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少ない人口に属する人の苦労 ゲイ

 11/23/2006 にアップした文章です。

 

私にもゲイの友人がアメリカには居ます。日本で居なかったのは、私が大人めいてきてからずっと、バイトに明け暮れていたためで、ロクに友だちもおらず、ゲイバーに連れていってもらったものの、夜中の2時まで居て、そのあと朝の6時から朝食ウェイトレスのバイトが入っていたり、朝の9時に晴海に行かねばならぬ、などという強行スケジュールの日々を暮らしていたためです。帰国2ヵ月半して、ゲイの友だちができていないのは、私が新しい友だちをそれほど欲していないせいでしょうか。

私には、障害者でもゲイでもやくざでも、どんな少ない人口に属する人への偏見はありません。差別しないように努力する必要もないほど、誰にでも隔たりなく接しているつもりでいます。そんなわけで、本来なら必要な介護も、相手が本当に望んでいるかどうかを見極めるのに少しばかり時間をかけてしまうことなどがあり、気の利かないやつに成り下がっていることがあるかもしれません。

私の父方の祖父が全盲だったことは、1999年のエッセイでいくつか書きました。彼は死ぬまで私の魔法使いでした。私が生まれたときにはすでに失明しており、それ以前のわずか8年弱ほどは、視力がゼロに近かったにしろ、片目だけは見えていたそうです。そのわずかな時間で、できうる限りの来る暗闇のための準備をした祖父を、私は大尊敬していました。もちろん、物心がちゃんとついてからです。「めーめ、こわいよぉ」と泣いてしまい、なかなかおとなしく抱かれていなかったことも、祖父の口から後々聴くことになります。

健常者であっても、必要がないせいなのか、体力がないせいなのか、知恵がないせいなのか、イマドキ、斧で薪割りができる人は少ないかもしれません。私の祖父の仕事には、その薪割りがあり、五右衛門風呂のための薪を隔日くらいにやるわけです。私は助手にならせてもらい、丸太を台の上に乗せる役をさせてもらえてたいへん得意でした。毎日散歩にもいっしょに出かけましたし、煙草の火をつけたり、自分でごはんを食べ、トイレに行き、お風呂に入り、歯を磨き、井戸のポンプを操り、桑の葉やりんごやその他の野菜のよしあしを見たり、本当にすごいすごい魔法使いだったのです。なので、私は自主的にやりたいこと・やれることに対して、わりと放置する傾向にあります。さらに「やれるかもしれないのに依存していること」についてもかなり敏感かもしれません。

母の妹である叔母は、人工透析歴がすでに15年になろうとしています。12月で丸15年になるところです。とうとう、5個目の穴を開けました。暑すぎる夏や寒すぎる冬、具合が悪いのです。最近は積極的に会ってもくれず、たいへんさみしい想いを私のほうがしています。が、彼女の意志を尊重するしかないので、我慢しているところです。具合が悪いところを見せたくない、というのは大切にせねばならないです。彼女は1日160ccの水分しか摂れないので、1日に水分を2リットルも飲む私が、小憎らしく思えるときも出てくるはずです。それでも私は飲む。彼女の目の前で飲むのです。遠慮はしない。彼女が自慢するサイダーがあり、いつも飲ませてもらえるので、たいへんにうれしくてせがむのですが、それを出せるゆとりがなく、会いたい気分になれない今はたぶんとても具合が悪いのでしょう。すでに、肖像画を油絵で描いてもらってあり、葬式にはそれを使うように、との指示もあります。15年前からずっと覚悟はできています。

さて、ゲイの話。AIDS Day12月1日のエッセイで書いたことがあるのですが、まだまだ科学的論拠に確固たるものがないとはいえども、私の解釈では、ゲイは生まれ持った先天的なもの、という解釈になります。後天的なものではない。そもそもの種(DNAに埋め込まれたもの)が抗いがたいほどの強さでなければ、誰も苦労をして、他人と違う人口の小さい人口に行くことはないだろう、と思えるし、さらに科学的論拠の中でも、生きている脳の形状や性活動における脳内ケミカルなどが計測できないために、まだまだ資料が少ないだけだと思っているのです。抗いがたいほどの強いものが身体の中にあるため、後天的な環境が与えるさまざまな要因に刺激され、その種から芽が出て、つぼみになり、花が開くのではないかなぁ、と思うのです。つぼみの時期がうーんと長い人もいます。月下美人のように年に数回しか花を開かせないようにしている人もいます。が、ゲイも圧倒的に先天的なものが強いと思うのです。

私の中にも、純粋100%のヘテロセクシュアルな遺伝子が詰め込まれているとは思っておらず、女性のヌードがきれいだと思ったり、触るとドキドキするところを見ると、やはり圧倒的に少ないといえども(たぶん10%以下だなぁ)、ホモセクシュアル要素がゼロなどとは言いません。

私自身はゲイでないにしろ、ゲイの市民権が圧迫されてきた事実は、歴史として知りやすいところに住んでいました。San Franciscoの近所に住んでおり、大学が自由で革新的なところだったので、たくさんのサークルがあり、たいへんに日常的なことでした。心理学を勉強し、特にその「抗いがたい体内に宿る傾向」についてのさまざまなケースを見せつけられることがさらに多くなり、私は自分の救いもそこに見出した気がしたものです。私の躁うつ病も遺伝子によるいたずらである部分が多く、染色体番号までピンポイントできるところに行き着いていたので、相当な救いでした。とにかく振幅の幅がでかい。喜怒哀楽も性格も能力も、いくらがんばってもコントロールしきれない日々に、私の躁うつ病加減は、まだまだ軽いほうなのだと納得すると、さらに感謝できたものです。西さんは現在でこそ、性的傾向についての生物学的要素を大きく認めていますが、当時はまだそれほどではなかったかもしれません。それでも私のすべてを受け止めてくれることに、私は畏怖さえ感じたものでした。躁うつ病の人口比による率は、1~2%。ベルカーブ(正規分布)では、恐ろしく外れたものです。

ゲイは10%ほどではないかと言われています。が、これは統計が取りにくい。ある国ではcoming outすることが生き易くなる知恵になることもあれば、ある文化圏では未だタブー視されていることがあります。なので、数字には多少のブレがあります。が、世界中、どんな人種や文化であれ、平均ホモセクシュアル率はそれほどドラマチックに変わらないことが証明されていることもあり、さらに生物学的なものに支配されているという証拠にもなっています。男性が同性を性的対象とするほうが、女性が女性を性的対象にすることよりもずっと多い。コレも生物学的根拠を支えています。生命体の原型はメスであり、オスになるためにはもう一段階発達の手間が入る。そこで突然変異のようなメカニズムが入ったり、細胞分裂とその発達での誤差がホモセクシュアリティを生むかもしれない余地・チャンスの増加を増やします。

日本をざらーっと見ていても、芸能人やアーティストではない職業に就いたゲイには、まだまだつらい環境だなぁ、と胸が痛みます。婚姻にしても、生活文化にしても、資本主義社会に生きていれば、経済的安定がなければ、かなり厳しいものになります。養子をもらうにもお金が必要だし、身体まで女性になりたい場合などにも莫大なお金がかかります。婚姻をして、節税や福利、遺産や生命保険などに関する書類上の恩恵を社会から受けられるようになるだけでも、やはり差は大きい。私はこうした不公平には、やはり納得が行きません。結婚に失敗し、子育てにも子どもの頭数で補助金が出るのに、特に悪いことをしているわけでもなく、派手な仕事を選ばなかったゲイの人たちが不公平を感じるのは、高齢者が戦中・戦後の日本に貢献してきたにも拘わらず、さらに介護年金を支払わねばならなかったり、障害者が自立支援という不思議な日本語トリックの元に補助金を削られるのと同じように不公平です。さらに、贈収賄や公金横領やその他の事件が起きるたびに、その不公平感は倍増していくのでしょう。

お茶を飲みながら話していても、「なんだかわからないけど生まれつきそんな感じ」ということを含む事柄が、誰にもあります。その最たるものの中に、この少ない人口に生まれついてしまった人々の抗いようのない発現があるわけです。まだまだ隠れて暮らしていくしかない人々もいるかもしれません。消費大国ニッポンをやっている場合じゃないなぁ、と思うことのうちのひとつです。横溝正史の小説に「白と黒」があり、それを読んだせいで、今日はこんなお題になりました。

 

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