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究極の選択

11/30/2007 にアップした文章です。

昨日の「人間関係に活力源を求める」からの発展版なのですが、昨日の英語の授業で、なぜかこの仮説設問を披露し、けっこう楽しんでいただけたので、エッセイのお題にしようと・・・。アメリカでは、小学校の頃から、この「仮説設問」というのを授業でやります;船が難破して、無人島にAからHまでの9人が流れ着きました。ところが、救助船には2人しか乗ることができません。さて、合議の結果、誰が行くべきですか?というようなもの。そんな残酷なことを小学校でやらせるのか?という意見もあるのでしょうが、論理や道徳観などを養うには、かなりいい訓練です。さらに、自分がナニモノなのか?がわかり、日々の自分の態度が強化されていきます。歪んでいた場合には修正が施され(クラスメイトと話し合うから)、自分を確かめる作業としては効果が高いものなのです。

究極:(1)ある物事を推し進めて最後に到達するところ。究竟。(2)物事を最後まできわめること。
選択:二つ以上のものの中から条件に合ったもの、また、よりよいものを選び出すこと。

仮説設問はこれです。
東尋坊やその他、観光地で柵が設けてあったにも拘らず、自分以外にいっしょに行っていた4人が、地すべりと共に崖に落ちてしまいました。崖の側面にあった、樹木の小枝や岩にしがみついて、落ちないように必死に助けを求めています。周囲には観光地なのに誰もおらず、時間の猶予はありません。携帯電話で緊急の助けを呼ぶ前に、あなたは、まず最初に誰を助けますか?

  1. 母親
  2. フィアンセまたは配偶者
  3. 親友
  4. 養女(4歳)

血の繋がった娘ではないことで、昨日のエッセイでの1.自分の世界での在り方3.その人間関係の隙間に浮遊するいろいろな物事 を考えてみなければならないひねりを加えてあります。昔もこれに似た設問を投げかけたことがあるのですが、お返事は誰にもいただけなかったかもしれないです(笑)。しかも、自分でエッセイの題名さえ忘れた・・・(汗)。

さて、選び終わったでしょうか?選び終わってから読み進めてください。

無論、これには正しいも間違っているもなく、ただ自分の考え方を改めて見直してみたり、人々とどんなスタンス(距離感)を持って生きているのか?を探る成果を得たり、自分の愛情の在りかや道徳観などが具体化されることに震えを感じてもらったりするための設問です。設問に答えた人は、大人になった人だとみなしておきます。

母親を選んだ人は、恩義を大いに感じる「孝」を大切に考えています。母からもらった愛情や躾や教育や教養などを育み、道徳観も高く、繋がりについての驚異に組み込まれて生きています。フィアンセや配偶者を選んだ人は、ある意味素直で正直な人で、今目の前にある愛情生活を大切に感じています。親友を選んだ人は、現在、既存の当たり前だった家族関係よりも新鮮だった友人関係に、より満足を得て、血より濃い水が発見できた(あるいは気がしている)生活をしています。養女を選んだ人は、責任感が強く、モラルが高く、たとえ他人でも一旦自分が決めて養女にしたのだし、最も若い人が生き延びるチャンスがある、と考えます。

まぁ、みんなどの要素も持っているし、そもそも、最初に選んだからと言って、それでおしまいなわけもなく、4人とも助けられる可能性もある、ということを忘れてはなりませんぞ。

さて、私はどうかというと・・・。誰も助けないんですよ・・・。まず、冷静に携帯で110番しますね。観光地なので到着は遅いでしょうから、1分でも早く連絡することが必須です。冷たいでしょ?(笑)私は、選民をしないという強い決まりを自分に課しているので、こんな究極でヒトを選ぶことはできないです。そういう偽善者だということがわかっている・・・。そういう汚名も受けるし、もしも誰かが死んでしまったとしたら、そのときの後悔もすべて引き受ける覚悟です。緊急電話をしたあと、どうするか?というと、最も自力で登ってこられるであろう、西さんにがんばってもらえるように周囲の状況を口で伝えて(地盤の様子や樹木や岩の足場確保)、彼が登れたあとに次々に助けてもらうことにしますね。私は椎間板が2枚ないこともあり、10キロ以上の荷物を持っても、手から滑ることは必至ですから。自らの手から他人の生命が滑るほうが、とてもじゃないのですが、引き受けられないです。

もうひとつ、誰も助けない理由は、上記に書いた通り、いわゆる生物学的なサバイバルスキルです。もしも私が落ちた場合には、私が自力で上がれない場合にはぜひそのメンバーたちに諦めてもらいたい。ゆとりがありありで、助けられる場合に限り、助けてもらいたいと願うんです。私の母は私を育てた人ですので、彼女も最初に助けられることを拒否しますしね。私は西さんが自分で自分の面倒が見られる人なので選んだわけです。なので、私ごときが助けなくとも、自力で登ってこられることになっています。ええ、49歳になっても、ですね。そのあと、彼が残りの3人のうちの誰を助けるか?彼の賢さの論理に任せますね。4歳の女の子は平均でも、16キロはあるので、私には手に負えないでしょう。瞬間がんばれるかどうかに賭けるという手もありますが・・・。母は無理です(笑)。親友は非力なので、自分の体重に責任が持てるほどに外で活発に遊んでいる4歳女児よりも先に落ちる可能性があり、いつまでもぶらさがっていられるのは、養女の4歳女児なんでしょうね。

こう見ると、私は本当に役立たずな人間なわけですよ(汗)。だから観光地には行かないし、崖っぷちを覗くときには、自衛心満載すぎるほどに注意深いわけです。ええ、東尋坊でもそうでしたし、Death Valleyや他のキャンプ先でもそうでしたね。足場を確保しないと行かないんですなぁ・・・。

日ごろは「賢い選択」を人々に勧めているんですが、究極の選択などしなくてもいいように、小さい分かれ道でその都度、賢く選択することをさらにオススメしていこうかと思い始めました。けれども、火事や地震はあるよねぇ・・・。自分が絶対に遭わないわけなどはないし・・・。そのときはどうするのか?とおぼろげながらは方針を決めて在ります。そのためにも、ネコたちにマイクロチップを入れていますし、母にも玄関に運動靴を出させてあります。貴重品も一箇所にまとめてありますしね・・・。

そうなんですよ。私はバンジージャンプやスカイダイビングをしないやつです(笑)。わざわざ、信頼性の低いものを選んだりはしない・・・。それによるスリルを得ずとも、充分スリリングな遊びはあるだろう、とどうも夢のない現実的なやつなのですなぁ・・・。西さんは山登りをなぜするのか?ということを、今度日本に戻ってきたら、またもやじっくり聞いてみたいと思います。彼は、「遭難しても探さないでください」といつも山小屋に一筆残すことにしています。それだけでも潔いとは思うんですが、私に少しは似ていますが、なぜ山に登るのかは言葉でうまく言えていません。台湾の山ももう半分くらいは登っているようです。どうしてなのか、追跡してみましょう・・・。

自分のことがまた少しわかっていただけたら幸いです。

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