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人の一生

04/17/2007 にアップした文章です。

 

最近、刺激的な生活をしていないせいなのか、あるいは人の人生など、目に見えない、特筆するほどのことはない、こつこつとした積み重ねの日々がいつしか結果的にはよい方向に進む、という常なのか、読書三昧+仕事+平穏な精神生活を重ねています。とはいえ、私の平穏な精神生活というのは、健常者から比べると、相当にブレがあるようなので、日々の喜怒哀楽は浪波のアップダウンが多いようです。が、それも手馴れたものなので、かなり平穏に感じているところ・・・。そして、人の一生について、かなり第三者的に考えることができています。

山本周五郎もあと数冊ですべて読み終わるところまで来ているのですが、今回読んでいるのは、『ながい坂』で、周五郎の長編の絶筆になった作品です。8歳の頃、足軽組頭の父を見て、言葉では言い表せないことを感じた主人公が、英邁をさらに高めて、藩内で登りつめていくことや、結婚生活やその他を描いたものです。時間に関する感覚というのは、人によって様々ですが、過ぎてみれば短く感じ、つらいことは長く感じます。他人の人生なので、8歳から20歳くらいまでの苦労は、かなりあっという間に感じたのですが、そこまでにはかなり感情移入も成されており、その後の苦労はなぜかたいへんに長く感じるようになります(笑)。

ならば、自分の一生はどうなのか?私は、43歳になりましたが、あと半分ないかもしれないこの人生を、「思ったより長いもんだなぁ」と思いつつ生きています。平均寿命まで到達すれば半分くらいなのかなぁ。おそらく、本をたくさん読むせいで、他人の人生をたくさん読んでいるがために、しかも、活字中毒の中でも、プロフィールや簡単な略歴を読むのが好きなせいで、いろいろな人の人生の足跡について、「やはり人生はそれほど短くはない」と感じています。現代人においては、移動時間が目を瞠るほど短縮できたことで、その時間の使い道にバラエティが生じたことや、便利さが格段に発達したこともあります。他にもさまざまなテクノロジーの発達により、夜中でも勉強ができるし遊べるし、人と交わったりもできます。どこの誰ともわからない人々が考え出したテクノロジーを、仕組みも知らず感謝もせず使っている人が大半なのではないかと思うのです。それでも、人々は生きていけるし、昔の人たちよりずっと長生きできる。なんだかフェアではない気もしているわけです←厳しいのかしらね・・・?なので、せめて私だけでも、と、何に関しても興味を示して、仕組みや歴史や法則性などについて学び、明日の自分に生かして、次世代に残したいと思いつつ、感謝も同時にしながら生きているわけです。なので、人生は長い気がしてしまうのよ・・・。

夕べも、お友だち夫妻とごはんを食べに行ったのですが、昔の話をたくさんしました。食事はとうに終わっていたし、飲んだわけでもなかったので、なぜか盛り上がって辞すことができないほどに次から次へと昔話が出たのだよね・・・。最初に、お肉やさんで売っていたコロッケの話(笑)。ここからなぜかフルーツや文房具やお肉やカレーなどの話にまで行き、止め処がなかった(笑)。私より一回りくらい年代が上のお友だちなので、コロッケは5円だったそうです。私のときは15円だったのだろうと思う(自分で小銭を握り締めて買いに行けるようになったときの値段)。メンチカツやハムカツなどのコロッケの種類の話までに及び、なんだか本当にいつもは話さないこんな話を、人はしたいものなのだなぁ、と実感したのよ。だから、やはり「人生は短いようで長い」のだと感じたのだろうと思うのです。

そこで、私は「もう43歳」なのか、「まだ43歳」なのかを思うのですが、長いと感じているわりには、「まだ43歳」などと思っている図々しいやつです(笑)。11月から産業カウンセラーの通信講座を受けることにしました。http://www.counselor.or.jp/guest/course.html 日本の資格を持っていないのは痛いので、おそらくこの先数年、日本に住むのが私の日本居住の最後になるだろうと信じているので、取っておこうかと。まだまだこの先があると思わねば、資格なんて取らないだろうなぁ、などと、自分の楽観に多少呆れてもいるわけです・・・。テキストさえあれば、独学でもいいかなとは思うのですが、通信+スクーリングに参加するのは、日本の現状を把握し、実際に体験するのにとてもいいだろうと踏んだからです。

さらに、西さんがたいへんにおもしろいことを言っていたのですが、私という人間は、「犬も歩けば棒に当たる」(物事をしようとしている者は思いがけない災難にあうものだというたとえ。また、思いがけない幸運にあうことのたとえにもいう)を地で行っている人間らしく、どこでも誰かに出会い、何かを取り入れ何かに繋げることが、妙に多いのだ、という感想らしい。なので、西さんいわく、「パートでもいいから、バイトでもいいから、好きな業界があったら行ったらいいよ。これが最後の日本だと思っているならばなおさらね」などと、軽く言うのである。それもあって、私は某化粧品会社の社長付の通訳を、短期なこともあり引き受けることにしたのだ。特にコネを望んでいるわけでもないのだけれども、世間を広く見ることや、自分が見たこともない、未だ興味のない世界について知るのは、なんだかワクワク♪

こんなことばかりやっているから、本来ならば「もう43歳」と、うんざりしなければ道理にかなわないところなのかもしれないのだけれども、私はマダマダいろいろな人と出会い、いろいろなことを見て聞いて、いろいろなことをするのだ、と決めて掛かっているので、「まだ43歳」と思えるんだろうなぁ・・・。

たまにはうんざりするのだけれども、なんだかそのうんざりは、子どもの頃、早く大人になりたい!と念じていた頃に比べれば、自由度が増しているので、大した苦ではないのだ。使えるお金もゆとりがあるし、移動も多摩川に歩いて勇ましく探検に行く、などという小さいスケールでもなく、気が向いて実行に移すだけの熱意があれば、札幌や和歌山にラーメンを食べるだけのために移動できるってことが、まるで夢のようである←あ、やってないですよ、コレ。私はたいへんに計画的な人間なのだ。そうは見えないらしいのだけれども(笑)。ただ、今週中に日帰りで、レンタカーで静岡にお墓参りには行くよん♪先月のお彼岸に行けなかったので。

何がうんざりするかって、パチンコだよね・・・。あれをやっている人々のうち、何%の人が「こらえ性」「忍耐力」「人生の機微」を感じつつやっているのかは知らないのだけれども、私の場合、統計学を駆使して「期待値の高い台」を選んでやっているにも拘わらず、5~15%くらいの割合で起きるアクシデントや、データの詳細を間違って読み誤ることがあり、たまに長いあいだ、空砲を撃たねばならぬことがあるのだった。その「待ち」というのは、ものすごい忍耐力が必要で、しかも自己否定の連続なのだ(爆)。だから、もうやるからには勝たねばならず、あまり時間もない昨今なので、さらに短期決戦ばかりを選んでいます。「そんなことがどうしてできるの?」と、パチンコで知り合った人々には言われるのですが、「だって考えてよぉ。コレを作る人がいるんだよ!?どうして使い方くらいマスターしないのだ?」と、中学1年のときに、小松先生にコピーマシンについて言われたことを、ここで再現しているワタクシなのです(笑)。パチンコの台を作っている人とたとえ会うことができたとしても、守秘義務の誓約書を書いているから、何も教えてくれないんだろうな・・・。恋仲になってもダメなんだろうな(笑)、などと最近は思っています。でも、勝ってるからいいんだけどね。もっとラクしようと思うと、パチプロになってしまうので、やめておきます(汗)。

とはいえ、長い人生のなかでも、わりと簡単に結果が出せるのが、春先のエクササイズ。やらねばならぬだろう・・・(汗)。歩くだけでも相当に違うので、やりたいのだけれども、どうもまだ排ガスの多い空気に抵抗がある。タバコを吸うのに何贅沢こいてるのよっ!とは母の言・・・。はーい、やりまーす!長い人生なので、健康な時間をより多くせねばね♪

 

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