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母不在の生活

母がいなくなってからすでにそろそろ2か月が経ちます(現在2021年3月末)。それでも私は、母の部屋の前を通るたびに、心の中で声掛けを変わらずしてしまい、毎朝水を替えてお線香を上げるまで、生きているかのように振舞ってしまいます。

不思議なもので、こんなことをし続けているせいなのか、本当に何も考えずに、母の分まで盛り付けをしてしてしまったり、声にして話しかけてしまうことも、この2か月弱相当数ありました。

幸い、母の部屋の片付けは急ぐ必要性はなく、介護用ベッドを引き払ってもらったり、春になったので、雨戸を開けっ放し状態OKになったり、掃除機を2回だけ掛けて、残りの段ボールを1つずつ、気力があるときのみ、片づけています。こんなスピード感でやっていくと、あと3か月は掛かってしまうんだろうな、とは思うんですが、急ぐ必要性をどうしても見出せません。だらしないとか、有効利用できるだとか、そういうことではなく、どうしても母を忘れたくなく、物理的なモノがたくさんあることに、もう少し浸っていたいと願ってしまっているところなのです。

小さい頃は無条件に母が大好きだったのに、母の心配や気遣いはすべて弟に向けられていて、私は母にわずか4歳くらいで、「好きでお姉ちゃんに生まれたわけじゃない!」と言い張っていたそうなので、それ以降は、やはり母を弟とシェアしたくてもしきれず、放置されることにだんだんと慣れていったのだろうと思います。

その後、彼女にならぬように生きてきました。もっと強く、もっと教育を受けて、もっと手に職を、もっと誰にも自由を奪われないように、もっと泣かないように、もっと笑えることが多いように、もっとわからないことが減るように、もっと世界が広がるように、もっと女性らしいことに気を奪われないように、もっと食にこだわらないように、などなど、たくさんの母と真逆を目指すようになっていく中、それでもやはり、彼女がいたから自分がいるということについて、そんな彼女に育ててもらって、こんなにも愛を深く知ることができて、矛盾に苛まれていく日々ではあったのですが、母にそっくりな部分、母の小さいクローンは、やはり私の中に確実に存在します。

それでも、母のように生きていくことは、私にはやっぱり選べない。

結婚にも抵抗し、子どもも作らず、育てず、離婚もし、雇われることをせず、誰かの指示を仰ぐことが中心の暮らしからは、イチバン遠いところにいなくては、と、今もまだずっと決意は揺るがぬままです。

それでも母が教えてくれた、ばらまけるほどの愛や慈しみや泣き笑いを、やはりもうちょっと醸造したいなとも思うのです。その後、歳をうんと食ったら、ちゃんと蒸留しようと決意しているところです。まだ取っ散らかりすぎて蒸留するプロセスには入れないザマではありますが、オーダーした骨壺の中にいる母に話しかけながら、彼女がくれたものをひとつも取り残すことなく、どうにか純化していけたらと思うのです。

とはいえ、実利的な片付けは本当に笑える作業です。袋物が50以上出てきていますし(笑)、エコバッグだけで7つとか・・・。糸はミシン用のものだけで100本以上あります。これらをどうしたらいいものか・・・。

使い尽くせたらいいんだけど、私は目下のところ、ミシンで何かを作るなどという時間や心のゆとりがないよっ!この前、Yokoちゃんとスクールのカーテンの修繕をするのに針を使ったときに、「げぇ、才能ないなー」と呆れたくらいですし(笑)。

でも、やっぱり全部使い尽くせる方向にはしたく、もしも使えなかったら、ちゃんと使える人を探そうと思いますっ!

不在にどんどん慣れていくのだろうか?ここは不安要素高めです。(・・;)

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