小さい頃、少し自分が賢くなったなぁという自覚のきっかけが、この「復讐はキリがない」ということに気づけたときのこと。誰かにぶたれたときに、私がやり返して、それを恨みにまたもや思ってまた叩かれる。そして私もまた叩く。なんてこともあったし、実際に幼稚園の頃に学んだ♬白ヤギさんからお手紙ついた♪ 黒ヤギさんたら読まずに食べた(^^♪ 仕方がないのでお手紙書いた。さっきの手紙のご用事なぁに?♬ っていうのも、かなり似ている。キリがない(笑)。

この終わりのないループが私にはとっても面倒くさい、意味のないことに感じてしまったのが、私の合理性の芽生えなんだろうなぁ・・・。そしてそれにどんどん火がついていくんだよね、きっと・・・。そして今じゃぁ、もう生産性のないことはやりたくない!ってなっちゃっているような・・・。(◎_◎;)

ではなぜ、もう一方で、ドッヂボールや雲梯や缶蹴りはあんなにも繰り返しできたのか?それはねぇ、とっても楽しかったからなのよーう。もう、わんちゃん&フリスビーのような関係性は、感情が司るってことがわかってきてたんだろうと思うんだよね。

復讐を実行した人の話を聞くと、ほとんどの場合、思ったより気持ちよくなかった、と言う。やってやった!という瞬間はある。でもその後に来るのは、次の不満だ。相手がどう反応したか。思ったより動揺していなかった。謝らなかった。そうやって新たな「不満の種」が生まれ、また火がつく。ほら、キリがない!(笑) (・_・;)

心理学の研究によれば、報復行動は一時的なカタルシス(感情の解放感)をもたらすが、長期的には反芻思考(rumination:同じ怒りを何度も思い出す状態)を強め、むしろ怒りを長引かせる。

「復讐は気持ちよさそうに見えて実際は感情的満足度を下げる」というのは社会心理学で繰り返し確認されているテーマだ。対概念として「赦し(forgiveness)」研究がある。赦しは相手のためではなく、自分の精神的健康のための行為として心理学では位置づけられる。赦した人の方が、長期的な幸福度が高いという知見が複数の研究で示されている。

キリがないのは、感情の構造上、必然だ。復讐を実行するたびに「相手の反応」という新しい変数が生まれる。それにまた反応しなければならなくなる。終わらせる唯一の方法は、こちらが先にゲームから降りることだ。

いつも感情的にグルグルに入りそうになると自分に語るのは、「おなかがいっぱいになったら止めるよね?」とか、「開けていないトンネルなんてこの世にないよね?」とか、「続けていると空白の数時間や数年なんてあっという間に過ぎちゃうよ!」っていう言い聞かせ。そして、「自分で自分を疲れさせてどうする?」で、最後に大笑いしてみる。

降りることは、負けることではない。グルグルしやすい、ゆとりを生まない、疲れやすい、成果がほぼない、ゲームに参加しないことを選ぶだけだ。その選択には、ものすごいエネルギーが必要だが、これだけ説得力があるんだから、傘下しないってのが大事だよね。うん。☆彡