今回のお仕事現場で強く感じたのは、こういうイベントの仕事に集まる人たちは、総じて心が広いということだ。いろんな国の人と一緒に働き、当たり前のように「文化はそれぞれ違う」と口にする。頭ではみんな、ちゃんとわかっている。

でも面白いのは、それが自分自身のこととなった瞬間、急に怪しくなる人がいるということだ。「文化は人それぞれ」と言いながら、いざ自分の言動や振る舞いを指摘されると、途端にそれを受け止められなくなる。あるいは、誰かの物言いが強く感じられたとき、その強さをすぐに「お国柄」や「外国人だから」に結びつけてしまい、目の前のその人自身をちゃんと見られなくなる。

わかっているつもりのことと、実際にわかっていることの間には、思っている以上に距離がある。それは知識の問題ではなく、自分が当事者になったときに、その知識を自分にも当てはめられるかどうかの問題なのだと思う。他人の文化には寛容でいられても、自分の文化的な思い込みには、案外気づけない。

同僚の中には、海外で長く暮らし、現地で尊敬される立場を経験してきた人もいる。そういう経験は、自信になる一方で、時に「自分の文化は特別だ」「自分は評価されて当然だ」という思い込みを静かに育ててしまうこともあるのかもしれない。尊敬された記憶が強いほど、今いる場所で対等な立場に置かれたとき、そのギャップに苦しくなる。

結局、文化の違いに気づく力というのは、他人を観察する力ではなく、自分自身を観察する力なのだと、今回の現場であらためて思わされた。CSQという検定を作りながら、こういう場面に何度も出会うのは、なんだか出来すぎているようで、実はとても自然なことなのかもしれない。