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人を殺したあとの人生

Jan 10, 2006 に書いた文章です

たくさんの事件ドキュメンタリーを見てきて、冷静に見ているつもりでもたまに Awestricken(畏敬の念に打たれる)ことがあります。

Methamphetamine (いわゆる天使の粉;日本ではヒロポンと呼ばれる)の中毒状態で、市民を巻き込んだ事故を起し、警官を負傷させ、逃げ落ちようとしたところで殺人まで犯した中毒者を逮捕するときに、警察官が言った言葉が印象的でした。息子も成人したばかりの22歳の保安官で、いっしょに追いかけていたのですが、「息子にたとえ正義だと言えども、人を殺させるわけにはいかない。正義であろうとも不正義であろうとも、人を殺したあとの人生はつらいものだから。俺なら長い警察人生でもう済ませてきたことだから、撃つなら俺が、と思っていた」と。なぜこのカットを編集後にあれほど印象強く残したのかも、私にはよくわかり、なんだかポロポロ泣けてきてしまいました。

彼は、人を正義の名の下では撃っていい資格を与えられた人間であるけれども、それでも、それは悲しくてつらいことだから、できることなら自分の息子にはさせたくないと言う。親心だから泣いたのか?-Yes.でもそれだけではないですね。

取り返しのつかないことの最たるものが、コレだと私は常々思っているのです。生命を奪い取ったあと、返すことができないことは明白です。その生命がこれまでどんな内容の人生だったとしても、生命は可能性を秘めており、それぞれその生命を大切にしている人々が後ろにくっついてきます。人殺しだけではなく、すべての生命だと私はみなしており、他の種に対するそれぞれのテイクは個人に任せます。ありや蚊を殺す人を私はまったく責められないし、豚も牛も鶏も食べていますから、彼らのおかげで私は良質プロテインを取れているわけです。他に、文化の相違で犬やネコを食べる地域もありますが、私はそれに対しても敬意を払っており、「私にはできない」だけで、他人がやることについてなんら異議を唱えません。動物愛護の気持ちはあるにしろ、他人の思惑を私が力を以って変える気はありません。

シリアルキラーではなくとも、意図的殺人ではなくとも、たとえば交通事故で人を誤って殺してしまうことがあります。その人たちの人生は本当に前後では天と地ほどの差ができることでしょう。それを想うととても切なくなります。意図的であった人が、改悛をしたあと、自分の過去を塗り替えられないことを確実に知ったときの居ても立ってもいられない気持ちはどんなものでしょう?

私は愛する人を殺された経験がありません。「被害者や遺族の立場が弱い」と常々日本では世論が立ちます。遺族の反応は3つに分かれます。「犯人をどうしても許さない」「法がどうであろうと神に裁かれる」と、その真ん中です。真ん中の人々はおそらく、時間をかけてどちらかに強く傾いていくのでしょう。

私は、殺されませんでしたが、ひどい被害者状態に陥りました。が、相手のことを許す・許さないという考えから脱出したことを機に、PTSDは瞬く間に回復しました。「相手が今どんな状態であろうとも、最終的には彼の人生であり、もしも神がいるなら神に裁かれるだろう」という考えに、私は至っています。人を恨み続けることそのものが、とてもエネルギーを使うことです。私にはその贅沢は持ち続けられませんでした。同じ輪(陸上のトラックようなもの、あるいはハムスターの運動器具)をぐるぐる回り続けるのは、とてもつらい。同じ景色をずっと眺めて、体力を使い、何度も何度も自分の非までも回想するのはつらいことでした。最終的には相手の落ち度であっても、それに至るまでの原因要素が私にゼロだったとは言い切れません。相手を責め続けていくことは、同時に自分をも責め続けていくことと同義だったのです。

刑事事件になり、犯人が裁かれたとしても、遺族も被害者も自分の心の深い海の底をさまよい、いつかはやはり呼吸をせねばやっていけず、海の底に居続けるのか、陸に上がろうとするのかは、本人次第です。が、当然、犯人や加害者は、こうしたことに気づいてしまえば、彼らの心の深い海も泳ぐことになります。だから、とてもつらい。自分がしたことがいかに取り返しがつかないことなのか、やはりわかるわけです。気づかないバカ者であれば、恨むエネルギーを使うことさえもったいないと思えます。

FBIであろうが、警察官であろうが、軍役官であろうが、刑務官であろうが、人を殺してしまったあとは、やはりつらいのです。木の股から生まれた生命はひとつもなく、その生命にも母がおり父がいます。兄弟や友だちや恋人や配偶者や子どももいるかもしれません。考え方の相違や社会のモラルコードがどうであれ、相手がそれに反していたとしても、論理的に正義だと許されたとしても、生命が戻ってこないのは確実なことです。

US犯罪史に残るシリアルキラーで、Green River Serial Killerがいました。1982年から21年の長きに渡り彼は捕まることがなく、シリアルキラーという造語を作ったきっかけとなったTed Bundyが捜査に協力しました。が、それでも捕まることはなかったのです。が、2003年の11月、ついにGary Ridgwayは裁判所にその姿を現しました。すべての被害者は、ワシントン州の有名売春通りで身体を売る売春婦でした。49人の名前が呼ばれ、ひとつひとつに “Guilty, your honor” (罪を認めます、裁判長)と答えていきました。彼の勤務先であった車の塗装工場が使っていたペンキが、デュポンの特殊ペンキで、それが切り札となり、4つの殺人でのDNAも一致し、逮捕に至りました。が、残りの44の中で、発見されていない遺体もあることから、検察は罪の軽減の代わりに場所をすべて教える条件を出しました。彼は死刑にならず、終身刑になりました。これは検察側の独断ではなく、遺族団の総意です。

その裁判所で、2003年11月3日、あるひとりの老紳士が、「あなたはとても難しい試練を私に与えてくれた。神を信じる私には、神の言葉に従う義務がある。神はすべてを許せとおっしゃられた。だからあなたは許されています」とRidgwayに語り掛けました。この結論に至るまでに、この老紳士は大いなる苦悩を抱き、娘がいなくなってしまった孤独に耐え続けたと慮られます。Ridgwayは表情をまったく変えない、反省のない無機質な男ではあったのですが、この言葉には泣いていました。そのあと、自分に与えられた使命である遺体探しに能動的に協力するようになったということですが、彼がどのくらいの贖罪を果たすのかは、彼と神のみぞ知るところです。が、私はこの老紳士の純然たる心の美しさに、畏敬の念を隠しきれませんでした。私に同じことができるか?したいと思いますが、私は生命を奪われたことがありません。だから、やはりわからないのです。

さらに、私はまだ人を殺したことはありませんが、正当防衛であれ憎しみからであれ、この先も絶対に人を殺さないという保証はありません。が、ここまで考えてきたのですから、ぜひともそんなことにならないようにするしかないと思っています。車の運転も、若い頃のように無茶はしなくなりました。被害者にならないように気をつけることにも以前に増して敏感になりました。冷たいと言われようが、相手をしっかり確認しない限りはドアも開けませんし、人ごみでなければ誰かを助けるためであっても立ち止まることはありません。

人を殺した人を責めることは簡単すぎるので、私は一切しません。そんな簡単なことを歴然とするために、私は生まれてきたはずではないのです。

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