケールで証明していたものでした。

こういうことを想像することがサバイバルへのチャレンジだと知ったのが、植村直巳を知ってからでした。小学校の高学年の頃、新聞に小さく載っていた記事を思い出します。「冒険家」という職業は日本ではどうも容認されないみたいでしたね。その後もヨットで一人旅をした堀江謙一も一時期もてはやされた時期もありましたが、いつまでも続くものではなかったようです。ま、それは別の話ですが、私は冒険家のパトロンになれるくらいの財力があれば、ばんばん出資したいと想っています←でも、ない・・・(涙)。

フツーに生きていると「生き延びている」「サバイバル」なんてなかなか意識しないもんです。そこには便利なモノがたくさんあり、慣れ親しんだ建物や道具や人々が居たり、文化にもアジャストしているので、ふとした事件やら日常でない何かが起こらない限りは、特別生き延びているなんて毎日意識したりはしないですね.

人間の毎日が探検家や女優みたいにドラマチックだったら、それはそれは本当に消耗しちゃいます。寿命の長さはあまり期待できませんものねぇ。たとえしあわせになるために環境を変えて結婚することでも、肉親や配偶者の死→離婚→失業などなどの順位より少し下がるだけで、わりと大きなストレスになります。環境の変化というのはそれくらいたいへんなことなのです

だから映画やドラマや旅番組を見て、読書をして、ついでに世界各地に引越できないかわりに余暇を使って経済事情が許す限り旅行するんですよねぇ。

西さんに出遭ってから登山とはまだまだ呼べないハイキング程度のキャンプをするようになったのですが、私は自分の子どもの頃の想像が甘かったのを知りましたね。トイレでしか排泄できない人間なんてサバイバルできるわけないっしょ・・・。いつしかティーンの頃から身についた傲慢さで、私は小さい頃サバイバーになりたかったことを忘れていました。初めてキャンプ場で草を摘んでからしゃがんだときに、そう言えば子どもの頃、トイレに間に合わないくらい遊んでいて、草の陰に猛ダッシュしていたことを思い出しました。人間って忘れることがあるからいいこともあるけれども、やっぱり忘れちゃいけないことってこういうところにもありますな・・・。

ま、その前に私はその小さな町から出たことすらない、ひとり暮らしをしたこともない、環境が一定していて、ささやかなバラエティや想像力のみで「移動性」というものを鍛え、サバイバルについてもふかーく考えていたのですが、いきなり親元から渡米してだいじょうびなんだろうか?という不安はなかったです。「パプアニューギニーに行くわけじゃないんだからさぁ、大丈夫よ。お金さえあれば一通りのモノが揃えられるし、同じ人間が住んでるんだからまぁイケるでしょ」なんて甘かったです。いやぁ、私なりには想像できる範囲で覚悟はしたんですよ、きっちり。言葉が違うってぇのもすごい不安で、それでもどきどきでおもしろくもあったし、食文化や容姿の違いや、いろいろ瑣末なこと想像して行きました。

「アメリカだから生き延びられているのよぉ」というのはたぶん正解でしょう。カリフォルニアでは大抵の日本食が手に入るし、食卓にかなりの和食が揃えられます。日系人も多いし、日本人駐在員も多いです。

「もう12年近く居るんだからほとんどアメリカ人でしょ?」とも言われますが、それもちと違う・・・。私は混ざったサバイバーです。日本人であることは棄てきれないし、アメリカと言っても人種がたくさんいてさまざまな文化があり、到底一口じゃぁ語れません。そのひとつひとつの文化を丹念に検証し、経験し、感じ考えても、まだまだ世界中には網羅してない文化もあります。

文化人類学を大学の教養課程で学びました。アフリカ大陸からいろいろな島々や世界中の文化すべてを学んだわけではないですが、いろいろな同じことや違うことを検証するときの、「態度」や「観点の大切さ」は学びました。なかには水を自分でろ過して飲料水にするだけで3時間以上かけている文化がまだ存在することもあったし、「昨日」という単語は実際の昨日のことでもあるけれども、3ヵ月前や1年前や200年前や1000年前のことも表している言語を使っている文化もありました。

私はまだまだしつこくどこかに移動して生き延びてみたいと思っています。たとえ日本から郵便が届きにくくても、電話がなかなか通じなくても、いいんじゃないかなぁと。NHKで派遣社員をしていたときの担当が旅番組で、知らなかった文化についての「態度」というものにくもりがなかっただろうか?と顧みると、あとから文化人類学で「これがもっとも有効である」とされている方法と酷似していたのがたいへんうれしかったですね。サバイバーになれるんじゃないの?私ってば、って感じです。

グリーンランドかハンガリーかアルゼンチンか、次はどこかわかりませんが、旅行ではなく数ヶ月以上住むために行ってみたいところはまだまだたくさんあります。消耗してもストレスになってもいいから、自分がサバイバルに挑めるかどうかをどうしても知りたいですね。

異文化へのサバイバルの秘訣は「郷に行ったら郷に従え」を最初に通し、一通り様子を見て学んでみることと、自分の今迄のやり方にそぐわないことや人に対して寛大であることと、自分の文化を最初から持ち込んで押し付けないことです。住まない人ならなおさらね。ただの一過性の旅行者であるならば、そこにあるものをいじって壊さないことです。住むようになるのであれば、そのあとからコミュニケーションをしてネゴシエーションをすればいいです。

これって日常でも使えるバロメーターだとは思わないですか?「私はこうだから」と最初から決め付けていてはなーんにも始まりません。譲れないことがあるなら、相手のやり方やまわりの環境でのやり方を見回し理解してから、それから「私」を出すのが王道ですね。

「それよりも今、この環境にいてサバイバルできるのか、の方が今のおめぇには大切だろう!」といろいろな人に怒られているわたくしではありますが、どこかすごい農園のすごい豪邸みたいなところで下宿屋制度みたいなところに住んでいる夢を見たので、つらつらこんなことを考えてしまいました←いつもこういう雑念が多いわけですね☆

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