並ばない、混ざらない、送る
観光を積極的にする人と、しない人。今回の現場にいて、ふとそんなことを考えた。
私自身は、観光地というものにほとんど興味がない。日光に何度も足を運んでいるのに、東照宮にすら一度も行ったことがない。理由ははっきりしている。並ぶのが嫌なのだ。それと、自分がわざわざ「陳腐な風景」の一部に混ざりたくない、という気持ちもある。大勢が同じ場所で同じ方向にカメラを向けている光景の中に、自分も並んで立つことに、どうしても魅力を感じられない。その代わり、いろは坂はバイクで何度も流している。景色を「見る」ことより、「その中を動く」ことのほうが、性に合っているのだと思う。
今回一緒に働いている人たちを見ていて感じたのは、似たような感覚を持っている人が意外と多いということだ。観光地のポイントを律儀に押さえておこうという気配が、あまりない。お土産にしても、わざわざ手で持ち帰るという発想ではなく、本当においしいと思ったものがあれば、そのまま自宅に宅配で送ってしまう。荷物を増やさず、必要なものだけを合理的に持ち帰る。その慣れた感じに、旅慣れというか、移動そのものが生活の一部になっている人たちの空気を感じた。仕事で全国を渡り歩いている人たちだからこそ、「観光地を制覇する」ことへの興奮が、もうとっくに薄れているのかもしれない。
思えば、観光地というのは「誰もが行くべき場所」として設計されている。並ぶことも、混雑した中で写真を撮ることも、その体験の一部として組み込まれている。でも、そこに価値を見出すかどうかは、結局のところ、その人がどれだけ「みんなと同じ体験」を求めているかどうかにかかっている気がする。私はそこにあまり価値を感じないタイプで、それよりも自分の足やハンドルで、その土地の空気そのものを走り抜けるほうが性に合っている。
観光地を「押さえる」ことに価値を置く人と、体験や効率そのものに価値を置く人。どちらが正しいという話ではないけれど、後者のタイプの人たちに囲まれていると、なんだか居心地がいい。並ばない、混ざらない、必要なものだけ選んで送る——そういう身軽さが、今回の現場には自然と漂っている気がする。観光地の前で記念写真を撮ることより、目の前の仕事や、その土地の空気を自分のペースで味わうことのほうが、よほど贅沢な時間の使い方なのかもしれない。




