日本の英語教育で教えないこと日本における英語教育の限界点は、すでに来ているのですが、抜本的に改造するに至りません。なぜならば、「有識者会議」に招かれる人々のバラエティがない!というのがたぶん大きな原因でしょう。大学の教授陣たちが何を言えるというのか?というのは、今も疑問のままです。
こんな内容なのですね・・・。かなり醒めます(笑)。
私の生徒さんのおひとりが、新しい試みとして、リズムに乗って子どもたちがノリノリになれる英語教育を開発中なのですが、子どもたちに向けてやるだけではなく、映像があれば、大人もやればいいのになと思うような内容です。音楽に乗せて英語の言い回しをバンバン繰り返して話すというもので、子どもたちは踊ってもいいのです。しかも、先生たちがリズムのためにドラムなどを使っているあいだ、子どもたちもリズムスティックなるとっても簡易的な自分で調子を取れる楽器を手に、楽しく繰り返すというカリキュラム。
下地ができたら、私もPrecious One English Schoolで、採用させていただこうと思うくらいです。
とはいえ、私はやらないけどね(笑)>Nativeの若い先生にやっていただく。
とにかく「嫌い!」という気持ちを減らすとか、苦手ではない、と思えるレベルにするという意味では効用は高いですし、うまく行けば「楽しい!」となればもっといい。
私の体験談として、日曜学校で学んだ讃美歌がラテン語だったんですが、なぜかそれは今でも歌える(笑)。意味はまったーくわかっていない>説明された意訳ならだいたいの意味はわかってるけど(笑)。
文法を学ぶ前にこの体感に落すことをしてもらえていれば、あとがうんとラク!というのが、英語スクールをやっている立場としての意見です。
- 心のブロックの解除
- 体感に落とす:理屈ではなく、そういうものなのだ、という単純な受け容れ
- 訳さないクセ
この3つが整っている場合、その後、知識を増やすことにより、「あー!そうだったんだ!」という腹落ちがすぐに来るようになるんです。大人が英語を学ぶのに、しくじり率・離脱率が高く、マスターまでなかなか行かない理由は、メインでこの3つ。あとは個人差ですが、日本人で英語が話せるようにならない根本的な原因は、この3つですね。
●心のブロックの解除
ヒトの感情は「快ー不快」から始まると言われて久しいです(100年くらい?)この証明を脳医学的にするのが今行われている最中です。嫌い・苦手・違う・慣れない・面倒、なことはすべて不快側に入っちゃうじゃーないですか。このブロックが柔らかい人であれば、英文法の説明をしても、なんら抵抗感なく、「へぇぇぇ、そういうことだったのか!」というのが多くなる。そして、いつの間にか感情も「快」のほうに行っちゃってるってことが結果論として多いのです。
それゆえに、Precious One English Schoolでは、心理レッスンでこのブロックを柔らかくしているところなのです。
●体感に落とす:理屈ではなく、そういうものなのだ、という単純な受け容れ
歯磨きや食事など、ヒトが体感として日々の生活の一部の流れとして獲得したスキルは、認知症の最後期にならない限り、失われることはないです。しかも習慣化しているものは、いい感じで定着しますし、習慣化していないものであっても、「昔取った杵柄」として、何かのヒントがあればよみがえります。記憶の奥のほうから這い出して来るんですね。私のラテン語の讃美歌みたいな感じ(笑)。これがたくさんできると、右脳をかなり使っている証明みたいなことになります。右脳の発達は、英語を話すのにかなりAdvantageが高いです。
●訳さないクセ
5日前のBlog記事「Low Contextな英語のアヤ」に書いた通り、映像化や目の前にあることをそのまま英語にするクセがついてくれれば、こんなにラクなことはありません。日本語はHigh Contextなので、ひとつの言葉が広い範囲を指してしまうのですが、英語は細かく指し示す事柄が多いですし、表現としても具体化を求めます。「わけわかんないまま話してる→でも通じる」というのは、2.と併せてとても重要な感覚です。
日本の英語教育でこれらを小学校・中学校くらいで前提として教えてくれたらなぁ、と願うばかりなワタクシです。
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