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兵どもの夢のあと

07/30/2007 にアップした文章です。

 

 

私は政治をあまり信じていない、悪いほうに属すであろう国民なのですが、それでも関心がないわけではなく、二日酔いの治ったあと、速報をつけて見守っていました。途中で疲れて眠ってしまったのですが、やはり気になったようで、朝っぱらの4時過ぎに起きて、最終を見ています。あと1議席というところなので、もう終わったも同然なのですが。選挙はせねばならぬし、そうでなければ民主主義は実現しないのではありますが、非国民だと誹りを受けるであろう私は、この莫大なお金が動いたことそのものに、どうもやるせなさを感じています。

この莫大なお金を礎にして、本当に政治が変わるのかどうか?と、疑う気持ちのほうが強く、願いや希望が希薄なのは、哀しいことです。けれども、繰り返されてきたこれまでの実績に、それほどの期待は持てないわけで、殊、政治についてだけではなく、私は期待全般をしないことを自分で躾けているので、結果、そうなってしまうのでしょう。かと言って、まったく政治に無関心なわけでもなく、どうも気になるのだから、やはり完全なる非国民でもなければ、まったく希望を棄てているわけでもないのでしょう・・・。ただ、出発点である、多数決というのが、どうも矛盾点を孕んでおり、これ以上にいいシステムがないために、その欠点に関しての弊害が気になってどうしようもなく、パワーゲーム以上の恩恵を呈していないところが、私にはどうも不信感なのです。

たとえ、どんなにいいアイディアを持った人間が、「何かを始めなければ変わらない」と意気込んで政治家になったとしても、小手先の数字パワーゲームで、飲み込まれてしまうという現実には抗えない無力感を味わい、過去、何人もそんな人々を見てきました。いつしか、渦中に身を投じた人間は、自分もその環境に影響されていることを意識できなくなり、魚心あれば水心になるのも見てきました。「いや、俺は違うぞ!」「私はそうはならない!」と言われても、どうもすぐさま信じられるわけではなく、「じゃ、見せてよ」ということになるわけです。コレもある種の、Learned Helplessness(学習してしまった無力感)です。

与党がボロ負けをした結果になりましたが、あまりにドラスティックな変化は危険であるという報道もあり、どんな成り行きになろうとも、文句や不平を言う人は、永遠に言い続けるんだろうな、と苦笑しています。あ、私か?(笑)死んだ父は社会党支持だったのですが(しかも、私が渡米してから社会党はなくなっているし・・・苦笑)、政権交代をしたあの1期がなつかしいです。彼はそれを見ることなく、死んでしまったのですが・・・。朝刊には、「歴史的惨敗」というタイトルがついていますが、父がこの状況を見ることができたら、きっと歓んだことでしょう。

私がアメリカに住んで、Fairnessを少し感じたのは、二党しかないというシンプルさ。もちろん、その二党の中にも、いろいろな思惑がありますが、国民にわかりやすいのは、左右どちら寄りなのか?という簡単なバロメータで、究極的な二元論の基本に則っているわけです。なので政権交代もしょっちゅう起きており、二党とは相容れなければ、無所属として自分の主義主張を前面に出していけばよい、というわかりやすさなわけです。ここには、党派と党派が結びついて過半数を占めようとする、与野党の内なる争いはなくなります。そもそも、帰国してびっくりしたのは、公明党と自民党が表向き仲良くしていたことだ(爆)。こういうやり方は、「セオリー通り」ではあっても、私のような性格の人間には、姑息としか映らず、たいへんにがっかりする要因です。みんなそれを受け容れているんだな、と思うと、無力感はますます募るわけです。

参院選にありがちな、知名度を利用した候補者もたくさんいて、この相変わらずな傾向に辟易もしていました。誰でも政治家になれるのは、いいことである反面、やはりそのリスクも大きいわけです。いつからなんだろうなぁ、有名人が政治家になるトレンドができたのは・・・。おそらく、最初が石原慎太郎で、青島幸男や横山ノックあたりが定着させて、女性も進出して(扇千景や山東昭子など)、プロレスラーや芸能人がどんどん政治家になるのがトレンドになったんだろうなぁ・・・。今回も、横峯さくらの父親や元アナウンサーや、TVで引っ張りだこの教育家や弁護士が出ていましたが、みんな当選していた・・・。とはいえ、川田龍平くんもある種の有名人であることには変わりなく、ああして生きていくのが、彼の行くべき道だったのかなぁとも納得できる部分もあり・・・。

私が政治家になるなんてことは、天変地異があってもありえることではなく、ゼッタイがないこの世の中でも、かなりゼッタイに近いことなのである。なので、気持ちはわからない。この世に憂いがたくさんあったとしても、国民の代表として立ち居振る舞いをすることは、私には分際ではないということは、ひしひしとわかっており、しかも公的な目にいつも曝されて生きていくということは、私には「死ね」というのと同義になります。それは市議会議員でも同じだし、町内会の会長などの小さい規模のものでも同じです。子どもの頃、学級委員をやってもう懲りたというのがあり(笑)、人が集まることの理不尽や難しさは、到底私の手には負えないのだ。

今日から2・3日は、あまりTVを見ないようにします。愚かなコメンテーターがいろいろなことを言うのだろうから、それを見るだけで疲れてしまうし、腹も立つだろうし、避けるのがイチバンです。ネットも同じで、あまりニュースを読まないようにしようと考えています。ラッキーなことに、今日から3日間はちと忙しいので(商売繁盛けっこうなのだ♪)、ちょうどそんなことをしている場合でもないし・・・。

私は参院選も気になってはいたのですが、小田実氏が亡くなったことにかなり残念がっており、彼が社民党を支持しており、左に見られがちだったことなども考えて、なんだか参院選の当日に亡くなる皮肉さを感じています。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E5%AE%9F そうそう。彼は、アメリカの国費留学生だった経歴を持っており、アメリカのデモをわかっていた人なんですよ。私も左寄りに見られがちですが、実際はそれほど左なわけでもなく、彼には親近感を覚えていたのです。アメリカ留学という体験にも共感を持っていたからでしょう。親近感を覚えるなんて、おこがましいのでしょうが・・・(汗)。

理想的な政治の形などはなく、常に試行錯誤して、ただ時間が過ぎていき、そこにConsequences(論理的帰結)が次々とできていくのだ、というのが、私の醒めたテイクです。そこに積極的に参加していくかどうかは、私は自分が「団体の中では愚か者」だと自認しているので、どうも躊躇しまくるわけです。個人としてならば、そこそこ満足できるくらいにまともではあるのですが・・・。私は他人の意見を「誘導」することが大嫌いだし、「誘導」されるほどの知性や生活力しか持たない大人たちを見るのも、たまらなくイヤなのです。でも、こうして兵どもの夢のあとを見ると、どうしても大人のパワーゲームだな、というのが第一の感想なのです。

しばらく、私が政治のことを書くことはないでしょう・・・。食傷ぎみです・・・。

 

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