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恥について考えてみる その2

03/03/2007にアップした文章です。

 

恥ずかしいという感情が欠如しているという民族は、文化人類学でも心理学でも<これまでは>報告されていません。しかし、その度合いや、何を恥ずかしいかと思うかについては、たくさんの報告があります。昨日出した『菊と刀』もその一例ですし、論文は山ほどあります。たとえば、感情は2つの原情緒があり、「心地よい-気持ち悪い(心地よくない)」の2つが赤ちゃん時代の中心であり、そこからどんどん感情が複雑化しているという説が、主流だというのは述べました。恥はどのように形成されていくのか?

こんな実験をした学者がいます。その人にとって外国人(異人種)の顔の表情を見せて、その感情を推測してもらうというもの。その結果、6つの感情は、世界では国も文化圏も関係なく共通だということがわかりました。その6つは; fear, surprise, sadness, disgust, anger and happiness: 怖さ・驚き・悲しみ・嫌悪・怒り・幸せ。が、現段階では、生物学的に脳との関係を調べている学者もいたり、他の語彙がまちまちになっている感情について調べる学者がいたり、と深い追求は続いています。あまり知られてはいないようですが、かのDarwinもThe Expression of the Emotions in Man and Animalsを、1872年にこの世に出しています。進化論発表(1858年)から14年後のことでした。彼は、ビーグル号で世界中を回り、人々に生物学的相違の違いで、迫害までもたらしたのですが、同時に、文化の成り立ちや似た点について追求を続けていく覚悟のようでした。

恥とは何なのか?どこから来るのか?この大きな観点は、私がこれまでたくさん述べてきた、(文化的)全体主義にあります。〔totalitarianism〕個人は全体を構成する部分であるとし、個人の一切の活動は、全体の成長・発展のために行われなければならないという思想または体制。そこでは、国家・民族が優先し、個人の自由・権利が無視される。

面目を失うことを恐れる傾向が、この全体主義の中にはあり、そこで共存していくことを望み、足並みを揃える・類似点を尊ぶという副作用を生み出しながら発達します。

面目:(1)世間に対する名誉や体面。世間からうける評価。人にあわせる顔。めんもく。めいぼく。(2)外に表れている様子。めんもく。
名誉:(1)すぐれている、価値があると認められる・こと(さま)。ほまれ。(2)すぐれていると認められて得た尊厳。体面。面目。(3)功績をたたえて与えられる称号。身分などを表す名詞に付けて用いる。(4)有名であること。名高いこと。善悪ともにいう。(5)すぐれていること。上手なこと。また、そのさま。
体面:世間に対する体裁。面目。
体裁:(1)外から見た様子。外観。外見。(2)一定の形式。(3)他人の目にうつる自分の姿・ありさま。体面。みかけ。(4)人に気にいられるような振る舞いや言葉。
(もう一回、昨日の引用)
恥:(1)面目を失うこと。はじること。(2)はずかしいと感じられる行為や事柄。

辻褄がだんだん合ってきました♪「人の目を気にする」「できることならば他人に嫌われるよりは好かれたい」というのは、個人主義の国の人々より、全体主義では、ずっと重きが置かれます。これはある種のコードで、規範や自律を促すための基準となります。

個人主義では、この面目の範囲は狭まることになりますし(人にしろ、対象物にしろ)、価値観も多様です。最低限の「すべての人々が守らねばならぬこと」は、すぐに法令化します。不文律の決まりなど、違う場面・違う人々にとっては効力を持たないということが理解されているからです。暗黙のうちの了解、という美を、私は理解しているつもりです。それでも、私が「告知されたいか、されたくないかは、ちゃんと一筆残しておけ」を推奨するのは、「たくさんの人が登場して混ざると、暗黙のうちの了解などは屁でもないことに扱う人々もいるから」です。そしていつのまにか、理不尽な民主主義の権化の多数決に変わっていくのです。

たとえば、下世話な話ですが、我が家での暗黙のうちの了解はたくさんあります。家の中用と、外に出たとき、その外も場合場合によって、いろいろ躾けられてきました。飲み助の両親から教わったことは、「誘ったほうがなるべく払う」だったり、「今景気のいいほうが払う」だったり、「前に払わなかったほうが払う」だったり、といろいろと場合によって、コードが変わります。その混合版なこともあります。絶対に譲ってはいけないのは、「初対面のときはこちらが払う」というもの。なぜなら、今までのべで何度飲んできたか、もう数え切れないのですが(けっこう天文学的になるかもしれず)、体調が悪かった数度を除き、私のほうが必ずたくさん飲むのです。たくさん飲むということは、お金がかかるということ。なので、「払え」のほうに力を入れてきた両親の苦労は、ちゃんとここで実っています(爆)。

私よりずっと年下のお友だちで、我が家に来るたびに、おみやげをくださる方がいます。そうそう、フェレットのママだったぱるちゃんが、元気な男の子の赤ちゃんを産んだのですが、彼女です。もうね、毎回違うもので、珍しいものなのよ。私だけではなく、西さんや母まで気遣ってくれて、本当にすばらしい。彼女の場合は、「慣習」「面目」でやっているのではなく、心からやってくださっていることが伝わります。でも、おみやげを持ってこなくとも、私の彼女に対する感情など変わるわけがないし、持って来てくれたから好きなわけでもないわけです。ここのところ、彼女もよく理解してくださっていると思われ、ここまでもが暗黙のうちの了解になっています。

が、そんなにすばらしい機知を含んだコミュニケーションというのは、稀であると、前提にしたほうがいい。人々は違って当たり前であるし、それをコードによって縛り付けるのは虚しい。心が入っていないわけですから。喩えるならば、惚れて、惚れて、惚れぬいた女の人の家に借金があり、彼女には次に生まれ変わってもいっしょになりたい男の人がいて、あなたのことは眼中にまったくない。男性として見ていない。それでも家族や世間の事情やその他の義理など、長い目で見ればこの感情は押し殺さねばならないところまで追い詰められており、しょうがなく結婚する、というようなもの・・・。世間ではよくある話ですが、これに甘んじられる人もいるので、虚しさを超えてその後を紡いでいける人もいるので、悪い話ではないのです。ただ、辛抱も努力も必要で、人がぴったりとコードに従って生きているわけではないということが言いたいわけです。

恥というのは、自分が決めるものです。他のいろいろなことと同様で、いくら躾けられても、内容の意味がわからないまま受け容れていたのでは、「あとからきっと理解する」が裏切られる場合も多々生まれます。全体主義では、「人々」が裁判官ですが、個人主義では「神、目に見えないHigher Power, 自然の摂理」なことが多い。最終的に、自分が選び取ることができなければ、それは、私にとってはつらいことです。そもそも、時代によって移り変わる価値観を、全能でもない、全能にちょっと足りないでもない人々がジャッジするんだもの、怖いです。

自分のスタンダードや、世間が一般的と決めている基準に到達しない人たちに対して、「恥を知れ!」と言うことは、あまりに容易い。私は、ユルユルな人間なのです。そうして助けられてきて、そうして何度も敗者復活戦に挑んできたので、他の人も斬り捨て御免にはできない。

たとえば私の母は、ヌードの胸を見られることのほうが、下半身を見られるよりも恥ずかしいらしいです(笑)。だから産婦人科は別に平気らしい。私は、医者に見られるのはなんとも思わないし、タンクトップも胸開きの洋服も、見えていなければいいと思うのです。当て布やつぎはぎをした洋服も恥ずかしくないですし、私の恥はどこにあるのか?人より優れたものを平然とひけらかすことのほうに、私は恥を感じますね。そして、私は恥の多い人生を送らされている気分になるのが、とても苦痛です。生まれながらにして、スピードが速いことは、不幸なことのほうがずっと多かった。かけっこから始まって、今もタイプや翻訳や交渉やその他、いつも引け目を感じています。人々にMingle(混ざって)平穏に生きていければ、恥を感じないで済まされるので、ひとりの時間を多く持ちたいと思うのでしょう。

あ、最後はボヤキになっちゃったよ。これをまだ自慢だと感じる方は多い。自慢ではなくて、本当の恥なのだということは、わかる人はわかってくださる。ここですかな、ネコ型と犬型の違い、と明日のテーマを発表(爆)。

 

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