英語学習前に考えてみる日本語力と本来の自分のスキル その17 話すことにより互いが前進できたか?
このシリーズの軸は一貫している。「日本語でできることを、きちんと確認していますか?」という問い。
今回のテーマは、話すことによって互いが前進できたかどうか。これは、傾聴・質問・相槌という、ごく当たり前に思える三つの力に関わっている。傾聴できなければ、相手の意見を取り入れることもできないし、的確な質問も出てこない。相槌に感情がこもらなければ、応答そのものが空虚になる。これは英語力の話ではなく、日本語を使っていても普通にできていない人がたくさんいる、根っこの部分のスキル。
実際、レッスンをしていても、この三つがそのまま英語のアウトプットの質に直結しているのがよくわかる。日本語での会話で相手の話をきちんと聞けない人は、英語になった途端に急に聞けるようにはならない。逆に、日本語で「ちゃんと聞いて、ちゃんと聞き返せる」人は、単語や文法が多少怪しくても、驚くほどコミュニケーションが成立する。だから私は、英語のレッスンの中でも、実は日本語での対人スキルを見ていることが多い。
会話が建設的でなければ、それは相手の時間を泥棒しているようなものだと思っている。もちろん、反面教師的な会話であっても、そこから学びがあるなら私はそれもありだと思う。けれども、同じパターンが何度も繰り返されて、学びすら陳腐になってしまう場合には、さすがに新な手を講じることにしている。
最近つくづく感じるのは、「全然前進していない」というより、自己都合でいつの間にか言っていることが変わっているのに、それを認めない人がいるということ。逆に、「あのとき具合が悪くて」「プライベートでいろいろあって」ときちんと付け加えられる人には、こちらも理解しようとするし、そこは汲む。すると、次は同じことを繰り返さないようにしよう、という前進の方向に進める。
今まさにやり取りしていてうまく噛み合わない相手が何人かいるのだけれど、共通しているのは、自分が変化していることそのものを一切加味しない、という点だ。自分の都合だけで話が動いていく。おそらく本人たちは、自分を肯定しようとして立ち止まっていること、正当化しすぎることでかえって前に進めなくなっていることに、気づいていないんだと思う。認めることは負けることじゃないのに、それがなかなか伝わらない。
そのたびに思うのは、これは能力の問題というより、姿勢の問題だということ。「自分は悪くない」を証明することに全エネルギーを使ってしまうと、相手の言い分を聞く余白がなくなる。傾聴も質問も相槌も、結局は「一旦、自分を横に置く」勇気があって初めて機能するものだ。そこができないと、どれだけ言葉数が多くても、会話は前に進まないまま同じ場所をぐるぐる回ることになる。
英語を学ぶ前に、こういう日本語力・対人スキルを一度棚卸ししてみてほしい。傾聴も、質問も、感情のこもった相槌も、単語の数を増やしたところで自動的に身につくものではない。むしろ母語でできていないことは、英語でもできない。今回のシリーズが伝えたいのは、結局そこに尽きる。






