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選択肢が多いことに戸惑う その2

08/19/2008にアップした文章です。

結婚年齢が上がっているのも、この選択肢のせいらしい。なぜならば、「もっといいヒトがいるに違いない」と躊躇するのだそうです。Pre-internet時代の前は、Pre-TV時代。その前がPre-Radioと飛行機で、その前がPre-新聞&鉄道。こうなると、行動範囲が広がってくるし、見聞が広くなるので、やっぱり他にもいいヒトがいるかもしれない可能性に、ついつい目が行ってしまうのでしょうねぇ・・・。それが証拠に、お見合いの数は減っているし、お見合いの種類も「人づて」ではなく、コンピューター診断なども入ってきているわけです。とうしても譲れない条件に、旅行が入ったり、見聞の広さが入ったりするのもうなずけるところ・・・。こうして、世の中は混沌としてきているわけで、選択肢は確かに多いと困ることもあるのかもしれないねぇ・・・。

 

取捨選択:悪いもの・不必要なものを捨てて、よいもの・必要なものを選びとること。

戸惑う:〔「とまどい」を動詞化したものか〕予想外の事に、どう対処していいかわからずにまごつく。

戸惑い:(1)とまどうこと。(2)夜中に目を覚まして方角を失い、まごつくこと。ねぼけ。

 

自分というものがナニモノで、どこでどのように暮らしていき、その中で何を成し遂げたいのか?ということがわかっていない限り、この取捨選択の基準点がブレていきます。どんな対象物であっても、自分がない限り始まれないのですが、実際のところは、大人になってもたくさんの人がモラトリアムを続行しています。

 

モラトリアム:(1)戦争・恐慌・天災などの非常時に、社会的混乱を避けるため法令により金銭債務の支払いを一定期間猶予すること。支払い猶予。(2)知的・肉体的には一人前に達していながら、なお社会人としての義務と責任の遂行を猶予されている期間。または、そういう心理状態にとどまっている期間。(3)実行・実施の猶予または停止。多く、核実験や原子力発電所設置についていう。

 

就業したり、社会人として歩んだりしていても、実際のところはたくさんの「カンベンしてやる」が横行しているわけです。だから、ここのところは「人間関係でカバー」していて、持ちつ持たれつなのですが、感謝の意が薄い人も多ければ、開き直りをしたり、自分がうまく行かないことを他人のせいにする人も増えて、その最悪の形が、まったく知らない他人を殺傷したりする事件にまで発展していきます。

 

そもそも完成などはない人間稼業ですから、このモラトリアム部分というのがどれくらいなのか?というのを、個人個人が把握していくのが大切なわけです。最低限基準に達したあと、Noblesse oblige精神を発揮していくための素地を、社会全体で雰囲気作りすることが大切です。資本主義においては、この精神がなければ、どんどん格差が生まれることは必定論理で・・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5 

 

極端な例でいくと、発展途上国では、電気など通っておらず、水すら徒歩で数十分もかかる高低さのある道のりを汲みに行かねばならぬ、ということは、世界のどこかでありえています。その湧き水やたまり水は、疾病をもたらす細菌などに冒されている場合も多く、たとえばマラリアなどは完全に消滅していません。そうした水を飲むしか生きていけない人々というのは、この世界に確実に存在しているのです。灌漑工事をするにはお金がかかり、井戸水を掘り当てるにもお金がかかり、浄水装置をつけるにもお金がかかり、病気になることはわかってきたけれども、それでも飲まざるを得ない人々がいます。

 

アフリカや中国やインドやその他、広大な土地の隅々まで、電気が通ることはまだまだ先の話で、そのために都市に仕事を求めて移動する人々は増えています。それは、勇気を持った最初の人々が告げたことによったり、物好きな人々(あるいは見かねた親切な人々)がその土地に足を踏み込んだためです。

 

その選択肢があることは、幸せなことです。が、日本に住んでいる私たちは、その選択肢が増える幸せというのを噛み締めておらず、却って不満に思ったり、責任転嫁のタネにしたり、混乱の元だとみなしているわけですよ。

 

ここのところは、大いに反省したほうがいいです。

 

何度か二元論の話をしましたが、たくさんの選択肢を絞っていくことができさえすれば、最終的には二択になります。そして最終的な二択は、たいてい「やるかやらないか」までに煮詰まっていきます。その絞り方について、どうして小学校・中学校・高校、大学まで行った人は大学で学んでこないのか?ということが疑問です。

 

たとえば、私は目下、自宅でのレッスン拡張に四苦八苦しているところなのですが、生徒さんとて同じことだろうと思うのです。英語学習は、中高を通じてやってきた。ところが使えるようになった実感などない。というところから、それぞれがニーズに合ったレベルでいろいろなことをして試行錯誤していると思うのです。一般的にNHKラジオ講座などをやったり、学習参考書などのコーナーに設けてあるテキストを独学したり、というののほか、英語学校に通おう!と決意する人までさまざまでしょう。

 

私の実感としては、まだまだ英語学習の方法をわかっていない方々が多いので、英語学校に大枚を支払うことになる。なので、私は英語勉強法に特化して、その入り口から改造計画ができるカリキュラムを作ることにしました。18年半もアメリカに住んでしまったので、英語が話せなかった当初の気持ちを忘れているところもあり、生徒さんとの親睦はかなり貴重なので、いつもやっています(笑)。そのみんなの戸惑いや苛立ちや不満を聴いた結果、やはり結果が出る勉強法とお金と時間の都合なんだな、と思えるようになっています。が、あまりに選択肢が多くて、どうしていいのかわかんない!というのが、正直な雄たけびなんだろうな、と。そして、お金と時間を使い、今に至っている人々が多いんだろうな、と。

 

どんなことを見るにしても、1.生物学的根拠を探す-水を飲まないで生きていけるヒトはいませんし、空気がきれいなことは必須です。2.社会を考える前に自分の主観を確かめ、その主観がどこから来ているのかを分析する。3.社会について考える-自分が置かれている環境。その際、自分に最も近い人間関係や場所から考えていくと、混乱が減っていきます。

 

私はひとつの会社に勤めることを極力避けてきましたが、それは正解でした。生物学的にヒトとしては、原始的なやつなので、どこかにしっかり属す農耕民族でもなく、定住型の人間でもなく、ふらふらあちこちを動き回る狩猟民族な血が多かったようで・・・。その上、主観にしてもそれを支えている言動がこれまでも多く、それに支配されてすらいるようなところがあり・・・。今、日本に戻って2年が経とうとしていますが、やっとまた再学習がほぼ終わろうとしているところ。人間関係の数は少なくてよく、大切なヒトをとことん大切にしていければいいや、と思っており、私の選択肢は自ずと狭まってきます。

 

とはいえ、昨日のマイク付ヘッドフォンについてはまだ解決しておらず(笑)。ここのところ忙しいので、しばらく延期(爆)。選択肢は多くて幸せなことなのです。あまりに多いときには、自分から取捨選択していく勇気を持って、シャカシャカこなしていきましょう♪

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