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尊厳死

01/26/2007 にアップした文章です。

 

これについて触れるのは数度めになるのかもしれません。が、日本に戻ってきてから、さらにこのことについてたびたび考えるようになりました。なぜならば・・・、特に紙面に書かれることもなく、ニュースをざらっと検索してみても、草の根運動的な広がりを見せているに過ぎず、国民の考えが行き渡っているようには感じていないのです。たとえば、このニュースは2006年4月。少し物議をかもし出したようです。事件があったため、らしい。http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20060403ik04.htm みなさんは確固たるご自分の意見を持っていますか?

尊厳死:助かる見込みの全くないままに長期間にわたって植物状態が続いたり、激しい苦痛に悩まされ続けている患者に対し、生命維持装置などによる人為的な延命を中止し、人間としての尊厳を維持して死に至らしめること。→安楽死

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8A%E5%8E%B3%E6%AD%BB

http://www.songenshi-kyokai.com/dwd02.htm 草の根運動的だなと思えるのが、この大きな組織かもしれないとみなせる団体の運営状態の報告です。

お笑いなどエンターテイメント一般は、日々Tube(TV)から流れてくるのに、と思う・・・。さらに、悲惨なニュースや殺人事件なども、一気に世間をにぎわすものの、人々はそれに馴化しており、事件の結末を見ぬまま、また次の事件へと移行していくのが手に取るようにわかる・・・。たとえば村上ファンド事件なども、裁判までしっかり見極めようと考える人は少ないです。関係者でなくては、あるいは株で投資をしている人でなくては、それほど興味のないことなのかもしれません。

これは責めているわけではなく、それほどに、人々の生活には回りを眺めるゆとりがないってことなのかなぁ、と思えるのです。時代劇モノを読み続けているので、江戸時代の町民くらいに人々は日々に忙しいのかなぁ、と。これだけ技術革新があっても、時を経ても、人々は飛躍的に違うことをしているわけではない、と、毎日感じています。江戸時代は「読み売り」という新聞がゴシップから事件まで扱っていましたが、今よりご近所づきあいが濃厚だったため、「他人をケアする」ということには、もう少し夢中だったような感じを受けます。

そこで尊厳死。私の家系は、父方も母方もほぼすべてガンで逝っているので、私もいずれ何かのガンにかかるであろうことは間違いありません。98%の割合です(過去3代で戦死がひとりのみ、ね。ですからこれについては無効とし、表面的には老衰で死んだ曾祖母にもガンがあっただろう、という医師の意見は、効果値を半分にして計算してみました)。父の兄弟6人のうち、父とその弟もすでにガン死でしたし、遡ると昭和に入ってからは、この2件を除いてすべて、です。

こうして、家系の傾向を調べておいたほうがいいことは、提言しておきます。もちろん、DNAがすべてではありませんが、無視できるほど軽微なものではないです。ガンであろうがなんであろうが、自分が将来かかりやすい疾患の傾向がわかると、今の生活を改善する大ヒントになるのです。賢く立ち回ると言ってしまえば、とても小ずるい表現ですが、「太く短く生きたいからいいんだよ」ではないのです。今と昔は違う。医学が発達しまくっているのです。しかも、日々、です。はっきり言いませう。「死にたくても死なせてもらえないんだよっ!」

ということは、生命保険や健康保険で、入院給付金や手術費用負担などのオプションに入っていなかったり、健康保険を滞らせている人が病気になったりしたときに、経済的負担をするのは、本人ではなくて、家族なのです。本人はもうそこで労働はストップですから・・・。哀しい現実ですが、生きていくというのはお足(お金)がかかること、です。

「オレはもういい。死にたいから、何もしないでくれ」という懇願に、応えてくれる医師ばかりではないことは、しっかり肝に銘じておいたほうがいいです。尊厳死のページや、他の検索をしてみればわかります。小さな医院だけではなく、大きな病院も経営です。みんなが「赤ひげ先生」ではないのだ・・・。「医は仁術」であってほしいですが、そうとは限らない。彼らだって食べていかねばならぬし、職業における野心を持ってはいけないとは言えない。「白い巨塔」のような学閥争いなどもまたリバイバルで流行しましたし、少し現実を垣間見れるように思えますが、どうでしょうか?(私は新しいのは見ていないのですが、田宮次郎のやつは憶えています) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%B2%E3%81%92 

セカンドオピニオンという言葉すら、日本に渡ったのはここ15年以内でしょう。私の父がガンで死んだときには、たいへんに新しい概念で、私はたいへんに不愉快な思いをしました。「アメリカかぶれ」とまで言われたのです。http://www.hasima-city.gifu.med.or.jp/nichii/second-opinion..htm 父は「出来る限り自宅で過ごしたい」と退院をしたのですが、その後の仕打ちはひどいもので、吐血して救急車で運ばれたあと、ERで言われたのは、「入院してくれていればよかったのに。ベッドがないから、あちこちの病院に問い合わせています。でも、いい病院とは限らないですから、期待しないでください」ということ。父はただ、モルヒネだけ打ってもらえて、家族が24時間体制で最後を看取ってくれるだけでよかったのに、それすらわからない病院だったのですよ。彼らの言う「いい病院」に行けば、生かされてしまうのです。

ここで、誰もが提案していることが、「生きているうちに遺書を書く」というLiving Will。アメリカでは、これはソフトウェアになっていますし、履歴書のようにドラッグストアに売っています。私も遺書は書いています。あ、更新していなかったので、しないといけません・・・。

このLiving Willにはっきり書かない限り、延命治療はされてしまいますよ、と私は言いたいわけです。誰かに言うとしたならば、証人が複数いるところで言わなければ、私のようになってしまいます。13・4人の親戚に囲まれて、「そんなこと聞いていない」と突っぱねられ、父の意思は無残に散ったのですから。が、勘のいい父は数日後、察したのですけれども・・・。

ガンは怖い病気のように考えている人が多いですが、本当にそうなのか?と考える必要もあります。生きたまま足がなくなったり、脳挫傷がひどく自分らしく生きていけなくなることがある交通事故のほうが、もっと怖いのかもしれない。認知症で自分がわからなくなって生き続けてしまうほうが怖いかもしれない。脳溢血で麻痺して動けないまま寝たきりになるほうが怖いかもしれない。

死に方は、生まれてくるところを選べなかったように、男女どちらがいいのか、いつの時代がよかった、などを選べなかったように、選べないかもしれません。が、生きていくのと同様、抵抗することはできます。最大限、自分の意志を反映させるためには、セカンドオピニオンをしっかり得ることや、病院選びをすること、保険にかかっておくこと、Living Willをしっかり用意すること、病気の質について学んでおくこと、などなど、抵抗にできることはたくさんあります。愛する家族に迷惑を最後にかけるのは、たいへんに苦しくて哀しいことですもの。

こんなの、きっと授業に盛り込んじゃえばいいんだよなぁ・・・。カードローンと同じだわ・・・。授業でやれば、学んでくれる人は学んでくれると思うんだけど・・・。

 

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