書くことを、ずっと続けてきた。ブログに書いたものを数えたら3,300本を超えていた。書くことが「習慣」という感覚はない。呼吸に近い。書かないと、頭の中にあるものが整理されないまま澱んでいく感じがする。書くことで、自分が何を考えているのかがやっとわかる。

字を覚えたのは、幼稚園の年少から年長にあがる春だった。

きっかけは近所ののんちゃん。彼女が幼稚園で字を書けるようになって、母が焦ったらしい。うちは貧乏だったから、ドリルを買うような発想はなかったのだと思う。母は、自分が洋裁で使う型紙用の模造紙に、手であいうえお表を書いてくれた。

教え方も、母らしかった。私に物差しを持たせて、「これは?」と一文字さすと、母が「み!」と答える。教え込まれたのではない。私が指したものに、母が応えてくれた。今思えば、あれが私の学び方の原点だ。物差しを握っていたのは、いつも私のほうだった。

ひらがなもカタカナも、一ヶ月とかからずに覚えてしまった。父の弟がローマ字まで書いてくれて、覚えた文字は行き場を失った。そして――障子に、ふすまに、私は字を書き始めた。

貧乏な家で、障子もふすまも大事なものだったはずだ。それでも母は、叱らなかった。板を一枚張りつけて、「ここなら書いていい」と言った。

ところが私は、書いたものを消せない子どもだった。たくさん書いて、それを眺めるのが、たまらなく気持ちよかった。自分では傑作だと思うものを、消して上から書くなんて、とてもできない。すると母は、板を一枚、また一枚と増やしていった。消させるのではなく、残せるように。

今ならわかる。頭の中にあったものが、外に出て、形になって、そこに在る。あの「気持ちよさ」の正体は、思考が目に見えるものに変わる快感だったのだ。私は理論を知るずっと前に、それを板の上で知っていた。

書きたい、を止められなかった子どもに、母は居場所を作ってくれた。私が今、生徒たちにしていることは、たぶん、あの板から始まっている。

テキサス大学の社会心理学者ジェームズ・ペネベイカー教授は、感情を一定時間書き出す「エクスプレッシブライティング」によって、心理学的指標やストレス指数が改善することを示した研究で知られる。書くことは単なる記録ではなく、思考を整理し、言語化する行為そのものだ。Googleがマインドフルネスの実践手法としてジャーナリングを社内の取り組みに位置づけている、という事例もよく紹介される。

「書く量」と「思考の解像度」には、はっきりした関係がある。書く習慣がある人ほど、自分の考えを曖昧なまま放置せず、言語化する訓練を積んでいる。あの板の上で私がやっていたことも、今にして思えば、その訓練の始まりだったのだろう。

書けない人に「書きなさい」とは言えない。でも、書けない人と書ける人では、英語でも同じように差が出る。英語で話せる人は、大抵、書ける人だ。思考を言語化できているかどうかが、話す力の土台になっている。「何を言いたいか」がわかっている人だけが、英語でそれを言える。

もう一つ、はっきり感じることがある。「書ける子」は、表記に敏感だ。

たとえば「幸せ」。倖せ、しあわせ、仕合せ、シアワセ――同じ言葉を、含蓄ごと脳内に持っていて、どれを使うかを“わざと選べる”子がいる。子どもにも、大人にもいる。彼らは言葉を、意味を運ぶ道具としてだけでなく、ニュアンスを選ぶ行為として扱っている。書ける力の正体は、語彙の多さではない。この「選べる」感覚なのだ。

そういう子には、こう持ちかけてみる。「カリフォルニアは、これから California って書くことにしない? カリフォルニアって書くと、発音まで日本語になっちゃうから」。

すると、面白いことが起きる。その子は、ほかのカタカナ語も英語表記で書き始めるのだ。表記をひとつ変えただけで、頭の中の発音が、構えが、英語の側へ切り替わっていく。

表記に敏感な子は、この「切り替え」の素地を、すでに日本語の中で持っている。幸せとシアワセを選び分けられる感度は、日本語と英語を切り替える感度と、地続きなのだ。

英語が話せるかどうかは、英語力の問題である前に、「切り替えられるか」の問題なのかもしれない。

書くことは、その一番静かな入り口だ。今日も私は、書く。頭の中の澱を、板の上に並べるように。