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校長センセが校長センセである所以(ゆえん)

01/06/2007 にアップした文章です。

 

物事を教えるというのは、やはり、適正というのがあるのだ、というのを実感した著書でした。以前に、本というのは目次を見れば書いてあるほとんどのことが予測できる、と書きました。校長センセの理系の頭は、ここのところをしっかり押さえてあり、目次で予告してくださったことを深く掘り下げてあります。教科書を苦手だと思う必要がないのはここで、よく書かれている教科書は、目次だけを丸暗記するだけでも、たとえば歴史であれば、年表関連のテストくらいならちゃんと答えられるようになっています。へい。伊達に学生を長くやっていないので、点数が取れるコツならば押さえていますよ、私(爆)。

2冊読み終わったのですが、エッセイのお題にしたいことがてんこ盛りで書いてありました。が、今日は、いい先生について、学ぶ効率がよい生徒の態度について、言及したいと思っています。校長センセへの敬意をこめて。

私が常々、「大きな絵柄」という語彙をやたらと使っているのは、それぞれの頭の中にある引き出しから出したものを貼り付けていく、地図のようなもの、パズル、タペストリー、などを想像してもらいたいのです。過去の経験から培った情報や、記憶等、すべてを入れてある引き出しと、それを引き出して使うときに広げてみる絵のことを指します。その地図が大きいほうがいいし、貼り付ける材料になるものも多いほうがいい。質がよければそれに越したことはないし、色別になっていたり、その性質が仕舞ってある引き出しごとにしっかり整理されていたほうが、貼り付ける作業もうんとラクになります。これが、心理学でいうところのSchema(スキーマ)で、誰でも引き出しはひとつばかりではないし、いくつもの事柄をいくつかの引き出しに仕舞いこんであり、さらに使う場面になると、現在この瞬間に頭の中で引き出して映像化するために、言語化するために、地図やパズルやタペストリーなどの下絵のようなものに、並べていくことになります。意識的にやっている人もいれば、無意識で整理されていない場合もあり、意識的にできるようになったほうが、駒(貼り付ける材料の部分;引き出しから引き出してくる部分)の数や質もうんとあがります。

これには行動も影響されており、歯磨きをするには歯磨き用のスキーマを取り出してきており、何度も何度も繰り返される行動は、無意識の領域へと入ります。

これを踏まえると、他人に物事を教える適正が高い人のスキーマは、物事を普段からいかに整理してあるか!ということに尽きるのではないかと思うのです。はい、校長センセに代表されるような方のことです。著書にもあるように、理系でエンジニアだったせいなのか、物事を表化・図式化・公式化するのがお好きで、しかも得意なようで、これは日本語という言語にも共通しているのでした。私は文筆業をできるほどの下地はないにしろ、読む量と感性は長けていると思っているのですが、本の語尾や頻出する語彙などには、よく気づくほうなのです。聞き手・読み手がわかるようにチェックポイントとなる、語彙や語尾を使っていることや、結論を先に出してから噛み砕く方法など、教えるためのテクニックを持っているなぁ、と感心しており、はたまた立ち止まって考えるに、「いや、コレはテクニックではなくて、おそらく第二のネーチャーになっているんだろうな」と考えたのでした。癖となったものが、いつしか自分のモノとなり変化しないよう定着しているようです。

著書の中にもあるのですが、「考えることを強く勧める」のですね。校長センセがこうなったのは、この考える行為を癖にし、続けてきたからなのだと、頷(うなず)かざるを得ないのです。簡単な三段論法ですね(笑)。

2番目に大きく感じたのは、校長センセの合理性です。私はもっと、校長センセのことを、「義理人情に重きを置くのかもしれない」と思ってきたのです。ただ、年代にしてはドライなところが大いにあり、合理性を追求なさる職や立場におられた期間が長いのかな、と。それがそうではなかった。おそらく、脳の関係なのだ、と読んでいて思ったわけです(爆)。右脳使いが、左脳をしっかり刺激されつつ育つとこうなるんだなぁ、といういい例なんだなぁ、と感心してしまった次第です。著書の中にも、少しだけ私生活を覗けるくだりがあるのですが、そこで書かれていることは、芸術やスポーツや音楽などにも渡ります。左脳もしっかり刺激して育ってこられたことは窺われます。工学系の方々で、「バカと紙一重」といわゆる表現される人々には、左脳への刺激が少ないことがままあります。が、校長センセは、そうではなかったのだ。徹底的に脳は、合理性を求めて止まないところへ、本当にいい塩梅の、適度な左脳への刺激を受けて、大人になってからは自分でも求めて生きていらしたのだということがわかります。

たとえば、著書を著すというのは、Audience(観客、この場合読者)をしっかり決めて書いているという合理性です。私のこのブログは、一体誰に向かって書いているのか?と、たまに人に聞かれるのですが、あくまで、1.自分の考えのChronological record(時間軸を伴った記録)であり、その次に来るのが、読んでくださる方々のことです。自己中心で身勝手というのではなく、観客・読み手をこちらが決めてしまえるほど、すごい内容でもなく、コメント欄や季節や事件により、内容は臨機応変に変えられたほうがいい。弾力性がなければ、こんなブログは続かない。お金を取っているわけでもないので、肩に力など入れないほうがいいわけです。私としては、これが合理性。どっちに転んでも自分が困らないし、特に大いなる迷惑を誰にもかけないためにはコレがいいのです。が、校長センセの場合は、コレは文筆家として書かれたものなので、Audienceを決める必要があり、彼らにだけ向けて書いておられる。

私はいつのまにかビジネスウーマンになったのですが、校長センセのこの本を教科書やバイブルにするような年齢でもなく、経験値でもないので、校長センセを見るため、頭の中を覗くために、ワクワクして読みました。が、実際に、校長センセが合理的に狙ったターゲットには、よく届くような書き方をなさっており、感心。

ただひとつ、文章では人柄は表れにくいもので、いや、表れているのだけれども、一度も邂逅したことがない人には、汲みしきれないところがあるわけです。行間にそれが溢れているはずではあるのですが、ただの想像を逸しない。私は幸運なことに、行間までを拾うことができ、少し歯がゆかったのが、「校長センセは、話している間合いに味があるのだ」ということが、本ではわからないことです。接続語や接続詞、ふと止める言葉や、口を開くまでの間合いというのは、人柄を表すのに、たいへんいいバロメータです。著書を読むだけでは、立派な賢い人を想像しやすいでしょうが、この間合いを見ることができれば、また多面的に人物を掴むことができるのにな、などと思ったのでした。うーん、だから最近、文筆家や評論家はTVへの露出がすごいのかな?(笑)イメージパッケージだから?(笑)

特に褒めすぎているとは思いませんが、褒めすぎていて、こそばゆかったらごめんなさい(爆)。明日からは、この2冊の本に書いてある、私が気になったお題について細かく書いていくことにします。私のほうは、カルチャーセンターの募集広告に使う写真を提出せねばならず、けっこう憂鬱(爆)。明日は、無料の認知症セミナーに出てきます。アメリカ人の講師を招き、通訳までつけての講演会なのだそうです。私は通訳は要らないのですが、どんなもんだか行ってきます♪あー、こうして勉強の日々は続くのだわ。でもねぇ、机に向かって、テストがある勉強したいなー。

 

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