”Japanese people are so mysterious.”

海外の人と話していると、これを何度聞いたかわからない。謙虚さ、間の文化、察する力、集団への同調——外から見ると、日本人の行動原理は本当に読めないらしい。何がどう基準点なのか?というのが読めない、というか、たぶん想像できないのかな。

日本で生まれ育てば、誰でもある程度は持っているものだと思う。空気を読む、出る杭が打たれることへの警戒、場の調和を優先する、などなど。これらは明示的に教わるものではなく、日常の中で自然に染み込んでいくものだ。ただし、その塩梅には個人差がある。

私などは、典型的に小さい頃からこれらが低い。おそらく条件が揃ってしまったから・・・。貧乏だったことで、周りのものすごくお金持ちではない、中金を持っているご家庭のご両親たちにあまり好かれなかったことや、特に努力をしなくても他者を凌げることがいくつかあったことで、「ずるい」と思われていたことや、明らかに犬猫は私をスキだったこと(笑)など、たぶん、いろいろな条件で、日本人性を学ぶ環境には長く入れなかったんだよね・・・。(・_・;)

日本人性が低い人は、日本社会の中でけっこう苦労する。暗黙のルールが多すぎる。どこにも書いていないのに「普通はこうする」という圧力が至るところにある。帰国子女や海外育ちの日本人が日本に戻ったときに感じる違和感は、まさにここから来ていることが多い。

私など、これを10代までで感じてきて、そのあと父が亡くなるときに看病と見送りのときに29歳で感じることになる。さらに、またもや2008年、渡米後20年で感じるんだよね、つくづく。低いんだ、私は日本人性が・・・。全然Mysterious じゃないんだよね、私(笑)。

海外の人がMysterious!と感じるのは、この暗黙の文法が外から見えないからだ。なぜ謝るのか。なぜ本音を言わないのか。なぜ集団で動くのか——ひとつひとつに文化的な論理があるのだが、その論理は日本人自身も言語化していないことが多い。無意識に従っているルールは、説明できない。

Japan Withinを作ったのも、CSQを作ろうとしているのも、根っこにはこの問題意識がある。日本人性を言語化できる人間を増やしたい。自分の文化の論理をちゃんと言葉にできる人間が、初めて異文化と対等に話せる。

このプロセスで、私はまたもや岡本綺堂や柳田国男、久生十蘭、野村胡堂、林不忘、吉川英治、佐々木味津三、新渡戸稲造、夏目漱石、森鴎外、などなど古い日本語が出てくるものを読んで、古語を拾って検定試験に入れてるわけです。江戸の粋や、無頼道、人が人を助けながら生きていくことなど、やっぱりスキです。

でも、今それをやれる相手や場やタイミングが、西洋から多様性と採り入れているプロセスが長すぎて、「かなり身勝手な解釈や選択」になっているような気がするんだよね。わからないわけじゃーない。でも、美徳として私が最終的な規則性を以て、努めているのは、自分の利益にならないことを進んでやることだったり、死んだあとも自分に誇りが持てる行動だったり、決して見返りを求めないことだったり、と、そこは日本人性だけではなくて、世界のいいところ取りになっていると思うんだよね。コミュニケーションの取り方は、私は圧倒的に合理的です。じゃないと、昔に比べて人口が多すぎるし、ネットがあるからねぇ(笑)。

それを学問として遺すことならできるんじゃないか?学問の偏りがあまり出ないように、エンタメ要素を入れて、クイズにしたりはどう?英語でもやってみるのはどう?などと、いろいろ試行錯誤してるんだよねぇ・・・。

だってやっぱり日本人性って、多くの人々にはまだまだわかんないと思うんだよねぇ・・・。(◎_◎;)