完全に忘れていた。

CSQのことを考え、介護バイトに行き、ブログを書き、気づいたら5月が半分以上過ぎていた。北斗・鈴音・夏梅、3匹の誕生日は5月4日だ。みどりの日だ。覚えやすいはずなのに、今年は完全に素通りしてしまった。愛していないわけでは断じてない。ただ、私がバタバタしすぎていただけだ。なんとゆとりのなかったことか!ごめんねー、Guys!

そしてそれを私にすら言わなかった同居人は、なんだったんだろう?忘れてなかったけど、みたいなことは言ってたけど、それ、本当なの?とダウト(笑)。

というわけで遅ればせながら、6歳おめでとう。お祝いはこれからする予定。本当に許してぇぇ!鈴音が異常なほどカニが好きなので、カニでパーティーをしようと思っているところ。というか、彼らが来てからずっと、1歳の誕生日前から、年末のカニや、すき焼きなど、人間の食生活に興味を見せてくれた彼らのために、というやつなんだけどね・・・。猫のパーティーというのはつまり、私が嬉しそうにカニを出して、猫たちが思い思いの反応をするだけ(笑)。それでいい。なぜならば、私は実際、猫語が話せるわけでもないので、いいように解釈しちゃっているだけなのだもの・・・。(◎_◎;)

6年、本当にいろいろあった。引っ越しもあった。生活のかたちが何度か変わった。私がしんどい時期も、猫たちはそこにいた。何もしないけど、いる。それだけで充分だと思わせてくれる存在が家にいるのは、思っている以上に大きいことだと、6年経って改めて感じる。

人間の年齢に直してみると、猫の6歳は人間の40歳。でもなぁ、私は昨今、これは徐々に違うんじゃないのかなぁと思い始めているのです。なぜならば、歴代、我が家の猫たちはみな長生きなのだもの。タンゴという黒猫が最年長で、22歳5か月まで生きたので、人間の年齢に直すと104歳くらい。すごすぎない?まぁ、最近、人間もそれくらい生きる人はざらにいるのかなぁ・・・。私は自分が最長に生きても93歳くらいかなっていうイメージが勝手にある(笑)>母が83歳で亡くなったので、それよりちょいとコンディションがいい時代が来て、10年かなぁって(笑)。

だって、この子たち、というか猫全般のBehavior:振る舞いって、ものすごくわがままな子どもと同じだからねぇ・・・。年齢言われたってさ、というのがある(笑)。

しかも、猫には時間経過の意識がない、と言われている。だから「6年経った」という感覚を、北斗にも鈴音にも夏梅にも持ちようがない。誕生日を祝うのは完全に人間の都合だ。でも、6年間一緒にいたという事実は、私の中にちゃんと積み重なっている。それを確認するための日があってもいい。

猫は過去を振り返らないし、未来を心配しない。今この瞬間だけに生きている。それが羨ましいと思うこともあるし、だからこそ一緒にいると少し楽になることもある。んまぁ、基本的には猫族は私の師匠なのだわなぁ・・・。自立してもっともっと前に行き、すごい縦型移動でジャンプがすごい。筋肉がしなやかで瞬発力が爆発的。なのにあんなにわがままでも愛されるとかすごいじゃないですか?まるで、DaVinciがお墓を発(あば)いて、遺体を解剖しても許されていたみたいにすごくないですか?←このたとえはわからないか・・・?(◎_◎;)

北斗、鈴音、夏梅。何歳になっても、相変わらずでいてください。その相変わらずの中で、同居人が加えてしまった、昨今よく鳴くクセだけはやめてください。<(_ _)> 不幸なネコじゃないでしょ?(笑)