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計画・段取り・具体化の大切さ その1 まずは動機

01/19/2007 にアップした文章です。

 

昨日、カルチャーセンターの新しい講座のための、写真と概要を提出しました。持つことになる講座は3つ。英語が2個と、脳トレーニングが1個。新しく雇用される先生が、いっぺんに4つも5つもの講座を開講するのは、方針として無理だそうで、今回は3つ。好評だったら増やすことになるそうです。3月末と4月頭には、体験学習というのをやり(プロモーションの一環)、そののち英語のほうは1ヶ月いくら、脳トレーニングのほうは、7回いくら、でやります。心理学コースのほうは、回数を決めて開設する予定でいます。いい先生になれるかどうか、本当に楽しみです。

教えるという立場に戻るのですが、校長センセの著書にも、チャプターとして重要なヒントがたくさんあります。『プロ的な思考とスキルへの入り口』という小テーマを、9個に分けて詳しく説明なさっています。このテーマと共通するな、と思ったのが、「学習するときの学習効率性と結果獲得」で、私が教える立場に戻るのに、沈思するにはいいテーマです。

まず、どうしても教える側が学ぶ側に求めるのは、『動機』です。なぜそれを学びたいのか。
動機:(1)人が行動を起こしたり、決意したりする時の直接の(心理的な)原因・きっかけまたは目的。(2)〔英 motive; (ドイツ) Motiv〕(ア)〔心〕 人の行動を決定する意識的・無意識的原因。動因。(イ)〔倫〕 行動を規定する根拠となる目的意識を伴った欲望や衝動。(ウ)〔法〕 犯罪および意思表示・法律行為を行う際の内的原因。原因。

動機には量の強弱があり、質の高低があります。が、この量や質も、他人と比べてどうか?ということではなく、その個人が現在つけているスキルや知識、これまで歩んできた道のりで考えることですので、いい悪いもなく、希望が高かったり低かったりもなく、学ぶ方法はおのずと変わってきます。私個人の見解では、どんなスキルも知識も、先天的な障害がなければ、自分の念じたポイントまでは執拗さを備えれば持っていけると確信しており、どうしてもできない・達成できないのは、自分が自分を変えることを躊躇する壁が厚い場合です。

たとえば、ガンを治すという目標はなかなか確率的に低いので、先天的に備わっている部分が大きい。それは、すでにもらってしまって捨てられるわけもない遺伝子問題がかなりの原因を占めている場合です。が、後天的なもので、たとえば食生活や生活習慣をしっかり変えることができれば、ガンを消滅させることはできないにしろ、延命することは可能だと信じています。ここで動機が大切になるのです。「別においしいものを食べないで10年生きるよりは、自分の思い通りにして3年でいい」という考えの人もいることでしょう。それならば、それでまったくいいと思うのです。これが動機です。

英語にしろ、留学にしろ、恋愛にしろ、人間関係にしろ、何かを自分の念じるように変えていくには、学習が必要ですし、強い動機が必要です。それにより、確率が変わり、押さえていくポイントの数と質も変わり、かかる時間も変わり、行動修正の項目も変わってきます。

そして、コレだけをやっていけばいいわけでもなく、同時にサバイバルをせねばなりません。仕事を打っ棄っておいて、コレだけに専念できるわけではないので、そのバランスを眺める「大局(物事全体の成り行き。全体の状況・動き)と小局(プロセスで起きる小さい状況・動き)」を分類し始めることから、計画・段取り・具体化は始まります。そこで、バランスの分類わけができたところで、「本当にやりたいかどうか?」の再問いかけがあるわけです。到底夢に感じるような目標であっても、実は叶うのですが、本人がそこまで自分や環境や状況を変えていく動機や、種々の犠牲を厭わない熱意があるかどうかです。この再問いかけは、始終「チェックポイント」として行うことになっていき、いつもいつも動機や熱意を計られることになります。私はコレを往々にして「試されている」と表現します。

なので、私はカルチャーセンターといえども、最初に適正テストや動機診断のようなものを実施しようと考えており、その作成にはあと2ヶ月の猶予があります。既存のものを織り交ぜながら、作成せねば・・・。

本当は、誰だって、何でもできる!とおおっぴらに謳いたいところですが、ここまでは聞いておかねばなりません(笑)。

その後の、「計画・段取り・具体化」はとても楽しい作業なので、私は教える側になれることを、とても楽しく思うのです。自分自身が学校に行き続けたいというのも、コレを生涯やり続けていきたいから、という大動機に相違なく、その対象物はいろいろな方面に渡るとしても、もう変えることができない性根にまでなってしまったのでしょうね(笑)。

日本に戻ってから、零細企業をこなしつつ、いろいろなところに顔出しをして、仕事の模索をしているように見えるのですが、実際は、この私の大動機を充たしている行動を展開しているようです。横田基地での通訳を引き受けたこともそうですし、肉体労働をしてみたのもそうです(もうこれはちょっとお休み。腱鞘炎にもなっちゃったし、冬は腰痛になる要因が多すぎるので休憩)。いろいろな面接は行くだけなら交通費だけなので、会社の中身を見られるチャンスなので、たまに思い立って応募してみています。知らなかった業界を知ることができたり、18年半前との変化を見ることができたりするので、この大動機は相当に充たされています。何も学校でなくともいいわけです。

校長センセが教える側に立たれるようになった経緯というのも、校長センセの人格はもちろん、こうした心理的動機が影響しているのかもしれません。校長センセと私はちょっと似ている!?(爆)

なぜ英語をマスターしたいのか、なぜ気持ちいい目覚めをしたいのか、なぜ資格を取りたいのか、なぜ昇進をしたいのか、なぜ結婚をしたいのか、なぜモノを買いたいのか、などなど、この「なぜ」の部分を考えるのは、本当に大切なことなのです。感情が湧いてきたときに、自問することを癖にしてみなければ、その実体をつかめないまま、流される言動を繰り返していくことになります。

「それが人間なんじゃない、楽しいじゃない」とおっしゃる方はそれでいいのです。それならば、現状の生き方をキープし、現状のスキルや知識で満足されることです。愚痴も不平も漏らさぬこと。

母がそうなんだよなぁ(苦笑)。お寿司を食べるときに如実に現れるのですが、後先はほぼ考えない。彼女の場合は大食なので、私よりはずっと恵まれているのですが、好きなものを考えなしに食べていく・・・。でもやはり食べ終わったあとにも、「あー、食べた食べた。よかった」とは言ったあとに、「あ、やっぱり○×も食べればよかった」と、ささやかな後悔をしている(爆)。

これはごく小さなことですが、仕事や結婚などの大きな選択についても、似たようなことを愚痴ったり、後悔したり、他に目を向けたりしている人たちはよく見かけます。「それが人間なんじゃない、楽しいじゃない」で済んでいる範囲であれば、もちろんそれは味で粋なのです。流される言動を繰り返す自分に、呆れたり失望することが増えたら、それは危険信号です。あるいは、流される言動を繰り返す自分に、愛する人たちが呆れたり失望することが増えたら、やはりそれもまた危険信号なのです。

自分や愛する人たちを倖せにするためには、感情に流されず、もう一押し考えることをお勧めします。そうなると変えたい自分の動機が見えてきて、フットワークも軽くなることでしょう。動機を見極める、始めてみませんか?そして、変わっていくのです。より倖せになるために。

 

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