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大人のいじめ その3

08/01/2008にアップした文章です。

思ったよりずっと長くなってしまったのは、私もいくばくかのいじめ問題に遭遇しているからかもしれず・・・。が、私が体験してきた問題が「いじめ」と簡易総称できるようなものではないことはよくわかっているようです。なぜならば、私はいじめられっぱなしな性格でもなく、気軽に移動してしまえるやつであり、アメリカまで行っちゃったわけで・・・。ただ、性格的に、もっと掘り下げると先天的な気質がゆえに、その長所が短所としていじめのターゲットになるやもしれない場合はあり・・・。

 

校長センセのコメントをしっかり読んでみると、「干されるいじめ」と私が書いたのが多少誤解があったようです。校長センセがおっしゃりたかったのは、「保身性の強い上司の下についてしまうと、能力があっても発揮できる場を与えてもらえない」という状態になるということなのですが、私が例に出した「窓際族や肩たたき」はそれとは異なるということ。私は厳密なところを押さえておらず、「干されるいじめ」には2種あり、能力の有り無しをしっかり考えておかねばならなかったらしい・・・。が、私は、適材適所のマネジメント能力を持った人間が上司になることが当然だと考える合理的な人間らしく(苦笑)、能力がある適材が「干される」ことに関してだけしか考えていなかったらしい・・・。当然、「窓際族や肩たたき」されてしまう人材であっても、適職はあると考えてしまっており・・・(汗)。採用した側の責任だと思うのだった・・・。社内に適職がなければ、本人の気づき・自覚を促すことすらパッケージになっているのでは?と思うのですが、それをやってこられた校長センセとしては、受ける側の気づきや自覚が足りてきていないことを指摘されたいのかなとも思えたのでした。

 

下層にいる労働者ばかりを庇うつもりはなく、発展途上中の修行の身であることは、もしもHigher Powerがいるのであれば100%の生命体が修行中であり、その差は私たちが内部から見て「ささやかだけれども重要な違い」と認知しているだけに過ぎず・・・と、私は考えています。ただし、ちっぽけな存在から見ると、やはりその「ささやかだけれども重要な違い=Slight but significant differences」は本当にでかい壁なのかもしれず・・・。

 

私個人はどこにもどっぷりと属すことなく、それぞれへの個人としてのコミットメントを主眼にしているスタンスなので、それぞれの企業とその働く人々が持っている悩みというものに対して、いささか醒めた目でしか見ることができないこともあるのでしょう。私などから見れば、「どんぐりの背比べの中で、そのささやかな違いでのパワー区別をつけて、それを駆使して使っている人々が問題を根付かせ、それに直面した人々は選択肢の中でそのパワーゲームにうまく乗せられてしまっている構図」とも思えるのです。だから参加しない。それでも食べてこられたことには大感謝です。西さんなどは、私の意見に同調しているので、中に居たとしても最小限のパワーゲームにしか参加しないスタンスでやってきたのです。今も西さんは、コンサルタントの仕事を請け負い業務として、距離が置ける立場になり、プロ意識は増大しますが、自分が溺れることなきよう、いいポジション取りだな、と、私などは思えているのですが・・・。

 

が、その選択肢に正解などはなく、個人としての個人の捉え方がまずは肝なのでしょう。そして、その加減・バランスをどのように取っていくのか?というのもまたもや選択肢になってくるのでしょう。

 

産業カウンセラー協会がまとめた文献のほうでは、「余裕のない職場でのコミュニケーション不足がいじめを生む」というタイトルが出ています。簡単に片付けてしまってはいけないとは思いますが、確かにその通りなのかもしれず・・・。イラクのことを他人事と笑ってもおられず、戦後の日本は資本主義におけるミラクルだと言われるほどの経済発展を遂げてきたので、私たちのメンタリティや人間関係の構築にも大きな変化を派生的にもたらしてきました。それに気づいてきた人々がいても、ひとりの力で何かを阻止することができきれず、Eclecticに柔軟で最も良い道というのを選び取れてこられなかったのかもしれず・・・。

 

(なんだか今日は、「○×かもしれず・・・」「でしょう」という曖昧表現がやたらと多いじゃん・・・(汗)。かなり無責任なのですが、言い切りよりはいいかと思って・・・)

 

「個人のコミュニケーション能力の低下」 80%

「人を育てる意識の希薄化」 62%

「人権感覚・モラル感覚の低下」 54%

「成果主義・能力主義」 50%

 

がいっしょに書いてあります。確かに、それぞれにうなづけることもあり、複合的な要素だろうということは、社会科学なので当然なのですが・・・。

 

私の商売は「英語を教える」なので、人を育てる意識というのは希薄ではやっていけず・・・。しかも、私が子どもの頃に夢見てきたことを大幅に超えてしまえたので、「誰でも念じればできる」ということは信じて疑わず、死ぬまで育っていくということを忘れてもいけないとも思うのです。驚くほど、大人になってから学習を続ける人は少なかったのですが、最近では資格本を読んでいる人々をたくさん見かけるので、やっと目覚めたのか!と歓んでもいたのですが、きっと自分の立場が安泰になると学ばなくなる人々というのは増えるのかもしれない・・・。「ここまででよし」なんてことはこの世にはないのですが・・・。

 

たくさんの考え方が入ってきてしまった日本では、個人のコミュニケーション能力が低下してしまっていることは、以前、私もエッセイで触れました。上司・部下などのパワーゲームですら、ゲームなんだからルールはあるはずなのです。目上目下の敬語うんぬんではなく、もっと核にある「意志を伝える」「返事をする」「わからないことをわかると言わないで、しっかり質問する」などができなくなっているのかもしれず・・・。基礎の基礎で、「ロクに挨拶もできない大人が増えている」と嘆く人口が増えているということは、やっぱりそこから改善する余地はあるのかもしれません。

 

日本に「人権感覚・モラル感覚」がどの程度あったのか?ということを、まず疑問に思ったのです。私が時間感覚的に戻りすぎているのか?日本の歴史を考えていけば、四民平等になってからわずか130年弱。名残がすべて消えているわけでもなく、そのあいだには神の存在にまで崇め奉られた天皇制度もあり、宗教職や教職は権威を与えられたものであったことは否めません。なので、「人権感覚・モラル感覚の低下」ではなく、「依然、人権感覚・モラル感覚を養う必要あり」ではないのかなぁ・・・と率直に感じているところなのですが・・・。そもそも、だんなが部長だったり課長だったりする会社の買い上げ・借り上げ住宅などで、奥様たちもその地位を確保できるって平和すぎだってば・・・(汗)。

 

「成果主義・能力主義」に関しては、過渡期にあるので、どうなんだろう?と不思議に思えたのも確か。本当に成果主義や能力主義に徹してこられる企業があったとしたならば、エコ問題にこれほど振り回されたり、企業理念などをわざわざ広告したりする必要すらないだろう・・・。成果が上がっているのであれば、ヒトの心のツボなどを考えることすらなく、会社はウハウハ儲けているに違いなく・・・。本当の意味での「個人主義」に晒されて始めてきている日本人は、「全体主義メンタリティ」との区別をしっかりつけていける場面や対人関係を身につけていかねば、国力や国防もおぼつかなくなってきます。Eclectic手法で幸せを掴むには、場面や相手やケースなどにより、使い分けができないといけないということだからね・・・。キッチンで野菜を切るのに柳葉包丁を使わないのと同じことだ・・・(汗)。

 

と、3回に分けて長くなりましたが、結局言いたかったことは、「他人のペースや色に巻き込まれていじめられるかどうか?すら、あなたが選んでくださいよ」ということが言いたかったのかもしれず・・・。「それはあなたが強いからでしょ」と一蹴されてしまいそげですが、それこそ「誰のために生きているの?」と問いかけたいところです。そして、因果応報が本当にあるのであれば、いじめている側に報いあれなのですが、実際はそうじゃないんですよ。因果応報なんて自然界の法則が社会にきちんと反映されることなど幻想だ、と思っていただきたい。自力で自分の人生は拓いていくしかありませんよ、それが本当の個人主義ですよ、と、ぜひぜひ言いたいのでした。

 

そして、その場に無理して留まらずとも、きっとよそではあなたの存在意義を見出してくれる人たちや場所がきっとあります。世界は広いようで狭いし、狭いようで広いのだ。やれることからやってみませう。

 

 

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