中学までは部活をがんばっていたんですが、それもこれもたまたま入った部活が全国レベルだったから・・・。もしも運動部に入っていたとして、やはりその強さに引っ張られてしまうくらいな魂でしか、その頃はなかったかもしれないです。だって、全国レベルでそれなりに強かったというのに、私はその道に進みたいとはかけらも思わなかった・・・。
やはり貧しかった経験のほうがその当時は強くて、早く稼げるようになりたいと思ったのでした。
歌を歌う < 稼ぐ
この構図です(笑)。しかもその当時は、健康であればアルバイトをすればそれなりに稼げると信じていて、どんな才能があれば稼げるとか夢にも思ってはいなかった。
とはいえ、自分がいろいろな人とうまく行くわけでもないことをそれなりに感知し、実体験もあったので、15歳で「OLにはならない」というのは決めたのです。OLっていう語彙も古いよねぇ(笑)。オフィスレディっていうすごい和製英語があったんですよ。普通にお勤めをしてそれがデスクワークであるとオフィスレディってことになっていた・・・。しかもオフィスにお勤めできない理由はそれだけではなくて、たぶん学歴が必要だってこともわかっていたと思うし、低い学歴だとずっとオフィスに縛られていくのだということもわかっていたんだろうと。さらに、やはりブルーカラーの仕事しかできないんだろうなという諦めのようなものがあったんだろうとも思うんですよね。
だから16歳の誕生日前に一生懸命探したアルバイトがウェイトレスで、結局それを渡米まで何等かの形でずっと続けていくことになるわけです。まぁ、時給のよいバイトで進化していった部分もあるんだけれども、とにかく掛け持ちをするのにそんなに能力があるわけではないので、新しく身に着けたことがあったとしても、スキマ時間にぶち込むバイトはウェイトレス、って感じでしたね・・・。同じ飲食でも、ファミレスから小料理やに変わったとか、時給はよくしたんですが・・・。(;^_^A
そしてバイトをがんばって稼ぐ以外に、私はイッタイ何をがんばっていたんだろう?夢中になっていたんだろう?とふと思うんですよね、子どもたちを教えていると・・・。
移動時間に真剣に本は読んでいた。ヒマさえあれば小学生からずっと本は読んでいて、バッグの中には必ず1冊以上入っていたのです。図書館をかなり長く使っていたけれども、朝昼晩とバイトをすると行けないこともあったので、人から借りたりもしたし、くれるものはもらっていたし、気に入った作家のものは買ったりもしたし、古本屋にも行ってました。これは本当に夢中になったひとつ。
そして、やはり公言できるほどに夢中になっていたのは、バイクに乗ることと車を走らせることでした。16歳過ぎと18歳過ぎから、本当に夢中でしたね。今思うと、あんなにガソリンをばらまいて歓んでいるなんてぇのは、SDGsにものすごい反しているんですが・・・。(◎_◎;)
夜中に走るのも楽しかったし、バイトがあって走りに行けないときには通勤の行き帰りにもタイムトライアルしてましたよ。最高記録なんてのもあって、調布の深大寺の自宅から16分で六本木まで到着なんていうのがある・・・。どこをどうどれくらいのギアで何キロ出せば信号に引っかからず、なんて研究する対象だったのがすごいなぁと(笑)。銀座バージョンや晴海ふ頭バージョンや、新宿バージョンもあったりしたんですよね。バイト先(笑)。
そして結局、その夢中がパイロットになるために渡米することに繋がるとは・・・ってのにびっくりです。そして今がある。よかったなぁと。なので、子どもたちにも夢中になることは常にあってほしいなぁと願うのでした。





