傘って、消耗するものだと思う
母が遺したものは、たくさんある。食器、ポーチや子袋、裁縫道具、日常生活の備品、写真。どれもそれぞれの重さ、いわゆるSentimental Valueがあって、簡単には動かせない。でも傘はどうだろう?Sentimental Value はあるか?うーん、少しあったけど、もう3年も経つと、劣化がひどいのでそうも言ってられなくなる。折り畳みが3本、長い傘が3本、合計6本が我が家にある。でも正直に言うと、Sentimental Valueと呼べるほどの思い入れが、傘にはない。
なぜか?
傘って、そういうものだと思う。使っていたものでシェアするMomentsがあったものであれば「母が愛着していた」という記憶が染み込んでいる。でも傘はどこか、消耗品と愛着品の境界線上にある不思議な道具だ。たぶん、私が雨の中、彼女と歩くことがほぼなかったからだ。
しかも私個人に傘に対する愛着度が低めなのもあるかもしれない。Californiaは雨季と乾季に分かれる地中海正式気候で、雨季になると3日に1回くらいは雨が降る。でもね、車移動だったから、私は傘を所有したことがほぼなかったのです。シャレで Eddie Bauerのゴルフに行けるくらいの大きい傘を買ってみて、それで小さい頃にやった傘の下で猫と遊ぶなどをやってみたんだけど、実際、それを車に載せていても、使うことはあまりなく・・・。(・。・; むしろ、フード付きのパーカーやウィンドブレーカーで充分だったんだよね。(・_・;)
それもあって、ここのところ介護のバイトで、傘を使うことがあって、ちょっと整理したくなった。折り畳みはバッグに入れて使ってみたんだけど、電車に乗ることのほうが多いのであれば、これでいいんだなぁと。長傘って忘れる確率高そうだし(笑)。駅の遺失物の第1位だもんね・・・。(◎_◎;)
先日、生徒さんに一本持ち帰ってもらった。「外で捨ててきてもらえますか」とお願いして。自分で捨てに行けばいいだけなのに、なぜかそれができない。でも誰かの手を借りれば動かせる。この矛盾した心理が、我ながら面白い。
残り5本、どうやって消耗するか、割と真剣に考えている。カフェや図書館の傘立てにそっと置いてくる、というのはどうだろう。必要な人が持っていくかもしれない。あ、イチバンいいのはコンビニなのかも>傘を買いに来る人がいるし。あ、でも明らかに中にヒトがいない限りはもっていってはくれないのか・・・。うーん、難しい(笑)。
傘は使われてこそだ。クローゼットの中で6本、あと5本並んでいても、誰も雨から守れない。母が買った傘が、見知らぬ誰かの雨の日を防いでくれたとしたら、それは悪くない着地だと思っている。
物は使われることで完成する、という気がしている。使われないからもう買わなくなったんだろうなぁ、Californiaに住んでいるときは。だって、不自由した記憶がない・・・。カジュアルな服装で、まったくAttireになることがないので、ちょっとだけ濡れるのはかまわなかったから。そして今も、さして濡れることは嫌いでもないし・・・。まぁ、ずぶ濡れは困るけど、シャワーに入るいい口実になるなぁって程度にしか思っていないかな・・・。
もうすぐ全面オンライン化するので、もう生徒さんがもらってくれる場面もなくなっちゃうかもしれないよなぁ。だって、これまでほぼなかったんだから・・・。ということはやはり積極的に消費活動しないといけない(笑)。でも私は日曜日の介護のバイトもそんなに長くはやらないし、雨が降る確率が増えるのは、6月と台風時と秋の長雨のときくらい。(・_・;)
誰か、傘いりませんか?




