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禁断の恋

Jan 29, 2006に書いた文章です。

禁断:ある行為をすることを禁じ止めること。厳重に禁止すること。

昨今では、こんなもんあるのか?と私は軽くいなしていますが、当事者にとってはさぞかし苦悩に満ちたドラマチックなものすごいことなんでしょうね・・・。不倫という言葉が流行りだしたのはまだ15年かそこらかと思いますが、どうしても美化したい、という強い想いは伝わってきます。

私は他人の恋をいい・悪いで判断する態度は持っていません。なので、本人がよければいいのです。You are OK, then, I am OK, too.って感じです。

そもそも、不倫をするにしても、誰も止めてないと思うのは私だけでしょうか?刑事責任があるわけでもないし、バレたときに民事のお金で解決し、既婚者ならばパートナーとバイバイで、親権もなくなるかどうか、ってことですよね・・・。世の中には、履いて捨てるほど不倫をしている人たちがいますから、その覚悟だけあれば、誰も止めてはいないと思うんですよね・・・。少なくとも私は止めませんよ・・・。それくらい後から出現した人物が好きになることはあるでしょう。自分のハートの思うままにしたいならば、精神的な部分だけではなく、丸ごと解決するために、お金や今後も引き受ければいいだけの話です。

禁断の恋というのは、私の理解から言えば、伝統のある造り酒屋や王家などで敵対している家同士の一人っ子たちが恋してしまう、Romeo and Juliet構図ですね。あとは、まだ世界のあちこちに残っていますが、社会が決めた枠組みの中での『階級』が違うというもの。インドでのカースト制度などがわかりやすい例でしょうか?が、今ではその考えも受け容れない人々は増えて、USに移民してきた人たちの中には、他文化出身の人々と恋して結婚している人たちも多いです。

これらなら、確かに歴史や周りからの愛情や期待、社会の不文律である規律などはあるのでしょうが、解決法はあります。そこではダメなら、よそに逃げればいい。駆け落ち的発想ですね。特に、大昔のように食べてゆく手立ての多様性も増えましたから、逃げるって手は大いにありだと思います。どうしても思いきれない家族や友だちや親戚がいて、捨てられないしがらみがあるなら、あとは説得でしょう。

もっとどうしようもなく、解決策がない禁断の恋は、どちらかか両方が、死にゆく病気にかかっていて、いっしょにこの先いられないことがわかっているというもの。さらに、ここまでひどくなくとも、必ず100%の確率で不幸になるということがわかっているというもの、でしょうか。映画 Butterfly Effectでは、そんな関係を取り上げています。児童性的虐待をする親の元に引き取られた兄妹の妹を好きになった主人公が、時間を戻ってあれこれやり直すのですが、どうしても、何度戻ってもうまく行かないのです。時間があったら見てみてください。が、ここまで決定的な例は、あまりないかもしれないです。どこかで何とかできると思います。

そもそも、恋というのは、かなり身勝手なもので、愛に比べると多分に自己中心的です。愛は対象物がなくとも成立しますが、恋には必ず相手が必要です。さらに、恋は性的高揚要素が多く、愉楽により引きずられてキチガイちっくになることが多いものです。

そもそも、恋の段階であれば、「ああ、私は常人ではないキチガイに瞬間なっている」という認識があったほうがいいです。恋が長く続くことはとても倖せなことなのでそうあってほしいですが、1日24時間、週に丸々7日、1年365日、ずっとその相手だけを想ってキチガイ状態になっていないはずである、と断言します。そんな状態だったら生き延びていけませんからね・・・。だったら、冷静で、キチガイ熱が下がっているときに、もう少し冷静に考えてみたらいいです。

恋を昇華させるには、自問してみることです。恋する人が倖せになってくれることがイチバン大切だと。その人のそばに自分がいることができることならばうれしいけれど、そばにいるのが自分ではなくとも、その人がその人のありたい自分で居続けることができ、生きていることがうれしく楽しく、自分が好きになったよさをすべて出しつくしながら生きていけることだ、と私は思います。

渡米する前につきあったレーサーには、こんな想いで別れました。私のほうが、↑こういう自分でいられなくなったためです。ドアマットに成り下がり、自分よりも彼を大切にし、友だちを振り回し、汚くさみしく取り乱し、「一体誰のための人生なんだろう?」と気づいてしまったことが、私のキチガイ熱をすーっと下げました。こんな私に恋されていることは、彼にとても本望ではなく、いつか必ず近い日に足手まといになると確信しました。

私もその時には、禁断の恋要素があるなぁ、とドラマに浸っていたのだと思います。レーサーであるがゆえに、いつ死ぬかわからない。恋心だけでは、その存在がいなくなったときに、想いを遂げることができなくなります。実際に、待ち合わせしているときに転倒し、構内アナウンスで呼び出され、気絶したことがありました。テスト走行が終わり次第、ふたりで旅行に行くはずだったのです。まだまだ彼についてわからないことばかりが多く、心に入りきれていないけれど、言い出せないことが多かったです。いつも自分の気持ちに正直に振舞うと、彼の心理的な圧迫になり、レースや練習で死んでしまうかもしれない。これが私の禁断でした。私などに構っていたら、孤高のレーサーなどはやっていられないのだ、とどうしてか、自分をうんと卑下していたことに酔っていたヒロインちっくなお笑いぐさです。実際の答えは、その時の私はその時の彼にとって、それだけの価値しかなかった、ということです。

ちっとも禁断なんかじゃなかったわけです・・・。うーん、今だから笑えるけど、やっぱり当時はけっこう本気で、この禁断要素に悩んでたかもしれないなぁ・・・。

I like who I am now. That says a lot. (自分は今の自分が好きだ。これは大きな意味あり)。

そもそも、禁断の恋をなぜしなければならないのか?自分が歩いてきた道のりを否定するのは、とてもつらい作業ですが、すでに既存の関係が冷え切っているならば、それに対してできるだけのことをし、それでも修正不能だったら別れて、Clean Slate(ここまでの清算が終わった状態)から始めればいいと思います。私も、ふらふらしたことがあったのですが、パートナーのすごいところは、それらを話してもけろっとしており、別れる気がまったくないところでした。彼とは、離婚することがあっても、精神的に別れることは死んでもありえません。よく、「♪命短し恋せよ乙女♪」と言ってくれていたものです。

椎間板を失ってから、ちょっと怒涛すぎて恋愛をする気分はすっかり失せました。少なくとも行動に移すことは遠慮しておきます。しかも、禁断の恋なら、ものすごいパワーがないとやってけないじゃないですか。私にはとてもじゃないけど、最初から禁断とわかっている恋に費やすエナジーは、ぜひ会社運営に廻したい(笑)。あー、なんて現実的でイヤなやつなんだろ・・・(爆)。

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