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不在の理由と復活!

2009/02/09にアップした文章です。

 

2ヶ月ちょっと休んでしまいました。ひょっとするともっと長かったかもしれません。最初のうちは、本当に忙しく、日々をやり過ごすのがやっとだったのですが、その忙しい最中、17年と4ヶ月もいっしょに生きてきたネコのうどちゃんがもういけなくなり、12月30日に虹の橋に行ってしまったのでした。そのあと1週間ばかり、私は呆けてしまい、何を見ても泣ける。子どもの頃のようにオイオイ泣けてしまい、とても外に出られず、お正月もタダタダぼーっとしていました。本を読んでもすぐに彼のことを思い出し、シャワーを浴びても思い出し、ごはんを食べても思い出し、PCをつけても思い出し、と、そんな調子だったわけです。このショックは、「いつ死んでもまぁいいか」と思えてきている私でも、なかなか乗り越えられるものではなかったです。そして、日々もきちんと機能させて暮らしていかねばならぬ・・・。

 

17年と4ヶ月というのは、長いほうなのかもしれませんが、あと2年くらいは生きて欲しいと、私には業突く張りなところがあったので、突然具合が悪くなり、8日間ほど付きっ切りで看病したあと、私の腕の中でまったくあっさりと逝ってしまったことに、安堵感と共に無力感を覚え、西さんとは8日間とその後の5日で30通近くのメールを交わしました。肝心なときに頼りになる人なのだ、という証明がまたもやできたので、その存在にまたもや感謝しています。

 

どういったプロセスを経て、心も頭も納得させて日常に戻っていけばいいのか?というのは、以前に飼っていた犬やネコも合わせて、野良猫や野良犬を世話したことも含めて、予行演習だらけだったはずですし、それなりに長く生きてきて、人にも先立たれて空虚な気持ちは何度も経験したはずでした。が、いつも感じていたことは的中しており、殊これについては、いくら経験したとて、実際のところ芯の芯のところでは役に立つわけではないのだということを、さらにはっきり確信しました。

 

この命題を最終的に悟るために、人は宗教に依ることが必要だと思えたのが、いつしかそれが生活そのものを支配するようになり、政治にまで使われるようになり、健やかな心と身体を保ち育てるためのマイナス要素を持つようになるのですが、せっかくのこのプラスの要素を、無宗教論者を自称している私が、どうしても使いきれるわけなどもなく、かなりな空回りする心を持て余して、うどちゃんが死んでからいつしか1ヶ月以上経ちました。ヒトがなぜ大きな大脳皮質を持つように進化したのか?という諸説の中のひとつに(手を使い始めて脳が発達したというのが基礎の基礎の学説ですが、そこからヒトが定住し社会動物として形態をますます進化させていくプロセスにいくつかのポイントがあります。そのひとつのポイントということ)、『死んでしまった仲間を葬る』というのが、かなり最初に出てきます。その葬ることは儀式となり、今日までに至るのですが、私は自分の葬儀に関してもSayを持つことができるようにしています(遺書に書いてあるということ)。そして、うどちゃんはどうされたいのか?というのを考えて、私といっしょに散骨してもらいたいと勝手に結論づけて、日本の墓所には入れないことを決めて、私のそばに置いています。

 

それゆえ、未だに骨壷を見るたびに泣けるのですから、乗り越えるなどと思わないほうがいいのだろうとは思うのです。

 

ただ、これだけめそめそしている内容を言及すると、ただただ感謝の気持ちで、それが続かなかったことに対する未練です。「もっとこうしてあげたかった」「こうしていたらよかった」というのがないことに、死者に感じることに対してありがちな「やらなかったことに対する後悔」ではないことが、せめてもの救いです。

 

うどちゃんは借家住まいをアメリカでしていた頃のお隣さんが、放置と虐待をする傾向にあったので、我が家に来て産んだ、というお母さんから生まれた子の中のひとりでした。4匹いたのですが、イチバン大きかったので「うどの大木」のうど。そこから1回日本に留学し(私の父の具合が悪くなったので、私の帰国に連れてきてしまっただけなのですが)、アメリカのカリフォルニア内でさらに5回もの引越しにたくましく生きてくれて、その揚句にまた日本に連れてきたのです。その間、何匹かいた猫たちの中で、最も順応性が高かったのがうどちゃんで、それはとりもなおさず、「経験」の積み重ねもありましたが、私をひたむきに信頼してくれていたからだと、今ならば結論づけられるのです。

 

このたくさんの移動がうどちゃんにとってよくなかったのか?だから17歳4ヶ月以上生きられた本来の能力を低めたか?というのは誰も正解にはたどり着かないと思えるので、やっても詮無いことです。が、あえて付け足してみるのであれば;日本に来たことでナマのお刺身がさらに好きになり、その嗜好はネコとは思えぬほどのParticularity(選別性)があって、カツオにしろサーモンにしろマグロにしろ、彼の鼻と舌を信じておけば、いいお店がわかるほどでした。なので、確かに腎臓病を促進はしたものの、そのプロセスで彼は移動もまた新たな順応対象を運んできてもらえたと楽しんではいたのです。そうです、学習するネコだったのです。彼がどんなに私の支えになったのかは、これ一事だけ取っても余りあります。大げさな言い方ではありますが、猫生を賭けて、うどちゃんは私にどんな風に生きていけば実りあり、幸せなのかを教えてくれていました。日々、無償の愛を与え続けて。

 

がゆえに、私には感謝だけが残り、まだまだ教えていてくれよぉ、という未練ばかりが残るのです。まだまだその無償の愛を与えていてほしいよぉ、という・・・。ネコに導かれて生きていくヒトがここに実在し、日々、生徒さんたちに英語を教えています。うどちゃんがいてくれたがゆえに、私はよりよいレッスンができ、彼がいなくなっても、ますますそれを肝に銘じる日々が続いています。

 

余談ではありますが、残されたネコたちもしばらくは放心しており、太っていたトラはかなり痩せました。そして、ヒト嫌いだった彼が、うどちゃんと同じポジションを取ろうとしていることが、私には痛いほどよくわかり、また夜な夜な泣くのです(苦笑)。αMale(男の中のボス)という位置ではなく、私への愛情の位置という意味で、だんまりだったトラが鳴くようになりました。うどちゃんの真似なので、うどちゃんは私の胸の中だけではなく、トラの胸の中にも生きているのだなぁ・・・と、それはいたいけない行動に胸がいっぱいになるのです。写真や骨壷に対する敬意のようなものを見せているネコたちには、観察実験をした私としては、「いやいや、これは敬意だってば・・・」と思わせる材料があります。さらに泣ける事柄が増えていくわけですが・・・。

 

うどちゃんを喪ったことで、私は何を得て何を失ったのか?彼が17年4ヶ月与え続けて見せてくれてきたものを、その支えによって成長してきた私の存在を、今後も得続けていくことができるよう、身に染みて決意を新たにしているところなのです。が、毎日泣くのはこれまでも8歳くらいから続けていることなので、今後も続けていくのですが、その中に「うどちゃんがいないこと」が付け加えられており、それが身勝手な未練から出るものではなく、すべての存在や言動に影響され、支えられてきたことで私が存在し得てきたことへの感謝であることを祈っています。

 

長らくおやすみしてしまいましたが、これほど呆けているのもいい加減疲れてきました。そろそろ復活のトキです。ちなみに、西さんは日経ギャラリーに3回ほど、台湾の山道について書く予定になっています。が、最初は1年連載という話ではあったので、今後、実際に掲載されるまでどのような事態になるかわかりませんが、一応出版物での書き手デビューではあります。

 

私の明日からのエッセイは、気を取り直して、これまでの不在を埋めるがごとく、考え感じたことなどをしっかりお伝えしようと思います。今後とも懲りずによろしくお願いいたします。

 

 

 

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