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再生紙問題

01/20/2008 にアップした文章です。

私は日ごろ質素に暮らしているので、コピー用紙などを自ら購入することは、年に1・2回しかありません。うーん、この1年では1回だった・・・(爆)。なぜならば、英語講師をしているため、コピーに失敗した用紙の裏紙をたくさんもらえるからなのです。自分用に使う分には、それで充分。その裏紙に印刷したものを学校に持って行き、学校でコピーする、というのを続けています。何か正式に出すときのために、再生紙ではなく、ものすごい質のいい高い用紙を40枚入りだったか50枚入りだったかを買ったのが、この1年の1回きりの買い物でした。


http://news.google.co.jp/news?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GFRC_ja___JP202&q=%E5%86%8D%E7%94%9F%E7%B4%99%E3%80%80%E5%81%BD%E8%A3%85&um=1&sa=X&oi=news_result&resnum=1&ct=title
すんごいいっぱいありすぎて、どれを貼り付けたらいいかわからないので、ここからどうぞ♪

再生紙:一度使った紙を溶解して再生パルプとし、漉(す)き直した紙。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AB この紙のところを見てください。配合率に触れています。

今でこそ、タイプに頼りきった暮らしをしていますが、日本に居た24歳までは、とにかく書くことが好きだった。日記を9歳から27歳までつけていたし、父がワープロを学び始めたときには、「かっこいい」と思う反面、「手書きのほうが味があるのに・・・」と思ってもいました。私のペンだこは気合が入っており、今でもだだだーっとノートを取ると、再生します(笑)。要するに筆圧が高いんですね(笑)。力任せなやつだというのは、子どもの頃から変わっておらず、力の抜き具合というのは、書くという行為だけに留まらず、いろいろな生活の面での教訓です。もう少し力が抜ければいいのになぁと思うことは、自分で笑えるほど多い。が、私はいろいろなところに落書き(本人は大いに本気なので、落書きと言われるのは本意ではなく、大人から観るとただの練習なんだろうけれども・・・)をしていた子どもだったので、紙がもったいないと思った母は、トイレに板を張り、そこにチョークやクレヨンで絵や字が書けるようにしたのです。どうしてトイレだったのか?いつか止めてくれるように、という願いだったらしいです。が、私はしばらく夢中になっており、2年くらいは止めなかったらしいですなぁ。

しかも、お風呂場の壁がタイルではなく、コンクリートだったので、水気を含ませた指で、いくらでも字が書けたのです。お風呂に温まりながら、字の練習をしたことを今でもよく憶えています。弟が真似をしていたのですが、1年半の違いは大きく、しかも男の子だったので、知恵が足りないようにも見えており、いつも「違うっ!」と怒っていたようです(笑)。イラチだったのは、昔からなんですねぇ。

紙がなくても、字の練習は地面でもできたし(ほら、小枝を使うんですよ)、蝋石(ろうせき)でも書けたし、教室の黒板でも書けたし、紙がなければダメ!と思ったことはなかったように思います。

今も教えていて思うのは、ノートをきれいに取る人とそうでない人がいること。私はノート取りは得意ですね。狭いスペースに、頭にしっかり入るようにまとめることは、貧乏な生活の中での知恵でした。ノート代や消しゴム代や鉛筆代よりも、やっぱりお菓子を買いたかったのです。

あ、昔話に費やしてしまった(笑)。

偽装という言葉がまた使われたかと思うと、本当に不思議なのは、その偽装に関わってきていた人々の心持。「いつバレるんだろう」「いや、うちだけはバレない」などという葛藤を、いつもその胸に抱いてきたのか?ということ。私は嘘をつかなくなって久しいので、このような葛藤はないのですが、大昔の嘘から出た嘘、どんどん大きくなっていった嘘の虚しさ・どうしようもなさ・自分で自分の足を引っ張り、墓穴を掘った実感を思い出します。地面が揺らいでいるような、螺旋階段を堕ちているような、キリがない穴倉をろうそくなどの灯もなく進んでいるような、そんな心細かったことを思い出します。しかも、小学生の私がついた「家は貧乏じゃない」だとか「私は○×を持っている」程度の嘘ではなく、法律も破っている、信頼を裏切られた人々の数が多すぎる、ものすごい葛藤なはずです。

いや、そういう葛藤すら持たなかったのかもしれない・・・。「みんなやってることだろう」「ここまでならば何とか言い開きがつくだろう」「絶対にバレないだろう」などなど、いろいろな言い訳が脳裏をよぎったのかもしれません。遅かれ早かれ嘘はバレますからねぇ。たとえ長いあいだバレなくても、自分で言いたくなってくるだろうし、賢い人たちに揉まれれば、いつか白日の下に曝されます。そんな当たり前なことをどうしても直視できなかったのかなぁ。いろいろな偽装問題のたびに思うのですが、彼らは私たち国民の知性をバカにしているんだろうなぁ・・・。ええ、私も含まれます。

偽装をする、その代償は何なのか?食品偽装などは、会社の利益、畢竟、個人や同族経営の利益で、強欲に繋がっていくのですが、再生紙の嘘などは、会社の利益のほか、何になるのか?あまりにオソマツな代償であると思えるわけです。

私は自分が意図的に人の心を裏切ろうとして裏切って嘘をつき続けて、見つかったあとに、どうやって償ったらいいのかわからんよ・・・。

お金だけ払えばいいだとか、ケツをまくって商売を畳めばいいだとか、土下座すればいいだとか、そういう了見だから、きっとそもそも嘘をつくんだろうなぁ。誰かの信頼を失いたくないというプライドもなく、「嘘をついてもいいときだってある」という同意してくれる人々とばかりつきあって生きているから、きっと嘘がつけるんだろう。食品でヒトが死ぬかもしれないことや、再生紙で環境問題の観点から国際社会の立場に発展するだろうことは、まったく想定せず、身勝手な範囲だけの世界で生きていける人って、ある意味、とても倖せなのかもしれないです。いや、私はそうなったら死にたくなると思うのだけれども、そういう精神の成熟さがなければ、そうなのかもしれない、と想像するだけなのですが・・・。

再生紙を使うというのは、質が悪くても、社会に貢献している、と思っていた人はかなりの数いたと思うのです。その人たちはものすごく怒っているだろうなぁ・・・。私は、再生紙以前に、紙を使うことは避けているので、特に怒りは大きくはないのですが、世の中を眺めると、やはり怒りは大きいと思います。そうです。年賀状も出さないし、手紙も出さないし、新聞も取っていないし、読書は借りることに専念していますから。どうしても印刷しなければならないときには、最初に書いたように裏紙を使っており、タダで、無駄を出さないようにしており、ゆとりのない人間でもあるのかもしれません。

再生紙問題で、お怒りの方々は、バンバン公的機関にメールや投書をしたほうがいいですよ♪

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