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躾(しつけ)とは

11/17/2006 にアップした文章です。

 

私は、躾は特に必要と思っていないのですが、コレについてはよく非難されます。とは言え、特に「人に好かれたい」「(他人から見て)自分が正しい方に位置したい」とは到底望んでいないので、あくまで自分の考えを論理的に述べることに止(とど)めています。その論理が通っているかどうかは、聴いた人・読んだ人・見た人が判断することで、投げている側の私にはなく、受け手に反映されます。他人が選んだことについて、とやかく言うことはしません。本人がいいと思っていることをしたほうが、自分の人生は楽しくなります。が、私はやはり躾は特に必要だとは考えないし、私自身も親や他の大人に躾けられた記憶はありません。むしろ、躾をしようとした大人に反発し、「どうして自分がイチバン正しいと思っているのだろう?」と少しばかり、がっかりした記憶があります。

躾:(1)(「躾」はからだを美しく飾る意の国字)子供などに礼儀作法を教えて身につけさせること。また、身についた礼儀作法。《躾》(2)本縫いを正確に、きれいにするためにあらかじめざっと縫い合わせておくこと。また、出来上がった衣服の形が崩れないように、折り目などを縫って押さえておくこと。(3)作物を植え付けること。特に、田植え。《仕付》

礼儀:社会の秩序を保ち、他人との交際を全うするために、人としてふみ行うべき作法。礼節。

作法:(1)礼にかなった立ち居振る舞いのしかた。(2)物事を行う方法。やり方。(3)しきたり。慣習

うーん、辞書の意味を書いてしまうと、躾は必要なように見えるかもしれないです。が、しかし、「躾を一切するな!キャンペーン」でもないですから、この辞書の意味は肯定しておきます。学習の方法はたくさんありますが、その中で「長く続き、能力が上がり、技術が向上し、精神的圧迫がない」ことを選ぶことはできます。可能なのになぜやらないのか?ここがまず素朴に不思議です。

長く続く-動機づけ。本人にやる気があれば、納得して行動を起こせば、楽しみながら続けていくことができます。誰かに強制的に教えられたものは、初期の場合、右から左に流される程度になることが多い。しかも相手は子どもです。遊びたくてたまらない。おもしろいことは他に山ほどある。どうやるか?という方法論は、身につけることによって違います。「なぜこうしたほうがいいのか?」を自分で考え、しっかり納得することができれば、次の謎・次の好奇心へとどんどん開拓力は進みます。「知りたい」「楽しい」を増やすほうが、「みっともない」「当たり前」よりずっといいではないですか・・・。子どもだけではなく、大人だって同じはずです。だから、快楽を勧める産業や品物、容易な方法でも成功するから絶えない詐欺、大人の日本語低下、などが流行するわけです。

能力があがる-共感能力についてたくさん書いてきていますが、ひとえにこの能力が上がれば社会秩序はたいていの場面で守られます。礼儀とは「社会動物が社会の秩序を保ち、そのメンバーたちのコミュニケーションが上手に図れるため」にあるわけです。幼稚園のお砂場で習った「人の嫌がることをしない」を基本にすれば、躾など誰かにされる必要はないです。人の嫌がることと自分の好きなことが重なった場合のネゴシエーションはどうすればいいのか?と発展していくためには、自分が「他人の嫌がること」を真剣に考える能力がなくては話になりません。離婚やケンカ別れなど、この能力が高ければ、もしかしたら初期段階でこじれる前に避けられることはあるかもしれないです。子どもたちの世界はいくら大人よりも行動範囲が狭いとはいえ、そこが彼らの持ちえる能力を育む場所です。しかも、能力を伸ばすのは一昼夜でできることではなく、時間がかかる段階的なもの。「人の嫌がることをしない」がわかりかけてきたら(コレは生涯直面する問題ですが)、次には「相手がもっとも心地いい気分でいられるよう配慮する」に発展させていけます。紳士淑女(Ladies and Gentlemen)とは、そういうことです。誰かより高い位置に立つためにマナーを身につけるわけではないです。社会が決めたものだから、歴史ある習慣だから受け継ぐのでもない。他人を思いやれる能力、「この人だったらどう感じ考えるだろう?」という共感能力を求める土台を作らねば、型ばかりの躾をしても空虚です。

もちろん、型から入ってあとから魂を入れるのもありです。順序に正しいはないし、そもそもこの世には「ゼッタイに正しいこと」「イチバン正しいこと」などはありません。意味を考える脳や筋肉がないときや、気持ちが追いつかないうちに、型から入るという手もあります。が、何度も行動することにより習慣化したあと、しっかり意味を考えることがなければ、「共感能力」の一部の成長は止まります。昔の人の知恵を現代にアレンジすることもできません。昔になかった、新しい技術と昔からの知恵の融合美を作ることができたほうがいいです。楽しめる場や機会が増えることになるわけですから。自問してください;「なぜ日本人は箸を使い続けてきたのか?しかも箸には作法があるのか?」

技術の向上-おじぎにしろ、電車の中で席を譲るにしろ、何度もやり(Repetition;反復・繰り返し)、気持ちを伴って行い、「共感能力」と合わせれば更なる強化と美へと繋がります。礼儀といえども、水泳やダンスや彫刻刀使いや料理やその他の行動と、結局は同じです。合理や有効を追求し、タイムを上げるのが水泳他のスポーツの一部で、その美は人を不愉快にさせることは少ないでしょう。野球であれ、刺繍であれ、お茶やお花であれ、「想い」がこもった中にその理由があります。無いもののほうが少ない。がゆえに、動機が「好奇心」を突き動かすものならばなおさらいいわけです。技術そのものや技術がすごい人を尊敬する気持ちも生まれ、次代の人間たちが「継承していきたい」と進んで思うことへと繋がります。

精神的圧迫がない-おむつが取れるためには;1)生物学的に筋力や脳が発達していなければならない 2)環境がその発達のため、条件が整っている ことが大切です。歩くことやひとりで食べること、その他いろいろな発達には、この2つが要求されます。方法論は物事によって変わりますが・・・。躾も同じです。ならば、他人様のお子さんと比較したり、「世間様に笑われるから」「ママが恥ずかしいのよっ!」などと圧迫感で子どもを押しつぶしたりする必要はないわけです。まずは、その時期が来ているのかどうか見極めること。ある子はその年齢でできるかもしれませんが、他の子はできないかもしれない。足並みを揃えた発育があれば理想でしょうが、そんなのちっともおもしろくはないし、ユニークさが目減りしていく育ち方になります。この2)の環境の中での条件には、親をはじめとする大人たちと仲間の礼儀作法や躾・心もち・態度などなど、観察する子どもたちの目に触れるさまざまな物事が入ります。メディアやビデオや遊び道具もその中に入ります。季節ももちろんですし、幼稚園や学校などで習っていることと矛盾したことをプレゼンしていることがあるかもしれません。そんなときには、子どもたちは「どっちを信じていいのか?」とたいへんにつらい気持ちになります。大人が「当たり前」として受け止めている「生まれてしまう仕方の無い矛盾」は、実際は子どもたちの小さな心には苦しくのしかかることがたくさんあります。大好きなアンパンマンやウルトラマンが正義の味方でいることはとても大切なのです。そして脳が発達してきて、社会的露出も増えてきて、日々奮闘している中、最後の最後まで味方であるはずの、大好きな大好きなお父さんやお母さんに怒られる。その怒られ方がどうしても納得できない。それでも「躾」は続く。意味がわかんない・・・。わからないことをわからないままにして、どんどんわからないことが蓄積されていく。躾という名の下に・・・。

私自身が躾を強制されたことがなく、「よーく考えてごらん」と押入れ・物置・バスタブ・戸外・隣の家などありとあらゆる場所に放置されたので、掛け値のない事実として、私の立ち居振る舞いはかなり意識的なことから出発した習慣です。歯磨きも洗顔もドアの開け閉めも靴の脱ぎ方から始まり、電車での立ち位置(長距離でなければ座らない)や切符の買い方やその他、すべて今は意識していないにしろ、意識して考えたところから始まっています。私が「ああ言えばこう言う子」だったのは、おそらくこんなところからも来ているのかもしれません。貧乏な家に育った私は、懐石料理やダンスやその他も18歳過ぎてから紳士たちに教えてもらいました。が、「飲み込みが早い」とよく褒めていただきました。自発的であることは、私はたいへんに重要なことであると信じています。「躾ける」のではなく、「披露し、選択したいようにしてもらう」ではダメなのでしょうかね?それとも、私がユルユルな考えの持ち主なのでしょうか?

 

 

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