この年齢になって親を想うたびに涙があふれてくるようになった。よく言ったもんだよね。『孝行したいときに親はなし。さればとて石(墓石)に布団は着せられず』

父も母も、裕福ではなかった。高い教育を受けてきたわけでもない。いや、むしろ周囲を観てもかなりな低学歴ではあったし、世間が「いい職業」と呼ぶような仕事でもなく、典型的なブルーカラーの仕事だった。そんな中、まともに育ててもらった。それがこの年齢になると、じわじわと、ものすごく大きなことだったとわかる。

「まともに育てる」というのは、実はまったく簡単なことじゃない。お金がなくても、学がなくても、子どもに「自分は大切にされている」という感覚を持たせ続けることは、意志と愛情と忍耐がいる。それを私の両親はやり遂げたのがすごかった。ただ、残念なことに弟はそれを感じてこなかったんだろうなぁ。だから彼と私には違いが生まれたのかも。

なぜ私はあれほど粗略に扱われて、貧乏だったのに、大切にされたと感じ続けてこられたのか?彼らが私に本気だったからだと想えているのだ。

たとえば、8歳くらいのときに、私はごくごく近い親戚である大人の集まりにしか出させてもらえなくなった。それ以降は、父の仕事関連の集まりも「話せる隙は与えない!」程度にしかもう寄せてもらえなくなっていた。なぜか?私が、「目上の人でもバカは敬いたくない」と言ったことについて、本気にしてくれたから。まぁ、内容はひどいのかもしれないけれども(笑)、「ああ、この子はやる子。言ったことは必ずやるんだよね」と、ちゃんと尊重されたという気持ちでいっぱいで、出禁については怒るよりは、「面倒がひとつ減ったじゃん♬」とむしろ歓んでいたくらいなのだった。そして本当に部活が始まる中学生くらいまで、私には見えないZipperが口に掛けられて、挨拶以外のふれあいがバカな大人とはなくなってしまったのだった(笑)。おかしいけど、ああ、私の親は私の主張を真面目に聴いてくれるんだと思ったのだった・・・。他にもね、怒ったときにはその怒りを中途半端でやめない。給食があるから大丈夫と思って、本当にごはんを出さないのが3日ほど続くなんてこともあって、こちらから白旗を上げるしかなくなるなんてことも実際に嘘みたいだけどあったのだ。主張は正しい、ただ表現が間違っているとか、感じ考えていることは的外れではないが、誰にでも言っていいわけではない、などなど、かなり彼らは苦労したはず。とはいえ、結果論としては、こんなにがんばってもらったのに、私はまともなお勤めさえできず、アルバイトや委託で働くことになる・・・。

思えば、10歳のころからほぼ毎日泣いてきた。最初は自分のために泣いていた。でもそれがいつの間にか変わっていって、46歳を過ぎたころから、自分のために泣くことがほぼなくなった。今出てくる涙は、種類が違う。クレンズだと思っている。感情の老廃物を流すのではなく、感謝や愛情が溢れて出てくる涙だ。

ひとりごちるしかない。弟とは縁を切った。だから、この感謝を分かち合える家族がいない。静かな涙だ。

でも、この親への感謝をただ胸の中に沈めておくだけでは、もったいないとも思っている。親から受け取ったものを、どのように、誰に、どういう手段で継承していくか?という問いを自分に与え続けている。それをつくづく考える。血のつながった家族に渡せないなら、別の形で渡せばいい。社会的進化のために。

そしてもっと感謝したいのは、彼らという始まりがなければ、私はこの考えをもっと深く論理を以て分解するための術を学ぶ場所には移動できなかった。UC Berkeleyにしろ、Sierra Academy of Aeronauticsにしろ、私には学ぶ場に歓んで出してくれる両親がいたことに感謝なのだった。人は本当に積み重ねの存在だよね。彼らがいなければ私は今ここにいることすらできなかったし、もらったものに感謝しなければ、続きなどはあり得なかった。さぁ、これもどうにかして繋がないとなぁ・・・。