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献身

 [1999年08月11日(水)]に書いたものです。少し尖った表現をしている(笑)。

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献身:一身を捧げて尽くすこと。自己の利益を顧みないで力を尽くすこと。自己犠牲。
献身的:自己を犠牲にして他のために尽くすさま。
devote:<一身・努力・時間・金を>(全面的に)ささげる。当てる。振り向ける。奉献する。呪う。身を捧げる。専心する。ふける。
devoted:献身的な、誓った、熱心な、熱中して、傾倒して、一心になって、熱愛している、愛情深い、忠実な、呪われた。

私はこの言葉は知識としては知っているし、たまに目撃もするのですが、あまり好きな言葉ではありません。ついついテレサ・テン系の私恋愛に縛られてます的演歌を思い出してしまいます。私は演歌の歌詞の真髄がわりと好きですが、誤解して解釈して自己陶酔しているような演歌チックな生き方をしている人ってちょっと遠い・・・、あなたはどこにいるのぉ?って感じです。

その割に前川清をついつい買ってしまうことを反省したりしますが、やっぱり私にもどこか自己絶望ブルース系・あるいはムード歌謡系ではなく、自己陶酔演歌系な部分が潜んでいるのか?なんて思っちゃいます。こういうところがあってニンゲン当たり前なんですが、いつも水鳥みたいに優雅か、チャップリンやキートンの無声映画のようにおどけていたいと私は願っています。

一身を捧げて尽くすってぇのはいいと思います。自分の全力を何かにどーん!と打ち込んじゃうっていうのはなかなか美しいことです。でも私には「他人のために」というのがちょっと納得しがたい部分です。

「ああ、あたしなんかどうなってもいいのよ、あなたさえしあわせなら」なんていう情況って存在するんでしょうか?きっとある特別な場面の特別な人々にはあるのかもしれませんが、私にはこれまで訪れなかったです。それって例外的な範疇なことじゃないんでしょうかね・・・。

献身2 献身3

ブルース・ウィリスの“Armageddon”はなかなか納得して見ました。涙をぼろぼろ流してしまいました。エアロスミスの曲をバックに、人類すべての存続のために彼ひとりの生命を投げ出すっていうのは、欺瞞的自己犠牲でなく、本当の純粋な主人公のそれまでの生き方を、あの決断で凝縮しちゃってた、って感じで気持よかったです。私もああいう人になりたいと心から願ってしまいました。

ここで英語の解釈も入れたのは演歌を引き合いに出しちゃうゆえんなんですが、日常一般的に使われるのは「何かに縛られている」という意味で使われるか、神様や物事に自分を捧げる・帰依してるって状態のときです。

たとえば
She is a devoted wife, mother, worker, and Christian. (彼女は献身的な妻・母・働き手・クリスチャンである)
これは彼女という人間がたとえば愛人であっても、きっと同じような熱心さで与えられた社会的役割を懸命にこなす、という含蓄があります。そばにいる人間を指定してその人にだけ献身するってわけではなく、彼女のような人は誰にでも全力を尽くして自分を顧みる前にがんばるっていうような意味があります。
She is a devoted wife.(彼女は献身的な妻である)
これでも同様です。妻としての役割に対して彼女は全力を尽くしている、という意味あいが深いです。だんなさん一筋って意味じゃぁありません。

She is devoted her waking time to smoking. (起きているあいだ彼女は煙草を吸うことに囚われている)
これはひとつのある物事に囚われている状態を指していて、起きている時間、優先的に煙草を吸うことに熱心・時間を食ってる・他の行動を犠牲にしちゃってるっていうニュアンスがあります。

献身と言ってまず私が最初に思い出したのがクリミア戦争の看護婦ナイチンゲールで、その次がマザーテレサでした←やっぱりパートナーにインタビューしても同じだった・・・。

私テキに言うとやっぱり献身というのは「人を選ばず物事に全力をかけて従事する」という意味合いが深く、テレサ・テン系の私恋愛に縛られてます的演歌は「王道じゃないぞ」っていう感じです。だって「人を選ぶ」んだもん・・・。自分の恋人や子どもや友達に忠実で熱心で愛情深くって当たり前でしょ?って感じですね、私は。何そんな当たり前のことアピールしてんだよ、って思うのはいぢわるですか?献身のもっと深い意味合いって「自分がふだん大切だと意識してない人々」にも心から一身を捧げられちゃうからいいんぢゃ?と私は思います。

テレサ・テンの歌、私は好きですよ。カラオケで唄うときはちょっと「ああ、私ってすごいけなげ、どうしてこんな私の愛は報われないの?人をひとすじに愛するってつらいわ」ふうな自己陶酔が入ってしまいます。でも私はこれを献身とは呼びたくはないですねぇ。勝手に人を好きになっておいて尽くして棄てられてもなぁ・・・って感じです。あんたのそういう何でもかんでも「あなたのためにやってるのよ」っていうのがうざったかったんじゃないの?っていう追い討ち感想もあります。

あんなふうに男をダメにしておいて何寝言ばかり言ってるんだ、と我に返ると考えます。「好きだからそれでいいの?いっしょに町を歩けなくていいわけ?待たせる男をどうしてそんなに好きでいられるの?」と架空な世界であれ聞いちゃってますね。でも私もやっぱりそういう恋愛したことがあった・・・(汗)。だから、そういう自分を捻じ曲げてでもいっしょにいたかったような恋をしていた自分への哀愁があるんでしょうね。で、テレサ・テンの演歌を極度に不愉快だとは思わず唄ってしまうわけです。「ま、過去形だしいいかな」なんてカラオケなら、酒場なら許しちゃおうかな、と。

献身したいからって何も自分を犠牲にするこたぁないです。自分を大切にしても一身を捧げること・利益を顧みず他人のためになることもできます。犠牲になっているところを見せられ続けていたら、フツーの感覚だったら罪悪感で嫌になっちゃうことでしょう。逃げ出したくなります。ほんとにテレサ・テン演歌の結末になっちゃいます。

かと言って「自分のためにやってるからいいの。たまたまあなたにやってあげたいの」というのも違うでしょう。そりゃぁただの押し付けです。自分勝手すぎます。やられたくない人はたくさんいるはずです。相手を見てやりましょう。これも自己陶酔です。「あんたの世界に私を巻き込まないでぇ!できないとき・できないことはちゃんと言うから放っておいてぇ!」って感じです。

でも、ニンゲン誰しもそういう甘美な自己陶酔に執着してしまう危険なスキはあると思うんですが、おっとどっこいそりゃぁ自分のためだけだぜぃ、ですね。「これをナイチンゲール・マザーテレサあるいはブルース・ウィリスが扮したハリー(アルマゲドン)といっしょくたにしちゃぁいけませんぜ、だんな」って私は思いますね。

自分が自分であるために、自分の信念を通すために、彼らはきっと自分と他人の境界線をなくすことで献身が可能だったんじゃないかと思います。「ある特定の人間に好かれるため、感謝されるため、愛を得るため」でなく、「自分を好きでいるために、自分がしてもらいたいことを他人にもする」を体現したんじゃないでしょうか?受け取ったほうもそれに心から感謝できる☆たとえ長い時間経ってもその感謝は続くような・・・。

ワタシが自己陶酔演歌やってるときはどうぞみんなで罵倒して、ご指摘くださいませ←カラオケを除く。

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実は、私の本質は、内向的だし、giving, helpingな人間なのですが、それを戒めるためにいろいろ考えた時期もあり、実際に英語スクールを開始してから、無料部分をたくさんにしてしまい、ほとほと疲れて時間が算段できないこともたくさんありました。本質はなかなか変わりずらい…。とはいえ、それなりに黒字でないと存続ができないので、踏ん張って言い放つこともしないとね、というところに今位置しています。

残しているのは、「取り放題」方式で、この取り放題方式はみなさんに大好評です。個体差が埋められ、がんばった人にはがんばっただけのご褒美が均等に出る方法なので、自分でもかなり気に入っています♪

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