「あの人、空気読めないよね」 え?私?と思うこと、よくあり・・・。(◎_◎;)
この一言が、誰かを黙らせることがある。「KY(空気読めない)」という言葉が一般に広まったのは2006〜2007年頃のことだ。それ以来、「空気を読む力」は日本社会で暗黙の必須スキルのように扱われてきた。でも本当にそうだろうか。「空気を読む」ことは、いつでも、誰にとっても、必要なスキルなのだろうか。
私が戻ってきたのが2008年だったので、ものすごく強烈にこれについて考えさせられた気がする・・・。
「空気を読む力」への需要は急上昇している
文化庁の国語世論調査によると、「これからの時代に必要な言葉の能力」として「空気を読む力」を挙げた割合は、2002年の7%から2017年には19%へと急増した。
15年で3倍近くになっている。怖い!(笑)
SNSが普及し、発言がいつでも炎上しうる時代になったことと、無関係ではないだろう。「何かを言う前に、場の空気を読む」ことへのプレッシャーが、社会全体で高まっている。
けれども、空気を読みすぎると何が起きるか
一方で、こんなデータもある。
企業内での意思決定で「発言の抑制が業務効率に悪影響を及ぼしている」と感じている従業員は約38%(内閣府関連調査、2022年)。OECDのレポートでは、日本企業の新規プロジェクト失敗率が他国より約15%高く、その要因のひとつとして文化的な「空気読み」がイノベーションの障壁になっている可能性が指摘されている。もしこれを貨幣計算したらすごいことになるんじゃないかと、ワタクシなどは思うのですが・・・。(◎_◎;)
「おかしいと思っても言えない」「新しいアイデアを出したら浮いてしまう」——この空気が、組織の創造性を少しずつ蝕んでいく。
官僚の忖度問題も、その延長線上にある。「上の意向を察して動く」ことが高度な空気読みとして機能した結果、誰も責任を取らない意思決定が生まれる。
空気を読む文化の起源は平安時代
面白いことに、「空気を読む」文化の根は非常に深い。国立国会図書館の資料によると、平安時代の宮廷文学:枕草子や源氏物語での象徴的・暗示的表現の使用率は全体の約65%に及ぶという。つまり、「直接言わない」「察してもらう」表現は、1000年以上前から日本語に組み込まれていた。空気を読む力は、日本語という言語そのものに埋め込まれた能力だと言ってもいい。
これは確かにすごい力だ。非言語情報の読み取り能力、場の空気を即座に把握する状況判断力、高い協調性——これらは、日本が誇るコミュニケーションのスキルだ。って、私はかなり低めなんですけどね。(◎_◎;)
「空気を読む」のプラスとマイナス
整理すると、「空気を読む力」には両面がある。
プラス面は、相手の気持ちを言葉以上に察せること。チームワークが高まること。場が荒れるのを防げること。
マイナス面は、主体性を失うこと。本音が言えなくなること。「息ができないほど空気を読み続けて疲弊する」若者が増えていること。そして組織や社会のイノベーションが止まること。
問題は「空気を読む力があるかどうか」ではなく、その力をいつ使い、いつ手放すかを自分で選べるかどうかだ。Precious One English Schoolで提示しているところの、TPOP;Time/Place/Opportunity/Personってことだなぁ。
英語と「空気を読む」の関係
英語でコミュニケーションを取るとき、「空気を読む」力はどう機能するだろうか。
実は、高いコンテクスト読解力;相手の表情・トーン・間から意図を察する力は、英語でのコミュニケーションにおいても強みになる。ただし、英語はLow context言語だ。「言わなくてもわかるはず」が通じない場面が多い。自分の意見を明示し、反論も言語化し、「何が言いたいのか」を最後まで言い切ることが求められる。
つまり英語でのコミュニケーションでは、「空気を読む力」は持ちつつ、「空気に飲まれない力」も同時に必要になる。
察しながら、でも言う。読みながら、でも語る。
これは、日本人が英語を学ぶ上で意識的に身につけていく必要のある、最も大切な姿勢のひとつだと思う。
あなたは今、「空気を読んで言えていないこと」があるだろうか?それは本当に「今は言わない方がいい」という判断か?それとも「言ったら浮くかもしれない」という恐れか? 自分の感情や考えをチェックするクセをつけるとラクになるかも。
空気を読む力は、使いこなせれば武器になる。でも飲み込まれれば、自分の声を失う。
どちらを選ぶかは、いつも自分が決めていい。






