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1970年代の和食のよさ

1975年(昭和50年)の食事法が健康寿命をのばす!――東北大学の研究結果をご家庭で実践するレシピ本

スーパー和食1975年

日本食の健康効果、70年代に特徴/日経BP総研

私は子ども時代をこのように世界の栄養士が褒める食事を摂り、すくすく育った感があります。とにかくおかずの種類がさほど多くない夕飯だとしても、副菜に3-9種類くらいの食品目が入っていた記憶アリ。煮物や炒め物にも、細かく多種類入っていて、さまざまなものを食べていた感に満たされていたような・・・。それが当たり前ではないことがわかるのは、USに渡り、自分でごはんを作るようになってからなので、1988年まではそのような食事が確実に摂れていたという安心感にも繋がるのですけれどもね・・・。

渡米して大問題だったのは、私が一切料理が作れなかったこと(笑)。とはいえ、必要性のある欲というのはすごいもんです。寮暮らしをしていて、カフェテリアの食事では死んでしまうくらいの恐怖感を覚え、日本人の女の子たちとアパートを借り、4人分の和食を混ぜたごはんを作る担当になるのです。なぜならば、お金を節約するためにオープンスペースになるキッズルームで誰よりも安い家賃にしてもらい、さらに、家事担当になることで、公共料金などの免除がもらえるようにするため。

そして、日夜、懐中電灯でみんなが持っていたレシピの載っているオレンジページや今日の料理などの雑誌を眺めて、頷きながら本当にがんばって料理ができるようになっていったのです。

最初は目玉焼きすらたいへんだった(笑)。

けれどもラッキーだったのは、同居している3名の女の子たちもみな料理ができず、最初の数週間は、和食を食べていなかった渇望感もあり、ものすごくごまかせたのだった(笑)。ほんだしの味噌汁でも、単なる鮭を焼いたものであっても、相当な感謝と満足感があったんだろう・・・。

しかも当時使っていた炊飯器は、China Townで買い求めた最もシンプルな、日本の昭和40年代に売っていただろうというもので、それでもちゃんと炊けた日本改良品種米のCalifornia米でも相当においしく感じたのだった。国宝ローズってやつしか、China Townでは当時買えなかったのだけれども、その後、生活レベルを少しずつ上げることができるようになって、炊飯器もお米もかなりいいものになっていったのだった・・・。 List of California Rice

なんと!炊事を始めてから2か月後には、もうキャンパス内で日本人学生に2ドル50セントでタッパーに詰めた和食お弁当を売るという暴挙に出ていたのです。最多のときには1日8個作らねばならず、けっこう朝が早かった記憶アリ。おかずは3種作り、お新香も忘れなかった・・・。浅漬けや即席漬けなどもけっこう作れるようになったのは当然であった・・・。

そこで、私のベースになっているのは、やはり母が作ってくれていた食卓に上がっていた1960年代・70年代80年代のごはんだなぁと、つくづく思うのだ。さらに、給食ね(^^♪

なので、今もけっこう品目数は多く作っている自負アリです。でないと、やはり長い目で見て、健康に悪いんだろうなと、体感でわかっている気がしています。

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