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字を書くヨロコビ

2008年3月くらいにアップした文章です。

なぜかヨロコビシリーズになっているのか?と思いつつも、我が家にホワイトボードが届いてからこっち、どうしても字を書くのが楽しくてならぬ・・・。まだそれほど使っていないのだけれども、しかも掃除は母任せなのだけれども、字を書くのっていいですねぇ♪幼稚園の頃、初めて字を書けるようになったのですが、近所ののんちゃんがいわゆる早期教育を受けていて、私の家では焦りまくり、無理やりという流れではあったのですが、あれが正解でしたね。字だけ読めて書ければ、あとは図書館任せ、本任せでOKという放置状態に、今は感謝しています。そののち、習字も習わせてもらっていたのですが、それは母の洋裁の先生が紹介してくれたので仕方なく・・・。その証拠に弟は行かせてもらえず、格安であった(いくら30年前だからって、1ヶ月4回1000円スタートはすごいよねぇ・・・)。

漢字検定もいつか受けてみたいなぁと思っているのですが、それには他人に判別していただけるような字を書かねばならないではないですか。英語講師が板についてきてから、ホワイトボードに毎日何かしら書いているのですが、その書き方というのもなんだかとても要領がよくなってきており、まとめ方も見せてあげられるというのがうれしくて仕方ない。

 

しかし、私は字がそれほどきれいでもなく、「別に・・・。うん、読みやすいんじゃない」程度なのです。さらに、英語は小文字のn とuの判別がつきにくいらしく、さらにrがやはり読みづらいらしい。申し訳ない・・・。筆記体よりはいいよねぇ、と思いつつも、字を書くスピードをもう少し遅くすれば読みやすいだろうに、とは思う。が、遅く書けなくなってしまっているところがいかんです。しかも話しながら書くことが多いですから。生徒さんたちには、わずかでも多く、発音を実際に聴いてもらう機会を増やしたいがために、生徒さんに発音してもらう時と自分が発音するときのメリハリを意識してつけています。字を書いているときに、必ず発音するようにしており、それを聴いて違いをわかってくれる機会の数を増やすことは、日本人講師といえども大切です。

 

私が常任している英語学校では、黒のほかに、青・赤が常備なのです。私はそれに緑を加えるべきかどうか、今思案中です。色があったほうが楽しいことは楽しい・・・。強度や重要度やアクセントや判別の容易さを色で分けるというのは、なかなか贅沢でもあります。私が小さい頃の黒板というのは、白を貴重にしてあり、あまり赤(正確にはピンクだった・・・)や黄色や青は使われておらず・・・。なんだか贅沢品だったような。おそらく、高かったんでしょうねぇ。今、ホワイトボード用のマーカーをネットで売っているところを見てみても、値段はまったく変わりません。不思議だ・・・。技術の進歩なのか?

 

しかも、教えていて思うのですが、英語に自信がない生徒さんたちの場合、「ホワイトボードに書く」というのであれば、それほど抵抗もなく、むしろ楽しい模様。3分で3文考えてもらい、それをホワイトボードに行き書いてもらい、みんなに確認してもらうのは、発言して発音するよりはずっと気楽な作業らしい。さらに、先週のReviewを、生徒さんにまとめて5分から10分ほどしてもらうこともあるのですが、ホワイトボードをどうしても使いたいのです。なぜなのか?は次の段落で。前に立ってもらってテレも隠せるようで、これはいい♪

 

こうして考えると、日本人がWritten Language(書かれた言語)に頼る率というのは、かなり大きなものなのだなぁと思えてならぬのです。私はこれを、初めてアメリカに行ったときに痛感して、歯軋りをしたものです。生徒さんたちが、先週の授業のReviewをどうして書いて説明したいか?というと、発話だけではなかなかしきれなく、例文を書いたり、私がまとめたものをそのままコピーしたりすることが多いです。その後、自分としては納得して複写したはずなのに、どうしてか行間が残っていない・・・。ということは、私はもっと細かく説明を書かねばならぬことになってくる。授業時間が減っていく。とジレンマがあるわけです。

 

そもそも、なぜ、日本人はWritten Languageに頼るようになっているのか?言語的に派生した文化や意識の問題なのですが、あるひとつの言葉がもたらず常識がかなり広範囲で共通していることによります。個人的意識は総意に沿うものが望ましいとされてきているので、語彙にはそれほどのブレが生まれないと、どうしても思い込んで暮しています。なので、写している最中にはそれほど気にならない理解のズレやブレが、自分が説明する段になると、どうも埋まらない。

 

それに拍車をかけるように、TVも字が濫用されています。タイトルやキャスト表示などは仕方ないとしても、字幕やニュースの要約など、知らず知らずのうちにWritten Languageに頼っていることを、日本で暮している日本人は気づかない。報道に携わったり、文章を書くことを生業としていたりする人々が、すでに一般人のために要約してくれたものをただひたすら読むだけの日々になっているわけです。そして、知った気になり、わかった気になる。弊害は途轍もなく大きいと思われます。

 

私はアメリカで、TVを見ていきなり気づきました。ニュースなのに、映像以外の文字がほとんど登場しない。しりもちをつくほどびっくりしましたね。スッテンコロリン状態でした。タイトルくらいです。あとは、中継をしている先のロケーションくらい。記者の名前すら出ないことが多い。有名記者やコメンテーターやキャスターであれば、ますます出ない・・・(汗)。私がPeter JenningsやDan Latherを正確に知ることができたのは、TVを見ながらアメリカ人に質問をしたからで、ひとりだったら、おそらく長いあいだたどり着けなかったことでしょう・・・。この常識を押し付けない態度は、ほとんど建前だけではなく、本音としてアメリカには全般的に存在しています。情熱を持って調べなければ、なかなか情報というのは確保できないのだ。厳しいサバイバルが求められている世界だな、などとハードボイルド風に思ったわけです。

 

そこでWritten Languageに長く冒されてきた私は、クイズ番組でパネルのあるものを選ぶわけです。そうすれば、スペルもわかるし、発音しているのも聴けるし(問題を読むときや、正解を繰り返すときなど)、少しだけ移行していける気がしたわけです。

 

その後、アメリカ人の「要約」が全般的にあまりに下手なことに気づくわけです。頭がいい人はチャートや図式化することがたいへん上手なのですが、そうでもない人は、だらだらと文章で書く。ひょっとすると、日本人としてWritten Languageに冒されてきたメリットというのもあったかもしれない、などと思った瞬間です。

 

ただし、昨今の日本人は、長い文章そのものから遠ざかっているので、「ああ、そういうふうに要約するのか!」(英語でいうと、Aha!)というようなことが、どんどん無くなっている気がします。

 

しかも、アメリカでもインターネットが普及してこっちは、Written Languageに頼る傾向の割合は増えている気がします。学力がさらに落ちるのか、あるいは「中庸」に行き着き、そこで落ち着き、学力アップに繋がるのかは不明です。未来が語ってくれることでしょう。

 

そんなこんなを考えているうちに、いつしか私は、Audienceが小さいとしても、私も「伝える側」に立ってしまっていることに気づきます。ならば、それを要約するノウハウまでに広げて書こう、と。そんな決意は、決められた範囲での時間やコース内容などに阻まれるのではありますが、今のところ好評をいただいており、毎日が楽しいです。しかし、字を書けるってすごい。Written Languageを持てる民族に生まれて本当によかったよ♪

 

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