英語学習前に考えてみる日本語力と本来の自分のスキル その16 相手の意見を打ち消すようなことをしていないか?>自分の意見よりと同等に扱えるか?
私は、はっきり英語的なセンスの日本語を使います。結論を先に言ってから、理由や背景を続ける話し方です。だからきつく聞こえることがあるようなのですが、これは相手の意見を打ち消しているわけではありません。単に、結論を先に言っているだけです。日本語の会話は、結論に至るまでの経緯や気持ちを丁寧になぞってから着地する形が主流なので、いきなり結論から入る話し方は、良くも悪くも目立ってしまうのだと思います。
ただ、正直に言うと、この話し方でまずい空気になることが、年に1回か2回くらいはあります。先に結論を言ってしまうと、そこでカチンと来る方がいて、「もうちょっと話させて!」「これには説明が必要なんだよ!」と、感情の方が先に立ってしまう対応をされることがあります。伝えたい中身は変わらないのに、順番一つでここまで受け取られ方が変わるのかと、毎回少し驚かされます。英語圏では、このやり方で間違うことはまずありません。むしろ、それが誠実さの表れとして受け取られます。日本語の会話の中に、英語の構造をそのまま持ち込んでいるからこそ生まれる、小さな摩擦なんだろうと思います。
相手を自分と同等に扱う、というこの力は、実はエリクソンの発達段階でいうと、3歳から6歳の「遊戯期(Play age)」——initiative(自主性) vs. guilt(罪悪感)——のあたりで育まれるものです。「こうやって遊ぶと面白いよ」「バケツ貸して、シャベル使っていいからね」というような、外遊びの中でのやり取りを通して、子どもは自分のやりたいことと、相手の気持ちとのバランスを取る練習を積み重ねていきます。自分の欲求を押し通すことも、逆に全部我慢することもせず、相手にも分かる形で伝えながら、折り合いをつけていく。これは、教室で教えられて身につくものではなく、砂場や公園で、体を動かしながらしか学べないものだと思います。
今の時代、外遊びの機会自体がかなり減っていて、保育園で過ごす時間の方が長い子も増えています。この時期の心理的発達が、十分にジャンプしていないまま大人になってしまうケースも、決して珍しくないんだろうなと感じています。集団の中での自由な遊びより、決められた時間割の中で過ごす時間が長くなると、自分の欲求と相手の欲求をその場で調整する、という生の経験そのものが減ってしまいます。相手に分かるように伝えながら、自分のやりたいことも通す。そのバランス感覚は、大人になってから急に身につくものではなく、幼児期の遊びの中で、体を使いながら積み上げていくものなのだと思います。
結論を先に言うか、あとに言うかは、単なる話し方の違いに見えて、実は「相手をどう扱うか」という、もっと根っこの部分とつながっています。相手の意見を自分の意見と同等に扱えるかどうか。それは、幼い頃の砂場でのやり取りから、ずっと地続きなのかもしれません。レッスンの中で、順番や言い回しのテクニックだけを教えることもできますが、本当に伝えたいのは、その奥にあるこの「同等に扱う」感覚そのものです。年に1、2回のカチンとくる瞬間も、私にとっては、その感覚を相手にどう伝え直すかを考える、貴重な練習の機会になっています。






