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危うい土台

06/26/2008にアップした文章です。

 

システムという制度や成り立ちの基礎がこの世にはあるのですが、その土台が危ういなぁと思うようになったのは、大人になってからです。それを「磐石である」と喧伝して、信頼を勝ち得ようとしているのが、国家や世界を牛耳っている人々なので、私は子どもの頃は騙されていました(笑)。その脇で、暗い部屋の中、TVはプロレスか野球かNHKしか見なかった父は、TVに向っていろいろな不平不満をもらして、「何言っていやがるんでい」などとばっさり斬っていましたが、今はその気持ちがわかります。父がいて、母がいて、屋根があり、着るものと食べるものがあれば、私は幸せに思っていたのですが、そうでもないことがだんだんわかってきて、この土台の危うさについて、昨今ではもっと考えるようになりました。

 

母は相変わらず、当時と同じように、その日の食卓のことや、家をいかに便利に使うかだとか、支払いをどうこうだとか、お金にゆとりがあったらどのおいしいものを食べようか、などということばかり考えており、みのもんたや花まるマーケットで言った情報をそそくさメモっています。当時からそんなだったので、大いなる期待などはとうに諦めていますが、彼女ですら不安感というのはある。それは、危うい土台に対しては諦めきっており、私の肩に重くのしかかってきているわけです。

 

「あら、あんたがそんなに頭がいいなら、任せたわよ」と(爆)。そりゃー、TVで流されていることのすべては信じてないですからねぇ(笑)。それくらいは賢いかと・・・(汗)。

 

私はアクション映画というのがあまり好きではなかったのですが、Die HardとLethal Weaponから好きになりました。ありがとう、BruceにMel!という気持ちです。アノ手のことが凡人の私に起きるわけはないのですが(主人公は警察だし)、あのピンチに立たされたときのたゆまぬ努力と決してギブアップしない粘り、Improvise(工夫)をする頭の回転の速さというのに、たいへんにびっくりし、「いやー、アクション映画は見なくちゃダメだ・・・」と思うようになりました。渡米してから2年目のことだったので、そのあと、かなりのアクション映画を乱雑に見た記憶があります。しかも、私にはマッチョな血があるんだろうなぁ。かなり性に合ったので、シリーズものはすべて続けて見た記憶あり・・・。

 

土台: (名)(1)木造建築で、柱の下にあって、柱から伝えられる荷重を基礎に伝える役割を果たす横材。(2)家や橋などの建造物の底部にあって、上の重みを支えるもの。基礎。(3)物事の基礎。もとい。基本。

 (副)〔「土台からして」の意から〕根本から。根っから。もともと。元来。

基礎:(1)物事が成立する際に基本となるもの。(2)建築物の重量を支え、安定させるために設ける建物の最下部の構造。地形(じぎよう)・礎石・土台など。

 

私が常日頃から考えているのは、駅の階段から転がり落ちて、頭を打って死ぬなんてことは、起きても何の不思議もないし、それこそホームから落ちて轢死するのも不思議ではないよなということ。それでも、そういったリスクをまったく感じることもなく、人々はこの社会を信頼して生きているんだなぁと。私は、下山事件・三鷹事件・松川事件なども併せて思い出してしまい(って、生まれてすらいなかったのだけれども、父や母は語る人々だったんだよねぇ・・・)、あれくらいのミステリーに巻き込まれるほど重要人物ではなくてよかった、とも思う(笑)。あの頃の激動は、土台に対しての抗いを誰かが行動に移していたのですが、今、凡人がどのように行動に移せるか?というと、ボランティア活動や、ネットでの啓蒙活動やら、NPO法人の設立など、なんだか実際の行動としては、静的になってきています。効果のほどがどうなのか?という疑問も湧きます。

 

アクション映画を見て学べるのは、最後には体力と折れない心だということがしっかりテーマとして前面に出てきていること。確かに原始的なのだけれども、ヒトだけが特別な文明を持った存在として胡坐を掻いていていいわけもなく、それだけは努々(ゆめゆめ)お忘れなく・・・と、いつも思っているのです。

 

夏になり、戦没者を弔う慰霊祭などが行われてきていますが、それをまったく「大昔に起こった他人事」としてしか捉えていない人々も多く、極限の状態に置かれた体験がないことに対して感謝するなどということよりは、日々の暮らしをおもしろおかしく過ごすことのほうが優先されるというのは、なんだか傲慢すぎると思うのです。もちろん、諸外国人たちに対して、私は恨みつらみをつらつら語られたことは、18年半の生活の中で、一度しかないのですが(それもReno, Nevadaのカジノでフィリピン人男性に言われた・・・。63歳だったのですが、わからないでもないのでずっと傾聴させてもらっていた・・・)、それでも人類の一員としては、「歴史を担っているからこそここに存在させてもらえている」という感謝は、まずありきです。西さんにしても、台湾に長いこと住みましたが、ただの一度も文句をたらたら言われたことはないらしく、中国に常駐している今も、そういう話はまだ現地の誰ともしたことがないらしい。しかも、「若い人ばかりが回りにいるので、そういう話になるかどうかもわからないなぁ・・・」とのこと。

 

昨日は、なぜかひとりで乃木希典についてのWikiを読んだり、少し調べ物をしていたのです。どうしてそうなったかというと、自殺者一覧というのにぶち当たってしまい、ゲンダイから昔に遡っていったら、自然彼まで行ってしまった・・・というだけだったのですが。『坂の上の雲』が大河ドラマになるのが待ち遠しいところですが、あれらがあったからこそ、私たちは今ここにこうして生きていることは、決して忘れてはいけないことなのだと、自発的に思ってくれる人々が多くなければ、このまま土台は危ういままで社会は変わっていかないのだろうと予測します。

 

そういえば父は、年金制度が始まったときにも文句を言いたい放題言っていた、と、母が言うのですね(笑)。父にしてみれば、戦争時代からの年金制度のうやむやさというのが、どうも胡散臭かったらしく、職域集団ごとに加入していたというばらつき年金が、統一化されることに関して、まぁ、元々社会党が好きな人でしたから、ものすごい勢いで文句をたれていたらしく(爆)。今頃、「ほら見ろ!」とおっしゃっている方々も多いに違いなく・・・。父もどこかで言っているかもしれず・・・。

 

昨日も生徒さんと話していて、「わかる人にしかわからないし、誤解されやすい言葉ではあるんだけれども・・・」と前置きをしておき、「人類の人口は減ったほうがいいよね。そこで選民をせねばならぬというところがジレンマだし、いろいろな国があるから、そこでのパワーゲームがあって、なかなか実現しないけれども」と。たくさんの人々のたくさんの思惑や強欲があって、どうも世の中はずっとずっと複雑化しすぎており、私などには到底ついていけるものではなく、最初からパワーゲームには最低限しか参加できないし、する気もないし、生き延びていける道を確保するためには、「せめて土台だけでも・・・」と思いつつも、それがいかに危ういものかと、日々脅かされている感じだよね・・・と。

 

とはいえ、私は子どもにはシャーペンではなく、鉛筆削りでもなく、ナイフで鉛筆を削れるようにはなってもらったほうがいいと思っており、危うい土台に太刀打ちできる能力と技能は身につけてもらいたいと思っています。大した矛盾なんですが、そのためにもまだまだこの先も母が大嫌いなアクション映画は見ていくのだろうなぁ・・・(笑)。体力と折れない心。このふたつだけは常に保っていかねばと思うのでした。

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