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本当の意味での友だちができない

これなのですが、私は友だちの大切さを実際のところはあまり理解していないまま、こんな年齢になったのかなぁと思ったりもします。

友だち: 志や行動などをいっしょにして、いつも親しく交わっている人々。 単数にも用いる。 友人。

互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。友人。朋友 (ほうゆう) 。友。

私個人がたいへんにシニカルに出来上がってしまっているせいなのか、自分の中の哲学として、

People come, and go.    人々は訪れ、そして去る

とかなり強めにきっぱり信じています。でなければ、去った人に対しての私の未練は、本当に私自身を破壊するほどになってしまうと思うんですよ。特に誰かに先立たれたときなどは、もう立ち上がれないほどになってしまっていただろうと。高校1年、21歳で、親戚以外の人たちの死に遭遇したのち、私は本当に弱くなった自分を自覚させられつつも、やはりバイクや車からは離れられなかったのです。そして、自分自身もパイロットになる道を選んだ・・・。ゆえに、その後もやはり突然死なれてしまうことに遭遇もしましたし、父は私が28歳のときに亡くなり、私はその父の死んだときの年齢をとうに超えてしまいました・・・。(・・;)そして1年4か月前には母に先立たれ、天涯孤独になりました。子どももいないので、弟と絶縁後は、もう本当に天涯孤独なのです。

血縁や強い絆と感じていた人々と別れねばならぬときに、いちいち心を揺らしまくっていると、自分の人生を生きていく覚悟というか、潔さが損なわれる気がしています。なので、いつ去ってしまっても大丈夫状態というか、私のほうが折れない心を持たねばなぁと考えた結果、少し冷たいのかなぁと(笑)。

怖いので、誰ともなかよしにはならないというわけでもなくて、うんとなかよく近づくことはあります。というか、確率的には、なんとこんなに距離を詰めてくるのか!と思われることも多々あるんじゃないかと思うのです。ただ、それは自分が相手の役に立つ部分だけなので、至って少ないし狭い(笑)。ゆえに、切られてしまっても当然というスタンスなんだろうと思われ、心がうんと持っていかれることがあったとしても、部分なので耐えられるってことなのだろうと思うんだよなぁ・・・。

しかも、これはけっこう年齢が行ったから、というわけではなくて、10代からずっとそんな感じ。むしろ、小学生くらいからそうだったんだろうと思われる。ヒトに好かれたいと思っていなかったり、好かれると戸惑ったり、負担に感じたりするのも変わらないな・・・(笑)。やっぱりひとりが好きすぎるんだろうと思うのです。なので、ネコくらいがちょうどいい(笑)。

長い友だちが変わってしまうところを目撃したくない、という純真さもあるんだろうと、自分では甘い見積もりもしています。あんなに輝いていたり、あんなに夢を追いかけていたのに、いつしか止めてしまうなんてところはゼッタイに見たくない!とも思っています。

特にバイクに乗っていた人が、昔のことを本気で悔いているところなどは見たくもないし、聴くだけで腹立たしいので、たぶん、そういう悲劇も避けるようになっちゃったのかなぁ。

で、本当の意味での友だちって、イッタイナニなのだろう??

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