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目には目を歯には歯を?

このハムラビ法典からひとつだけやたらと有名になった言葉を、かなりの人が頻繁に使っていますが、私はこの「されたら仕返す」というのにとても抵抗があります。もちろん私だって大義名分をこいておいて、同じようなことを仕返していることはしょっちゅうあります。そのたびに自分がたいへん嫌いになり、「おいおいおい、されたからって同じことしてたら世界はなーんも変わらないよ」と叱咤しています。

子どもの頃やりましたね。最初はぶたれたら「ああ~、なんでぶつのぉ?」と聞けるのですが、その次に「ぶったらブタによく似てるぅ♪」と言って少しだけ気を紛らわし、まだ叩かれるとつい手が出ちゃうっていうの。何だかそれがベースみたいなもので、ネットであろうがリアルタイムであろうが、社会問題であろうが、このへんの基本に対する理念みたいなのが働いていることがたくさんあるなぁ、と今日もテレビを見ていて思ったのです。

そしてそれはやっぱり自分を守ること、特に自分の身体や心のなかの品位やプライドや大切にしているものを守るためという目的が最初で、いたちごっこだなぁと思ったのですね。だってさ、やっぱりその自分ってぇもんがみんなそれぞれ違うんだよね。建設的な言葉の応酬から(=違うということを忘れてしまうという人間のアタマに繰り返し伝えること)、なぜか暴力的なことにまでいってしまったり、心にしばらく消え去らない傷にしてしまったりする…。

だ・か・らぁ、みんな同じくらいなんだよね、自分を大切だと思う気持ち。たくさんの層があって、どんな言動をしていようが、どんなユニークで特別な自己表現をしていても、やっぱりみんな自分が大切だと思う気持ちはそんなに大きくは変わらないはず。それを忘れてうーんと譲って、踏みつけられたような気持ちになるのは、たとえ普段「私はそれはいけないと思う」と言える人でも言えない人とそう変わらないのではないか、と私は思っています。自分を鍛えた人ほど、その振幅の差に臨機応変に表現しなくてはいけない場面が多いので、かなり安定した自分をPresentation(表現)できる人には難解であることは確かでしょう。けれども、基本はそーんなに大きく変わらないし、どうしてその振幅の差ができてしまったのか、人間ひとりひとりの成長を細かく見る誠意があるかどうか、というのがCommitmentであると私は思っています>距離感。

自分だけ知ればいいのならば、自分で手いっぱいならばそれは手を出さなくていいと思うし、もしも読み違えたら修正する気持ちがあれば、勇気を出してCommitしてみればいいです。

今日のテレビはアメリカで増えている女性拳銃携帯についてでした。アクションパックのすごい盛りだくさんな内容でしたが、なぜ女性か、という説明のところが切なかったですね。なぜかパネラーたちは「女性は弱い存在」と決めているわけです。性差を取り除けて考えたら焦点がぼけてしまうにしても、どうしてParticularly(特別に)ピンクのガンやパールハンドルのガンをまた露出するのかなと不思議に思いました。もちろんこれは「ガンを持つことも世論やおしゃれや流行」と思っている人への皮肉なんでしょうけど、そういう視聴者もたくさんいるので教育の一環なんでしょうか?せめてなぜ女性か、という説明に「女性は特別に弱くありません」「生命の関わる問題です。女性にはとっつきにくいとされている問題でしたが、話し合いましょう」というのが欲しかったかなと思いました。

「女性もガンを持ちましょう!」というキャンペーンをアメリカの首都ワシントンDCで展開している女性が出ていました。彼女の理屈は「ガンという暴力に対抗するには、今もっとも有効なのはガンで、さらにどうして女性であることで私や他の女性たちが男性と同じ権利が与えられないのだ?」ということでした。うーん、違うぞ、これ…。Guns&Womenという雑誌が月に2万部も売れていることにもちょっと驚きました。女性発行人の父親がその会社のCEOという背景もあるのですが、彼女は「きちんとトレーニングをすれば車やジェットスキー同様に社会に扱われて然り。スポーツとしての利点もある。持っているだけで娯楽と護身のために使うなら問題ない」という理屈でした。うーん、違うよ、これも。

こういうのが詭弁っていうんだよな、と私はこんな理論がテレビで「言論の自由」の元に放映されてしまうアメリカがどうして病んだ部分も大きく持ってしまうのか、少しわかったような気がしました。

家庭内暴力が表面化してきました。これはとってもいいことです。夫婦や親子のあいだでひとりだけ突出していた男性(夫・父親)の力が「もうそれじゃ通用しないんだよ」というのが世論になってきて、どんどんCloset(クロゼット、押し入れ)から出てくる被暴力者が口を開くようになったからです。少し前のFabにも書きましたが、その際防衛するためにSelf-Defense(自己防衛、裁判で用いられるときには正当防衛と日本語で訳されること多し)という名の下に「目には目を~」という結果になってから世間に知られるよりも、生命の危険が多少でも発生したときに自衛することができたら、「力には力、けれどもそれが暴力である必要はないぞ」という子どもの頃に自然にしていたことになるような気がします。

だんなさんに拳銃を顔面につきつけられて離婚してから、ガンを持つようになった女性が言いました。「私の身を守るには相手と同じ力をあるものを持たなければならないと思って、Shootingを習い、拳銃所持許可証を取った」と。それが解決策なのでしょうか?確かに男性がガンを持っている女性を「おおお!自分の身は自分で守っているんだぁ、感心だ。彼女ならば俺が守ってやる必要もない。すてきだ」という見方もあるのかもしれません。でも実際にそうなんでしょうか?これが戦争問題にまでなったスケールで考えてみると、相手がオートマチックを取り出してきたから、こっちはライフル、ライフルがだめなら手榴弾、それでもだめなら戦車、それに対抗するために戦闘機、それでも互角ならばミサイル、それでもだめなら化学兵器、そして核兵器。こうしてどんどんキリがないことになります。

ましてや、フツーにモール(ショッピングセンター)を歩いているときに隣にいる女性のバッグのなかにガンが携帯されているのか?と疑ったらちょいとノイローゼになります。いくら彼女の立場にしてみれば駐車場で暗くなってからの自分の身を守るためでも、「安全弁がカチッと外れたらどうするんだ?そういう事故は起こり得ないのか?」と思うと怖い環境になっていきます。

公開番組の会場に向かって「ガンを持つことは自衛になり、自分はそれをやりたいと思うか?」と司会者が尋ねたときに「Yes!」と大きく手を挙げたなかに12歳の少女がいました。私なんかまだ初潮も始まってなかったよ、その年頃…(汗)。彼女は4歳から父親に連れられて射撃を習い、今でもその大会などに出ていてきちんと安全教育をされています。けれど人間には間違いが必ずあります。そのときに犠牲になるのが同じ人間であるということや、生命に別条があるということが問題なんじゃないかと怖くなりました。

更に番組は進み、2人の白人と2人の黒人の4歳児に心理学者が「さ、これからみんなで仲良く遊んでね。お部屋のなかにはマッチやガンやはさみがあるけど、大人がいないところではそういうので遊んじゃいけないのよね?」と質問します。みんなハキハキと「そう。ママに教わった」「うん、パパといっしょならいいの」「見たことない」とみんな答えて部屋に入ります。ものの2分も経たないうちにいちばん最初の子がガンに触り、「Safe Gun(おもちゃの安全な拳銃)だから大丈夫よぉ!」と遊びます。「だめなんだよぉ!」と言っていた子もPeer Pressure(仲間からの圧力)に負けて「お葬式ごっこ」へと展開しました。

その様子を見ていた母親のうちのひとりが泣き出してしまいました。「こんなこと家では教えてない。どうして?どうしてこうなっちゃうの?」と。何だか私まで泣き出してしまいました。ああ、この少女は私でもあるのだ、と思いながら。

これは拳銃というExcessive(行き過ぎた、度を超えた)ことではありますが、これを他のことに応用した人間の心の動きというのは私たちのまわりに溢れています。「他人に何かをやられたらやり返す」という心はないでしょうか?私の心のなかにはあります。何度も何度も我慢するように自分なりの規範というものを打ち立ててきました。けれども私も人間の弱いところを持っています。だからいつだって何かのチャンスでそれは顔を出します。それをまた抑える努力はしますが、見せないだけでどこかにそういう「やり返してやろう」という気持ちがにじみでていないとは限りません。困ったものです。けれども重要なのは、好き嫌いや気分や時間のせいにしないで、その規範を守る姿勢であると私は思っています。

なので「目には目を、歯には歯を」は私スタイルではないし、もしもちょろっとたまに出てしまってもそれは私の本意ではありません。悪意だとか作戦だとか言われてしまうのは心外です。逆にいつも規範に沿って行動していても文句を言われたりします(爆)。「本当の姿が見えてこない、スーパーマンみたい♪」とかって…。うーん、その振幅の差はわからない人にはわからないでもいいです。私が善意だけの固まりだなんて言ったことは一度もないのに、受け取り手のイメージまでが私が原因のベストワンだといつも責任を押し付けられるのにも疲れてしまいました。ここでも「目には目を、歯には歯を」をやらないでぐっと堪えるのはたいへんです。でもがんばります。説明することは惜しまないけれども、いじわるはしないようにがんばります。

でも何度も何度もの限界の見極めってどうすればいいんでしょうか?これはまだまだめどがありません。だからいつも相手が去るまでここにいることになります。

それにさぁ、「ぶったらブタによく似てるぅ!」だし、「ぶ」のつくモノにはブスもあって心配だし、ブーメランなんて言葉もあってやっぱりまた戻ってくると思うと怖いし…。そう思いながら何かのチャンスがあって拳銃で撃たれるようなことがあっても甘んじて受け止めて死にたいと思います♪

 

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