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ノルマを課す

11/23/2007 にアップした文章です。

私は切羽詰らないと物事がスムーズにできない性質だと、何度も書いてきましたが、母は逆で、24時間やることがゆるやかに点在していても気にならないようです。眠る時間が途切れることなど、私にとっては「殺してくれぇ!」と思うほどイヤなことなのですが、母は「また寝ればいいだけじゃない」と涼しい顔をしています。やっぱりここのところは、「さすが主婦歴45年」って感じなのかなぁ・・・。身体がボロボロになるという感じでもなく、彼女は私が見てきた中でもトップランクの強靭な生命体で、今朝も「頭痛がする」と言っていたのですが、ノーシンを飲んで15分後に効いていました。ふだん、薬を飲まないので、みるみるうちに浸透するのと、彼女の心持が至って正しいのでしょう。不思議だ。そうなのです。彼女は69年の人生の中で、頭痛というのは記憶にある限りは、10回ほどしか体験がないようです。しかも、おかしいのは、頭痛がするからって頭を振るんだよなぁ(爆)。

ノルマ:(1)個人や工場に割り当てられた、一定時間内・期間内になすべき生産責任量。第二次大戦後、シベリア抑留者が日本に伝えた語。(2)転じて、各自に課せられた仕事などの量。

なんと、ノルマの語源はロシア語だったか・・・。いくらと同じくらいにびっくりじゃないですか(笑)。英語では、assignment, quotaに当たる言葉なのですが、私が今の今までこの語源を知ろうとしなかったのは、会社勤めをしたことがなく、協調性を必要とするような職場に属したことがないからなのでしょう。が、私は内職仕事のような単調な仕事は好きです。あまりにそんな仕事をしていないと、自分でこじつけて作り上げてやったりします>編み物やったり、初心者のための辞書を作成しようとしたりとか。

思うに、母のような人は、ノルマがないと不安なのでしょう。私はまったく大丈夫です。「自分で決めた、すること」がなくなると不安ですが、日々の中に私が必要とされていなくても、まったく気にしない。私などがこの世に存在しなくても、充分世界は廻っていくことは承知だし、私をどうしても必要としているのは、おそらくネコたちがイチバンだとは思うんですが、ネコたちにしろ、ごはんはすでに母に依存しています。ぬくもりが欲しい場合も、だんだん母で妥協できるようになってきており、夜のみんなでの「撫でて攻撃」はちとすさまじいものがありますが、そもそも仲間同士でいるので、鬱病になるほどに欲しているわけでもないし、むしろ、私のほうが撫でたり抱きしめたりすることでエナジーをもらってしまっている模様・・・。

私はノルマなど、少なければ少ないほどいいと思っており、自発的に何かをやることのほうがよっぽど大切だと思っており、いわゆるルーチーンワーク(どうして日本語でこのように使うようになったのかわからないのだけれども、やっぱり発音が違うとかなりな違和感あり・・・)は仕事のうちに入らないような気がしないでもない・・・。それらはあくまで習慣であり、すでに身についてしまっており、やらずにはいられないくらいにメカニカルなもの、と、おぼろげながらも定義しているところがあります。ぼーっとしている日でも、やっぱりメールだけでも10-20はあるし、授業の準備はほとんどしないにしろ、チェックもしているし、事務的な提出物はある。最近、ジャーナルをオススメしているのでその添削もしたりするし、このエッセイを書くだけでも1日1時間は確保しておかねばならぬ←実質的には40分くらいで書けるのだけれども、どうも気乗りがしないと時間が延長される。途中でゲームをしていて母にどやされる(爆)。

家事は目下、一切しておらず、母がボーイフレンドの家に泊まりに行くときだけ、私がネコと自分の面倒を見ればいいだけになっています。大した作業でもないので、これはノルマですらない・・・。セミルーチーンなのでしょうが、私が掃除機を掛けるたびに逃げ惑うネコたちを見ると、英語で謝っているのです。もうちょっとだからと我慢してもらえるように話しているのですが、彼らには聴こえていないのでしょう。そのあと、ゆっくりとひとりひとりの目を見て、真剣に「もう大丈夫だよ」と語る。英語では、Everything is OKというのも魔法の言葉で、そんなわけもないのですが、よく使いますね・・・。

私は製造業が日本にあまりに少なくなったと嘆いているわりには、自分では何も生産していないのだなぁと、つくづく悲観的になってしまっています。ノルマなんて言葉を使ったせいである(笑)。モノを作る職業に就いている人々には、すでにそれだけで+点が加算されるのが、私の中での常識になっています。私がモノを作れないという劣等感から来ていることは間違いなく、人間国宝級の方にもしも直接お会いするようなことがあれば、とんでもないミーハー態度でご迷惑をお掛けしそうなので、そういったチャンスをこれまでわざと作ってきませんでした(笑)←一時期、陶芸に興味を持っており、コレクションをしている企業の長から実現しそうな申し出があったので、丁重にお断りした。小さい頃は、リリアンの流行時にもその流れを避けてきていたし(まず最初のブームのときに買えなかったというのから始まり、キリのないあの遊びの目的がわからなかった・・・。何がきれいだとか何がステキだとかいう主観的要素の強いゲームにどうも乗れなかったのである。私はルールに則ったスポーツじみた遊びが好きで、わかりやすい子だったはずなんだが・・・)、編み物のときも同様。料理などは、やっぱり材料費が高くつくので失敗ができず、シュミはひたすら読書だったからなぁ・・・。

でも、子どもの頃のノルマは仕事のように思えてたいへんだったのです。ルーチーンワークではあるのだけれども、まだ習慣として身についていなかった時期には、本当に苦痛以外のナニモノでもなかったです。庭掃除や玄関掃除やその他、朝寒いときにも、夏暑いときにも、毎日よくも続けたなぁと我ながら関心する。もしかすると、あれが高じればお寺の小坊主さんくらいの仕事もこなせるようになっていたかもしれない・・・。うん・・・。

でもなぁ、小中学校の義務教育だけではなく、高校・大学を通して、アメリカに渡る前の私は、一切勉強をしなかった。学生の仕事は勉強だというのが真理であったとしたならば、私は本当に背徳者なのだ。どうしてああも勉強をせずとも大人になれたのか、今となっては笑って開き直るしかないんですが、ツケはツケとして残って、その分を取り戻すために、20代では英語と航空学、30代では大学に戻って勉強、と、本当によく勉強しました。でもねぇ、あの勉強ってぇのも、自分でノルマを課すものであり、周囲に強制されてやるもんじゃないよね・・・。私は自分で自分に強制するようになってから、勉強が本当に楽しくなった。惰性や義務でやっているうちは、身にならないということは、大人になってわかった気がする。なので、罪悪感をまったく持たないように心がけて、遊び日をわざと設ける。でないと、メリハリの悪いとんでもないサボりになってしまい、まったく生産性がないので。

そして、今、仕事待ち時間中の私は、自分に課すことができるノルマを考えています。ブログはひとつのノルマだったのが、習慣になったかどうか?たまに苦痛なので、習慣化していないのかもしれないと、ちと疑っているところです。書く日本語も昔よりはずっとマシにはなったのだけれども、飛躍的進歩はまったくないぞ、と・・・。上達が見られなければ、かなりうんざりした押し付けノルマになってしまうのであった・・・。

何かノルマを課すのにいいものはないか?と探しているのですが、どの通信教育もけっこう怪しい(笑)。とはいえ、昨日は化粧品のサンプル請求をしてみました。今後、ヤイノヤイノとセールス電話がかかってくるようになるんでしょうか?←何?実験しているわけなの?(笑)何か新しいことを始めて、自分にノルマを課したいのですが、独楽鼠のように働き者の母のそばにいては、霞むなぁ・・・。英語学校では働き者だと思われているんですが、実際は、働き者じゃないんだろうな・・・、と現実を噛み締めている私には、そんな幻想的嘘は通用しないのであった。やっぱりノルマを課さねば、と焦っているのでした。何かいいノルマないかなぁ・・・。縄跳び?(笑)

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