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女性が年を取ること

1999年に書いた文章です

まきこさんのところに行って髪だけはとりあえず(爆)きれいになってきました。もう前髪が軽くてかるくて♪おまけに韓国のPajun(パジャンって発音するんだと思う)というパンケーキまで作ってくれていて、お昼まで食わせてもらって、「やっぱりまきこさん大好きだよぉぉ!」と楽しく帰ってきました。3週間後は髪染めるっすよ>どうしてかまだまだ黒すぎる髪は重く見えていかんと思うのだ。エキゾチックでいいね、って褒めるアメリカ育ちの人たちはいるんだけど、実際すんごいうざいって、こんなに黒くて多いと。

そしてそこでパーマ液が浸透するのを待っていたときに読んだ分厚い雑誌があったんだけれども、その名前も発行者も発行社も忘れたよ>メモ取ればよかった。でも30代以上の女性向け雑誌だったことは確か。広告にも美容液やラインのすんなりしたお洋服がばんばん出てました。

久々に桃井かおりの文章を読みました。彼女はもうすぐ50歳に手が届きそうになっている40代後半なはずです。「うわぁぁぁぁ!すごいいい年の取り方してるぞ」と感心して読んでしまいました。本当なら続きの日本語の本(昨日は本多勝一のものだったのだけれども)を持ってこれなくて自分のそそっかしさを呪うところだったのですが、やたら得した気持ちになってしまいました♪

“海ちゃん”という役名でショーケンと『前略おふくろ様』に出ていたあとに、同じ日本テレビでも主役で何とかっていうドラマ(ああ、記憶力が退化している…)で、桃井かおりのことは小学校の高学年から高校生くらいまではしっかり注目していたわけです。そのあと、名高達郎と役者の夫婦という設定だったドラマも見たよな。あれには原田芳雄が出ていて、さらに竹内まりやがテーマソングを唄っていてインパクトがあったなぁと。でも題名はすっこ抜けています。

私たちの世代が10代20代の頃にもう創刊していた雑誌のほとんどにインタビューを受けていたのは、立ち読みであろうが無理して読んだ記憶あります。バレエができるとか、帰国子女であるとか、当時では新しいことがてんこもりになっていて、私は彼女のめちゃくちゃであるけれども感性にあふれた日本語群に魅せられていたものです。確か一回りほど年上なので、そのまま受け売りするってことはほぼなかったのですが、小学校の初恋の人が書いた「日本脱出」という卒業文集に書いた言葉と同様、私は日本にくすぶっていてはいけない!と彼女にもパワーをもらったような気がします。

その雑誌のエッセイには、「お転婆な70代」という見出し小タイトルがあって、私は読む前から彼女の言いたいだろうことがわかってしまいました。どきどきしながら読んでいくと、どの段落もやたらおもしろい考えがつまっている♪

40代の友達のつきあっている男性に家庭があったことがわかり、その友人が家まで乗り込んだことをさらりと書いていました。そんなこたぁ、小娘の頃にやっておきなさい、ってなこと。ちゃんとそのあとにフォロー文章があって、その説明も納得できるわけです。私としてはそのフォロー文章がなくてもわかるんだけれども、きっとそっちのほうが書きたかったことなのだろうな、とちゃんとわかってしまうのもなぜだかシンセサイズしてしまうな、と苦笑していました。でもその例でもわからない人はいるんだろうな、とも考えたりしていました。

写真のインパクトもあったのです。彼女は未だにまだまだすんごいきれいです。私は元々、年上の女性がきれいだと思う傾向があったので、同年代の女性のきれいさというものをGrasp(握る)ことはさりげなくできたのだけれども魅了されることはありませんでした。積み重ねたきれいさというモノにどうしても魅かれてしまうのですね。「若い」ってだけできれいなことはそのへんにごろごろ転がっています。私もそのひとりでありました。肌にしろ、笑顔にしろ、目の輝きにしろ、ひざや足の指にしろ、若いってだけできれいなところはたくさんあります。あとは見る個々人のシュミとか感性でしょうが、私は生命体として年を重ねている美にもっと魅かれる傾向が今でもありますね。わびさびの世界じゃない、枯れてはいない、年月を経た美しさはどっかりとしていて風が飛んできただけでは失くなってしまわない、と安心できるような。ナマミが伝わるきれいさ、です。ああ、やっぱりうまく説明できないよ…。

桃井かおりが仕事で干されて八ヶ岳で3年近くも野菜を作って思索にふけっていたことも、今のきれいさを思えば必要だった時間なのかもしれないなと思います。身体が元気で丈夫で充実感のあるきれいさというのでしょうか?細いからきれいとか、きれいな化粧が施せるからきれいだとか、補正下着をつけているからきれいに見えるのではなくて、裡側からどうしてもにじみ出てしまうきれいさ。

女性特有のシンボルであるおっぱいに注目して、彼女の最新刊のエッセイは『賢いおっぱい』というタイトルなのだそうです(ごめんよぉ、メモしてこなかったから出版元がわからんよぉ)。わかります?とんがっていたおっぱいが3cmほど下がって、それはそれでとっても悔しいことなのだけれども、男物のYシャツなんかを着ると丸みが出てきてやたらさらっと調和していて似合うっていうような…。もちろん失ってしまった若さがもたらすきれいさに未練がカケラもないってことじゃぁないのね。うらやましいっていう気持ちは部分的にはあるんだけれども、それを引き算したってきれいに年を取るほうがずっとずっと楽しいってことが心臓の鼓動といっしょに伝わってきそうなのです。

よくチャットルームやリアルタイムでの友人との会話で、「戻れるとしたらいくつのときに戻りたい?」ってありますが、私は戻りたくないのですね、まったく、どの年齢にも。映画 Groundhog Day(邦題わからず)ではないですが、私が私である限り、その時点においてベストな選択をたぶんしてきたのであろうし、たくさんの失敗もみじめな醜態をさらすことも、そこで必要だったから今の私ができた、ということにとてもとても感謝しているのです。だから今のアタマと心をそこに持ちかえってみてタイムワープしたとしても、そんなにドラマチックな違う選択をするとは私には思えません。

どうしてあのとき、小金もちの息子であった彼と別れてこいつとつきあったのか?とか、どうして大学を辞めないで続けられなかったのか?とか、どうしてアメリカではなくてヨーロッパに行かなかったのか?という後悔は一切ありません。おもしろい可能性が膨らむ話ではありますが、私は自分が選んできたこととその結果を全部ぜんぶ引き受けている、という自覚があるので戻りたくはないです。「たぶんいくつに戻っても同じことしでかす」と一言で説明していますが、その時代にあるそのモノをどう見るかというのは、基本的に変わってないですからねぇ。環境のなかにあふれているモノをどのように捉えているかという、大きなシステムはそう変わっていません。運命っていう言葉を持ち出すほどに私の人生が大きく変わっていたとは思えないでいます。

たとえこの怪我でも、交通事故でも、きっと起こっていたんじゃないか?という必然の偶然性をまた考えてしまいます。

だから何が来てもいいように、婚姻届にもあぐらをかかない、貯金もアテにしない、どこでもひょんこひょんこ出かけてみる、今持ち得るパワーはフルにいつでも全力投球する、後悔しないように決断をするシステムを崩さない、などなどに気をつけてきれいに年を取っていきたいと思っています。

もちろんその「きれい」というのは人によって違うのだけれども、私が思うきれいは私にとってはとても効果的なので、桃井かおり的なきれいに刺激されて今日も楽しく年を取る一日を過ごしています。誰が私の健康や美やアタマや心を支配しているかって、それは時間でも環境でも大衆の多数決でも大きな病院のリサーチ結果でも科学でもないわけですからね。

ささ、この家がいくらで売れるもんなのか、Realtor(不動産やさん)とランチに行ってきますぅ♪(爆)

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