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変化を恐れない冒険心

09/25/2008にアップした文章です。

 

私は、恐怖心というのがそれほどないのだろうと思っていたのですが、実際のところ、蚤の心臓も持ち合わせているらしい。ところが、その恐怖心は、新しいことや変化に対することではないことはわかっており、変化であれば受け容れることは、重々わかっているのです。これがあるから、人生の多様性が生まれて、新しい人の新しい側面でなくともずっと飽きずにつきあっていけるということが、よくよくわかっているからです。人々は常に微量に変化しています。たとえば、それをある人は「老化」と呼びますが、楽観的な私はそれをいつまで経っても「成長」と呼びます。私が変化について、ものすごく感謝したのは、Darwinに再び出遭ったときで、いかに子どもの頃、勉強してこなかったのか・・・ということがわかります(苦笑)。



昨日は、自分の躁鬱病について、つらかったことなどを重々しく書いたのですが、書いてしまったあとは、再び日常が戻ってきています。遁世するか、生命を絶つか、薬漬けになるか、の3つを選ぶよりは、たとえ他人よりも自分のあり方にビンカンすぎることに飽き飽きしつつ、疲れ果てても、遁世気味の時間を持つことにより、やはり社会とは繋がっていたいなと思うのです。それしか選びようがないだろう、というやるせない感があるにせよ、生命をもらったからには、【よりよく生きる】を目指す以外はないですからね。顔を見て、直接、「私は躁鬱病持ちだから」と言ったあと、最初のうちは、「ええええ!至ってフツーじゃない」という言葉を、受け止めることができないでいました。「フツーにできるのは、これまでの努力の賜物があるからだよ」という漫画のような吹き出しが出ていないか心配してしまうのでした(笑)。今となっては、「そうでしょ♪」と軽く歓べるのです。

 

この先、マイルドで温和なおばちゃんへと移行できず、いつまでも尖がっていて、何かにひたむきで怖いくらいに隙がないままでやっていけるのか?と思うと、やはりアメリカに戻りたいと思うのです。が、しかし、変化を恐れない冒険心を持つ私としては、他の土地でもいいのかもしれない・・・などと考えてもしまっています←懲りない(爆)。

 

アメリカは、ご存知の通り、カリフォルニア州の面積に日本がすっぽり入ってしまうのです。なので、アメリカに戻るといえども、シリコンバレーに戻るのでなければ、古巣に帰るというわけでもないのだろうな、とも。私が行きたい大学院は、NYかSF郊外にあり、ところが時間との勝負なので、教授たちが勇退してしまったら、もう直接学ぶ道はないので、その直弟子がいる大学を選ぶしかないので、何も元居た場所に戻るとは限らず・・・。しかも、相当な貯金が必要なので、私はそれに向けての新しいことを始めようと、そりゃぁ必死なのでした。私の新しいプロジェクトへの布石は、日々刻々とBuild-upされており、けっこう構想は増えていくのでした。あとは、資金力のみね(笑)。

 

商売柄、生徒さんの「なぜ英語ができるようになりたいのか?」をずっと聴き続けてきていて、この変化を恐れない冒険心について、少し懐疑的になることが多いのです。

 

仕事に使いたいという方々が圧倒的に多い。これは果たして、強い動機になるのか?と不思議に思います。もしも、既存の仕事で充分に食べていけず、すでにクビが掛かっているのであればまだしも、数年後10数年後のことであれば、「今日はいいや」とやらないことになってしまうのではないか・・・と。廻りの人々みんなが英語を使っており、自分だけがおいてけぼり状態であれば、強い動機なのだろうけれども、さしてその差が広がっていなければ焦ることもなく・・・。

 

やはりそこにあるのは、「変化を恐れる冒険心のなさ」があり、劇的に物事を変化させるというのは、フツーの人にはフツーにはできないのだろうな、と。何かRiskをかけないことにはReturnもないのだという法則を知っているのだけれども、どうしても今の安穏さに換え難いものはないと思える。

 

冒険:(1)危険を伴うことをあえてすること。(2)成功の見込みの少ないことを無理にすること。

 

とはいえ、私が帰国して思ったのは、「日本の道路って怖いよな・・・」ということ。怖くて外に出られないくらいだったのです。歩行者も車も自転車もみな近い。まったく信用できない他人が、どうしてこんなにも相互信頼しあって、生命を賭けていられるのだろうか?と、最初はとても不思議に思ったのです。電車のホームも同じことで、どうして落ちたら引かれて、轢死体になってしまうようなところで、あんなにも知らない他人を信用できるんだろう?と、最初はとても怖くて、とてもじゃないのだけれども、外に出られなかった・・・。ところが、今じゃ、酔っ払って平気で歩いている(爆)。

 

じゃ、日本人のみんなだって、「そういうもんだ」と躾ければきっとできるんじゃないのよ!ということ。

 

Darwinが偉大だなぁとひしと感じたのは、常に起きている変化をそのまま受け容れた考え方の総体制を唱えたこと。しかも、そのタイムスパンの長さときたら、常人では考えられない膨大な時間だったことで、わずかその70年だか80年ばかりを生きるたったひとりの私であっても(もしかすると、ヘマをするとこれより短いかもしれないんだけれども・・・)、その偉大さはわかる。しかもそのキーになるのは、「よりよく生きるために変わること」で、結婚や子育てやパートナー選びなども、すべてその長い歳月のための種や地球全体のために、小さい変化をいつも「よりよく求めている」ということ。

 

安定した物事をやめて、新しいことを始めるのは、労力が必要だし、これまでの無難さとおさらばして、かなりたいへんなことも待ち受けているかもしれませんが、その先に必ず花も実もあるわけです。もしも、自分の代で花も実もなかったら、きっと次世代か次々世代にあると信じることができるはずで・・・。まぁ、ここまで長い目で見なくとも、今から脱却したい嫌気を騙し騙しやっていくよりは、きっと何かを自分でやってみたほうが、あとから自分の人生を振り返ったときに、きっとすっとしているはずです。

 

英語では、教えている内容はそれほど高度に難しいことでもなく、昨日もTVでなぜか、青学の子たちが出ており、TOEIC940点だかで「ものすごいんだよ」と言っていたのです。そうなのか・・・。海外経験が豊富で、TOEIC940点というのはださくないのか・・・と冷めて見ていつつ、ちょっと調べてみたら、本当に高得点なんだなぁ・・・。そうか・・・。私は、生徒さんには高得点の成果が出ることを約束してあげちゃいますが、本当にこれまでは伸びているので、「よかった・・・」とほっとしつつ、生活の一部にしてもらえれば、975点くらいは行くだろうな、と誰の顔を思い浮かべても大丈夫な気がしています。その変化を恐れるか恐れないかは、やはり個人のチョイスであり、この世にはもっと恐れたほうがいいものが山ほどあるのになぁと思うのです。

 

子どもがたくさん被害に遭っています。愚かしい大人でも自在に生き延びていけてしまうような、利便性ばかりが高い社会を維持し、さらに地球環境を破壊していくことで、ある一部の人々が美しい世界に霞をかけて、パワーを自分たちだけのものにしているのをこのまま見ていては、何も変わらないです。私は、そのためにも新しいプロジェクトはきっと次々に考えついてしまって、やるに違いないと、自分については思っています。

 

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