半分正しく、半分間違っています。なので、強調するほどではないと思いますね(笑)。確かに家庭学習のみをしていると、同年代の子どもたちとふれあう時間は「わざわざ作らねばない」という状態になってしまいますが、公園や習い事や親戚一同やその他、デザインすればありそうです。
アメリカは、義務教育も大検と同じようなシステムがあり、小学校から行かなくても法律違反ではありません。義務教育の範疇も要求されているテキストを受け取りに行き、家庭内で学び、提出物を出したり、テストを受けたりすればOKです。そういうお子さんに20名とかそれくらい遭って話したことはありますが、特に社会性に乏しい、ということはありませんでした。
社会性:対人関係における主として情緒、性格などのパーソナリティの性質であり、人間が社会化される過程を通して獲得される。人間関係を形成し、円滑に維持するための社会生活を送る上で欠かせない特質である。社会的コンピテンス、社会的スキルなどの言葉が社会的に類似した意義でよく用いられるが、それぞれ研究者によって定義づけが微妙に異なり、明確な定義付けがない。
心理学的見地からは、発達心理学でそのプロセスをピアジェ中心に学びます。項目としては4つ。
- 対人行動 – 他者を信用し認めることができること
- 集団行動 – 集団の中で協調的に行動できること
- 社会的欲求 – 仲間から好意を受けたいという欲求を持つことや仲間として認められたいという欲求を持つこと
- 社会的関心 – 時代の情勢、風潮に感心を寄せること
そうした意味では、大きな学校&人数が多い学校よりは、小さな学校&それなりの人数の学校のほうが、この4つはスケールが小さく学べて、中→高校→専門学校か大学→就職となって、スケールが徐々に大きくなることで、確実なものにできるケースも多いので、特に、最初は学校でなくともいいかもしれないです。特に、個々人には生まれもったTemperament:気質があるので、それに見合った小グループに必ず入れるとは限りませんしね。
たとえば、保育園全体で何かをやることと、バラバラになっている状態と両方ありますよね?その度合により、上記の4つが凸凹に個体差として学ぶことになります。小学校でもそのズレを埋めたり、ひとつひとつを強化・成長したりするか?というと、保証はないです。それは中高大でも同じことが言えますし、就職先でも同じですし、結婚などでも同じです。
本当の意味での、最低限のこの4項目の基礎が入っているかどうか?というのは、大人になっても「ダウト!」な人いませんか?
そもそも、どのグループに入るべきなのか、自分のことをわかっていない人も多いではないですか・・・。その意味では、必ずしも学校でなくともいいと考えます。
『アルプスの少女ハイジ』のハイジとクララは壊滅的に問題児だったでしょうか?(笑)あれは物語だからだよ、というすり替え論はナシにして、ベースになる環境の「家庭での社会性」から始まり、そのスケール感をどんどん広げていくイメージが重要だと思います。
家が機能不全の場合、いくら学校に行ってもマイナスになってしまうケースもあれば、だからこそ学校で救われプラスになるケースもあり、一概に言えることではないです。
私個人は、小学校にはドッヂボールと給食、季節によるスポーツのために通っていた、という自覚しかありません(笑)。そして、やはり多くの平均や水準についていけない部分も多く、平均よりExcelしているところもあり、自由気ままに自分らしく生きている最中です。が、社会性が低いとはあまり査定していません。フツーくらいにはついていけます。長期間はムリですけど(笑)。
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