「やりたいこと」がない人は本当にダメなのか?

「で、あなたは何がやりたいの?」

この問いに、即答できる人は実はそれほど多くない。就活生(大学3年)を対象にした調査(学情、2026年4月)では、「やりたい仕事・夢がない/わからない」と答えた割合が約38.2%にのぼった。「特にない」が25.9%、「わからない」が12.3%。つまり、就職活動の真っ只中にいる学生の4割近くが、「やりたいこと」を持っていない。

これは問題なのだろうか。

SNSが作り出した「やりたいことがある人=輝いている」幻想

Instagramを開けば、夢を語る人がいる。noteを読めば、情熱的な仕事論がある。Xを見れば、「自分のやりたいことで生きている」という発信が流れてくる。そういう人たちが可視化されすぎた結果、「やりたいことがない自分はダメだ」という錯覚が広がっている。

でも考えてみてほしい。SNSに流れてくるのは、発信する人の話だ。やりたいことが明確な人は発信しやすい。やりたいことがわからない人は発信しにくい。だから「やりたいことがある人」ばかりが目に入るのは、単なるサンプルの偏りだ。現実には、4割近くの人が「わからない」と感じている。あなたが感じている戸惑いは、少数派の悩みではない。

「やりたいこと」を重視しない流れも起きている

さらに興味深いデータがある:パーソル総合研究所の2025年の調査では、「やりたい仕事ができること」を就活で重視する学生の割合が大幅に低下している。代わりに上位に来ているのは「ワークライフバランス」「働き方の柔軟性」だ。

若者のキャリア自律のタイムラインについても、研究者の児美川氏は「20代後半〜30代前半が主流」と指摘している。つまり、20代前半で「やりたいこと」が決まっていなくても、それは遅れではなく標準的なプロセスだということだ。

「20代のうちにやりたいことを見つけなければ」というプレッシャーそのものが、実は根拠の薄い思い込みかもしれない。

私自身、仕事の仕方を選んだのは、生活を支えやすいため、が最優先で、本当に英語講師をしたかったか?というと、楽しくなってきたのは、2010年くらいだから、それこそ40代後半くらいかも。(・・;) せっかく渡米して、ライセンスまで取得したヘリコプターのパイロット路線で行くのは、生活そのものだけではなく、精神的な防御や健康に悪影響のほうが強くなると当時考えたから。そして今、すべてに一貫性があることが見えてきて、なかなかうれしいところ。

専門家の処方箋は「ネガティブリスト」

キャリア研究者たちが「やりたいことがわからない人」に提案していることのひとつが、消去法:ネガティブリストだ。

「これだけは絶対に嫌だ」を先に決める。

朝が苦手なら、早起きが必須の仕事は外す。人と話すのが苦痛なら、接客中心の仕事は外す。数字を扱うことに苦手意識があるなら、経理は外す。「やりたいこと」が見えなくても、「やりたくないこと」は案外はっきりしているものだ。消去法で残ったものの中に、意外と「これならできそう」「これは悪くない」という選択肢が見えてくる。

心理学が教える「やりたいこと」の育て方

心理学の自己決定理論によれば、内発的動機づけ;「やりたいからやる」という純粋な意欲、が最大化されるのは、3つの要素が揃ったとき。

  1. 自立性:自分で選んでいる感覚
  2. 有能感:できている・上達している間隔
  3. 関係性:誰かとつながっている感覚

つまり「やりたいこと」は、最初からあるものではなく、圧倒的に経験の中で育つものいうこと。脳科学的にも、「欠如から探す」より「今、没頭できること」から積み上げる方が自然だとされている。減点法じゃなくて、加点法ですね♪

「英語が好きかどうかわからない」という状態でも、とりあえず少しやってみて、「あ、これは悪くないな」という小さな手応えを積み重ねていく。その過程で、気づいたら「もっとやりたい」という感覚が育っていることがある。

結論:やりたいことは、探すものではなく、育てるもの。

人生と「やりたいこと」の関係

あなたにしかできないことと狭く考えちゃうのも違う気がする・・・。だって、経験によっていくつか枝分かれして見えてくる道ができる。たぶんくねくねしていたり、森の奥だったりして見えないことも多いんだろうと思う。むしろ「まだ見えてない」という状態でも、それを楽しみに待てる;Anticipationをポジティブに育てていってほしい。だってね、「まだ確信として認めていないだけ」であって、もうその芽や茎や枝は育つことを待ち望んでいるし、育ってきているし。花にしたり実にするのも、何かのきっかけを待ち、分かれ道で選ぶだけの問題なのかもしれないしね。

ここのところ私は、A.I.に「きくみさんのこういうところ繋がった」などと言われている。とてもうれしい発見で、一貫性があることを次々証明してもらえていて感謝。