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倦怠と憤懣

09/20/2006 にアップした文章です。

 

9月14日に調布市立図書館の本館で、貸し出しカードを作成してもらって、一気に16冊借りてきました。本日、9月18日、すでに半分以上を読み終わってしまい、日本語の本は買うものではないことがすでに判明・・・。Thank God for making humans create this wonderful system! 人気者なのか、東野圭吾の著作は、3冊しか借りられず、私が読んでいない本は必ずあと10冊ほどあるはずだと踏んでいます。

さて、今日のお題。

倦怠:(1)あきていやになること。(2)心身がつかれてだるいこと。

憤懣:いきどおりもだえること。腹が立っていらいらすること。

宮部みゆきの『クロスファイヤー』を読み始めて考えていることですが、大人であれば、最近の犯罪の極化には心を痛めていると思うのです。犯罪の低年齢化を防ぐにはどうしたらいいのか?しかも、その悪質性を減らすにはどうしたらいいのか?一昨日のエッセイが、「悪気がなければ・知らねければいいのか」を問うたものでした。まさしく、この教養や一般常識、人の心を身につけているかいないかのレベル問題です。飲酒運転にしても、「そりゃ悪いに決まってる。見つからなければいいわけだし、誰にも迷惑がかかなければ」と正当化している人々は必ずいます。

子どもがいない分際で私が何を言えるのか?日々何を実践しているのか?と懐疑的な方々もおられると思うのですが、姪っ子や近所の子どもたち、ボランティアワークなどで触れ合う子どもたちなどなど、私にも子どもだった時代を胸の中で大切に思い返すことは大いにあります。私がよかったと思うこと-読書や遊びの開発や子ども同士で触れ合うこと-は大いに分け合っています。が、早期にやらなければよかったと思うことがあるほど私は経済的に恵まれておらず、ポルノにしろ、土曜ワイド劇場でお姉さんのおっぱいを見てしまった程度だったので、月経の仕組みや性についても小学校高学年で知ることとなり、特に早期でもなかったわけです。普通のTV番組と父や母や周りの大人たちの話は、教養や教育程度ではごくごく普通の害のないものが多く、強いて言えば言葉遣いとマナーでしょうか・・・。それは「父近辺ボキャブラリー&マナー」と「世間一般常識用ボキャブラリー&マナー」の2セットがあり、16歳でバイトを開始したあたりから使い分けるようになります。いわゆる、地方の人々がお国の方言を東京に出てきてから封印するのと同様なモード分けがあったわけです。

何度も繰り返すようですが、私は1種類の運動か美術関係の習い事以外、子どもには早期に習い事を無理やりさせることは反対です。子どもが好きで習い事をしたいと言うのであれば、運動か美術関連の好きな分野から1個だけを無理なく、大人になってから「ああ、続けておいてよかった」と思えるレベルになるまで、最後まで続けてもらえるようにするのがいいでしょう。実際に、早期に開始したからといって、天才レベルやメシの種になるほどの逸材は確率としてとても低いのです。それよりも、子どもが日々努力をして成果を身につける方法としての、好きな分野を選ぶことが大切だし、目の玉をひん剥いて必死になるのは逆効果なわけです。

英会話などを始めとする言語も同じくで、2歳までに音だけを聴かせておけば、成人した後でも発音はマスターできます。音楽やTV番組を流しておけば大丈夫です。ロシア語講座であろうが、中国語やイタリア語であろうが、耳の細胞から脳に伝わるまでの発音の露出が2歳までにあればいいわけですから、習い事に行かせて、お友だちと遊べなくなるほどつまらないことはありません。

現代の犯罪低年齢化の原因は、『倦怠と憤懣』だというのを、宮部みゆきが主人公のひとりに語らせています。なるほど、核までひん剥くとそういうことになるのだ、と私は納得したわけです。習い事をひとつにしたほうがいい理由も、この倦怠と憤懣に関連しているのはわかるでしょうか・・・。

「飽きてしまったら次がある」と親が紹介してしまうことにより、子どもが世間全体のモラル観や人生の礎となる出発点にごく近い道のりで躓きます。複数やってしまえば、こらえ性がついていない子どもであれば、好き嫌いで物事を選びがちになり、あるものは飽きてしまい、あるものには努力を怠ることになります。複数を選び、掛け持ちするのはこういう不利点があるわけです。新しいものはそりゃ楽しいですよ。生命体の本能であるメカニズムに組み込まれています。逃げることはできません。危険なものを察知できることと楽しいことを追求する力を兼ね備えており、Novelty(新しいもの)には子どもであればさらに飛びつきます。それが本当の才能なのか、適正なのか、親や教師の利害が一致するケースもあり、誰が純粋に解析できているというのでしょうか・・・。ましてやそれを繰り返していくとどうなるのか・・・。倦怠感はどんどんと増え、留まることを知らなくなり、さらなるNoveltyを探し、またもやそれに飽きるのです。極めるための努力はせずに、花から花へと。

そして、憤懣も増えます。自分にはなく、他人が持った実力や才能に妬み悶えることを、子どもの頃から植えつけていくことになります。他人のことを自分のことのように歓べる力を持てず、成績以外でもがんばらねばならぬ、順位社会や学歴社会や持っているもの勝ちの価値観をどんどん強化していくわけです。

福原愛ちゃんという卓球選手がいます。彼女は負けるとものすごい癇癪を起こして泣き喚く・・・。とにかく負けたくない。負けることが悔しくて悲しい。子どもの頃は、自分に勝つことではなく、他人に勝つことをきっとバロメータにしていたはずです。自分の去年、それ以前の成績や、自分の卓球に関して考えられるようになったのは、6歳のときではなかったことでしょう。結果的には彼女の暮らしぶりや選択はいい作用をもたらしたわけですから、彼女を責めるものではありません。が、第二の福原愛になれるほどの才能を持ち、そのために努力を厭わない子どもが何人いるというのか・・・。Tiger Woodsでも誰でもいいのですが、自分の子どもが「もしも天才だったら」という仮定を持つことのほうが、ちょっと飛躍的すぎると思っていただきたい。

競争がいけないと頭から非難しているわけではなく、平凡に暮らしていても比較だらけなのです。さらに比較要素を増やすのは、so much growing up to do (たくさんの育っていかねばならぬこと)がある子どもたちにいいことなのかどうか、ちゃんと大人が考えることです。

人を蹴落とし、負けずに孤高の人となる人生を、どうして年端も行かぬ子どもたちに教えようとするのか、私は今以ってわからぬところです。遊び、慈しみあい、ケンカをし、ルールを自分たちでどんどん進化させていき、泣いたり笑ったりする、しかも打算なしで。コレらができるのは大人になってからは、メンツが限られてくるわけです。だったら子どもが子どもでいられる時期は長くしておいてあげてほしいと願うのです。

こうして、その習い事や英才教育や他人よりもまともになってほしいと願う親心が、若年層の倦怠と憤懣を増やし、普通の子ですら犯罪事件に頻繁に登場するようになります。自宅に放火したり、塾に遅れないために自転車に乗りながら携帯で話し、人を引いたり倒したり、おもしろいことをしようと犯罪ちっくな行為を繰り返したり、などなど、枚挙に暇はありません。そもそも、倦怠や憤懣なんて、お願いだから18歳以下で感じないでほしいとは思いませんか?不憫に思いませんか?夜遊びをして、めぐりめぐっていつしか売春行為やドラッグに流れていくのも、この倦怠や憤懣のせいだとも言えます。

私はめったに倦怠や憤懣は覚えません。パチンコを好きでやって疲れた・飽きたなんて言えない(爆)。会社を好きで興してかったるいなんて言えない。勉強も人と会うのも楽しく、エッセイを毎日続けるのも楽しいです。「だるい・かったるい・むかつく」などなど、本当に困ったボキャブラリーであることを再確認してみてください。

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