猫たちの寿命予測
うちの猫たちは、なべて寿命が長い。それが、ちょっとした私の密かな自慢になっています。
一匹だけ、寅次郎という子がいました。10歳5か月で亡くなっています。脳腫瘍ができてしまい、それも視床下部のちょうど真裏という、手術のしようがない場所でした。だんだん呼吸が苦しくなっていって、最後は尊厳死という形を選ばざるを得ませんでした。あの決断は、今も簡単には言葉にできません。ただ、苦しい時間を長引かせるより、穏やかなうちに送り出してあげたい。そう思って選んだ道でした。今でも、あの子の名前を思い出すたびに、少しだけ胸のあたりが静かになります。
その一匹を除くと、我が家の猫たちは、驚くほど長生きしてくれています。一番短かった子でも17歳9か月、一番長生きしてくれた子は、なんと22歳5か月まで一緒にいてくれました。人間で言えば、かなりの長寿です。特別なフードや高価な設備があるわけでもなく、ごくふつうの完全室内飼い。それでもこれだけ長く一緒にいられるというのは、猫たちの生命力そのものと、日々の小さな積み重ねのおかげなんだろうと思っています。振り返ってみると、何か特別なことをしてきたわけではなく、ただ体調の小さな変化を見逃さない、無理をさせない、ストレスをできるだけ減らす、というごく当たり前のことを、淡々と続けてきただけなのかもしれません。
ただ、「何も特別なことはしていない」というのは、半分は本当で、半分は言い過ぎかもしれません。アメリカにいた頃の猫たちは、UC Davis――世界ランキング1位の獣医学科がある大学――の獣医さんにかかっていました。Bay Areaはとにかく、その大学出身の獣医さんだらけの土地で、それ以外の出身の先生に当たる方がむしろ珍しいくらいです。体感として、8割方はUC Davis出身。だからこそ、教えてもらえることの水準自体が高かったんだろうと思います。そこで言われたことを、私はちゃんと聞いて、素直に実践してきたつもりです。特別な設備を揃えたわけではなく、専門家の言葉をきちんと学んで、日々の扱い方に落とし込んだこと。それも、長生きの理由の一つだったんだろうと思っています。
だから正直に言うと、私にとって「猫の寿命」は、ちょっとしたプライドです。仕事の実績とか、資格とか、そういうものよりも先に、「うちの猫はみんな長生きしてくれる」の方が、なぜか誇らしい。それくらい、猫たちとの時間は、私の暮らしの中で大きな場所を占めています。爪切りも、ブラッシングも、体調のちょっとした変化を見逃さないことも、毎日の小さな積み重ねでしかありませんが、それがそのまま、何年もの時間になって返ってくる。そう思うと、地味な日課にも意味がある気がしてきます。
考えてみれば、CSQの検定やスクールの仕事も、似たところがあります。派手な成果より、毎日の小さな観察と調整の積み重ねが、結局いちばん遠くまで連れて行ってくれる。猫たちの長寿を見ていると、そのことを、言葉より先に体で教えられている気がします。
今、北斗・夏梅・鈴音の三匹は、そろって6歳3か月です。それぞれ性格はバラバラで、甘えん坊もいれば、マイペースな子もいますが、名前の由来も見た目も三者三様、それでも三匹まとめて見ていると、なんとなく「うちの子たち」という一つのチームのように感じられる不思議な時期があります。まだまだこれからという年齢です。ただ、寅次郎のことがあるので、油断はできないな、とも思っています。突然の病気は、どれだけ気をつけていても、完全には防ぎきれないものだと知っているからです。それでも、健康にはこれからも気をつけながら、この子たちがいくつまで一緒にいてくれるのか、楽しみに、そして少し祈るような気持ちで見守っていくつもりです。もし過去最長の22歳5か月を超えてくれる子が出てきたら、それはもう、私の人生の中でもかなり上位に来る誇らしい出来事になると思います。
17歳、いや22歳を目指して。今日もまた、爪切りとブラッシングから一日が始まります。寅次郎が教えてくれた「いつか」は誰にも分からないという事実と、それでも今日を丁寧に積み重ねるしかないという、ごくシンプルな結論を抱えながら。







