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自分が正しいことがそんなに好き?

悲しい事実なのですが、ヒトはヒトに生まれたがゆえに、そのAdvantagesとDisadvantagesを両方引き受けて、甘受しつつも、戦っていかねばなりませぬ・・・。

その大きなひとつ、結論とすら言えることに、みじめすぎる惨敗状態の露呈は社会や他者に対して、「自分がいかに正しいのか」を説き続けて、証明しなくちゃいけない、くらいの勢いの行動に出ることが、ヒトの哀しみ、哀れみですね。人生の仕組みをわかってくると、その正当化がいかにみじめかわかってきて、自分が正しいことなどどうでもいいことと思え、他者にそんなことを語る必要もなければ、証明する必要もなければ、自分にはそれが通用しても、他者にとってはどうでもいいことが見えてきます。

誰かとふれあうことがいかに安らぎを覚えるか、分け合えることがどれほど倖せなのかがわかってくると、そのヒトたちの望むことが叶うことを祈るようになり、それに自分が足しになればいいと望むことになりますが、誰よりも自分が正しいという証明をしているうちは、他人が欲すること=自分と同じに違いない、という錯覚が続きます。

そうなると、多数決や流行を「安全域」とし、自分も多数決に埋もれてしまいます。

自分らしい倖せや世界観を追求することが希薄になり、たまに立ち止まってみても、トレーニングが足りてないために、本当の自分の在処がわからなかったり、イッタイ自分はナニモノだろう?とつくづく考えることになってしまったり・・・。自分を捨ててきていたり、裏切り続けていたことについて気付くこともありますが、見えるもののほうがわかりやすいので、他者に褒められたり、認められたりしているうちは、きっとその「安全域」に留まり続けてしまうのです。

そうなると、自分たちの「安全域」にいない、自分らしさを追求しているヒトたちに対して、どうしても自分を正当化したくなるし、たとえ相手が「安全域」の仲間だとしても、ちょっとしたズレ込みにも不安が生じて、そこで喧々諤々と自分を正当化したくなってしまうんですよね。

それでもたまにBanksyの風刺に心が揺れたりほっこりしたり、反戦運動の女性の横顔に見入ったり、なぜか政治家に腹を立てたり、自分の作り上げた何かの美しさに見惚れたり、大自然の前に自分の小ささをつくづく感じたり、と、チャンスはいくらでも転がっているのですよね。

他人に対して自分の倖せや自分らしさを正当化する必要はないです。それでもひとりは淋しい、ひとりはつらいと思ってしまうときに、自分を裏切り、感じ方や考え方を妥協してしまうことがあるのはわかります。でも、それをいつまでも繰り返していても、いいことはないよね・・・。自分がいかに正しいのか、自分がわかっていれば他人を靡(なび)かせる必要はないことに、それにエネルギーを使う必要はないことに、そろそろ気付けばいいよね。

自分が正しいと思うのは、自分には当てはまるが、他人がそれに賛成してくれなくてもいい

こう思うのはたいへんだろうか?ん、たいへんかもしれない。でも、やってみる価値はある。他人が自分らしく倖せであることを肯定することで、世界はもっと平和になるけどなぁ・・・。自分が他人に振り回されない人々が増えることで、徒党を組んで優劣をつける必要がなければ、勝負しなくなれば、かなり平和になるよね・・・。

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